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第1章:養子

1.オークラント

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 母を喪った日、アンセラは初めて自分の父親に会った。
「リース…すまない」
 彼は粗末な部屋で冷たくなった母の遺体の手を取り、涙を流して謝ってくれた。この瞬間に、アンセラは初対面の父に親愛の気持ちを抱いたのだ。だから、彼女は今まで会った事もなかった相手の言葉を素直に受け入れた。
 父は母や自分を捨てたのではなく、母が父を思って去ったのだった。つまり、父は自分の存在さえ知らなかった。病が治らない事を知った母が知らせるまで、父は母が好きになった男と一緒になり幸せに暮らしていると信じていた。
 もっと早く知っていれば、と悔いて嘆く姿にアンセラは胸が締め付けられた。
(この人が…お父さん)
 母は父を恨んでいなかった。だからこそアンセラは父親の事を尋ねたことはなかったのだ。
(お母さんの事、ちゃんと愛してたんだ)
 アンセラは広い胸に抱かれて、少しだけ待っていて欲しい、と言われ、嬉しくて頷いた。本当の事を言えば、期待はほとんどしていなかったが、できるなら時折会って話がしたいと淡く望んだ。
 そのため、一週間後に妻に紹介したいと言われた時は本当に驚いた。アンセラは父親にまた会えればそれで良いと思っていたのだ。認知を受けるどころか、養子にしてもらえるかもしれないなど、考えてもいなかった。
「でも、あたし…ずっと下町で暮らしてきました」
 嬉しかった、だが、それが身に余る幸運だと理解できる程度にはアンセラは母の子だった。
「これからいくらでも時間はあるさ」
 アンセラはその優しい父の表情に、思わず頷いた。
 それからの日々は、どこか雲の上を歩くようにおぼつかないものだった。後から思い返しても、まともな精神状態だったとは思えない。あまりに目まぐるしかったのだ。
 母の死。父との邂逅。養子の相談。母の葬儀。仕事の整理。引っ越し。そして、父の妻、今後義母となる人との面会。
 きっと、詰られる。あるいは、憎しみのこもった眼で睨まれる。もしそうでなかったとしても、仲良くなど成れはしない。そう覚悟して会った義母は、優しく微笑んでアンセラを抱き寄せた。
「どんなにか悲しい事でしょうね、まだ子供であるのに母を失うなど」
 私を母親などとは思えないでしょう。それでも、構いません。ただ、私は貴女を支えていきたい。助けたい。そう思っているのです。そんな優しい言葉を温かで良い匂いのする女性は囁いた。
 母を忘れる事はできないだろう。だが、この人を母と思えない訳ではない。アンセラは、自分でも驚くほどすんなりと、新しい家族を受け入れる事ができた。
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