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第1章:養子

2.貴族の振る舞い

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 まだ見ぬ姉に会える日を心待ちにしながら、アンセラは貴族としての振る舞いを必死に学んだ。
 着慣れぬ服も、見慣れぬ道具も、食べ慣れぬ食事も、何もかも身に付けようと一生懸命だった。
「まぁ、素晴らしいわ、アンセラ」
 そして、一冬の間に、見違えるほど令嬢らしくなった。
「ありがとうございます。全てお父様とお義母様のおかげです」
 前ならば、背を丸めるようにして頭を下げた。だが、今は、すっと背筋を伸ばし、肩を開いて胸を張り、軽く膝を曲げて目礼と共に返す。表情も大切だ。目元は力まぬよう和らげ、一方口元はしっかりと引き上げる。しかし口を開けては絶対にいけない。
「本当に見違えた…」
 父の驚いたような感心したという顔に、アンセラは面映ゆいながらも嬉しかった。
 固く働く者の手をしていた手も、惜しげもなく毎日クリームを塗り込み続けていたため、かなり柔らかくなった。元々髪はそれなりに手入れをしていたので、今のアンセラの姿を見て、彼女の最も得意な事が洗濯だと気づく者はいないだろう。
 自分でも、未だに鏡を見て驚くが、初めてこの家で鏡を見た時のどこか暗い影のある少女は、すっかり光に照らされている。父や義母とは違い母譲りの飴色の肌は艶を増し、栗色の睫毛に縁どられた緑の目は宝石のようにキラキラと、鏡を覗き込むアンセラを見返す。初めて身に着けてから、ようやく慣れ始めた刺繍や縁りのある服も、服に着られるのではなく、ちゃんと服を着ているように見えてきた。
「そろそろ良い頃合いだろう」
 まだまだ覚えなくてはならない事も多いが、言葉遣いも態度も、随分と洗練された。
 そう言った父は義母と視線を交わして頷くと、アンセラに大切な話が有ると切り出す。
「はい」
 改まった態度に緊張を覚えつつも、アンセラは何を言われても受け入れようという覚悟で言葉を待った。
「こんな事を急に言われてたら、きっと驚くでしょうし、戸惑いも生まれるでしょう。でも、わたくし達は、きっと貴女なら大丈夫だと思うのよ。この数ヶ月、貴女は根気強く努力を続け、とても素晴らしい成果をこうして目の前に示しているのだもの」
 義母の気遣う言葉に少し心を落ち着けつつも、どこかで緊張はより高まった。
「実はな、アンセラ。お前には、オークラント家の嫡子となってもらいたい」
「………はい?」
 貴族の娘たるものそんな反応をしてはいけない。
 そう叱りつける自分が、自分の頭の中にいる。
 しかしながら、
「ええええ!!」
「何? 何なの? お父さんはいったい何を言ってるの?」
「どどどどどうしよう!」
「おかしいわ! こんなの絶対おかいいわ!」
 驚きと困惑とショックと疑問でぐるぐるに混乱したたくさんのアンセラが、頭を飛び出して暴れまわっているのを止められそうにない。
「大丈夫よ。貴女の事はわたくし達が支えます」
 義母の言葉通り、いや、言葉以上に驚き戸惑っているアンセラの肩にそっと父の大きな手が触れる。
「時間はあるのだ。お前ならば問題無くやり遂げられる」
 父の真剣な眼差しに、アンセラは不安を飲み込み、諾った。
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