上 下
6 / 21
第1章:養子

5.見送り

しおりを挟む
 そして、ついに、姉が嫁してしまう日はやって来てしまった。
 朝。目を覚ましたアンセラは酷く憂鬱な気持ちだった。
 しかし、姉にとって大切なこの日に、自分の不調で水を差すような事だけは嫌である。だが、そのため無理やり飲み込んだ朝食は、何だかいつまでも胸のあたりで詰まってしまって、重苦しい。
 だが、アンセラはぐっと唾を飲み込んで、平静を保つ。
 父も義母もそうして、何時ものように微笑んで、姉が憂い無くオークラント家を出ていけるように見送ろうとしているのだ。自分だけが涙を浮かべて姉に行って欲しくないなどと、どうして言えるだろう。
 まして、これは姉の幸せな門出なのだ。
「アンセラ、どうか不甲斐ない私の代わりにオークラントをお願いします」
 姉の、笑み以外の顔を、初めて見たような気がした。
 それほどの重大事なのだと理解して、アンセラは努めていつも通りの微笑みを浮かべる。どんな時だって、自分はもう大丈夫だと、立派に貴族らしい振る舞いをしてみせると、知らせるために。
「ええ。勿論ですわ」
 ご覧の通りです。安心してください。アンセラが必死に態度でそう知らせているように、父も義母も何時ものように振舞っている。いや、姉の晴がましい門出に相応しく、少しいつもよりも嬉しそうなくらいだ。
「お父様、お母様、長らくお世話になりました。不出来な娘で、誠に申し訳ございませんでした」
 深々と頭を下げる姉への両親の態度を見ながら、アンセラは内心で、自分もこんな風に心からの寿ぎをしなくてはいけないのに、微笑むので精一杯だと不甲斐ない思いが湧く。
「よくよく向こうの家へ馴染むのですよ」
(お姉様ならきっと大丈夫です)
「一度嫁したからには戻らぬ覚悟でなくてはならんぞ」
(そんなこと…)
「はい。今まで頂いた御恩の事、決して忘れません。どうも、有難うございました。これからも、どうか、お元気で」
(私の方こそお姉様にお返ししたい御恩ばかりで…どうしたら良いのか)
 自分も何か言いたいという思いが渦巻くが、どうしても口を開けなかった。
 行かないでください。もう少しだけで良いので私と一緒に居てください。大好きです。どうかお幸せになってください。でももし、何か嫌な事があったら、きっと戻ってきてください。でもお姉様のお幸せをお祈りしています。どうして私を置いていってしまうのですか。せっかく姉妹になれたのに。わがままな事を言ったりしません。これからも頑張ってお姉様の代わりにオークラント家を支えていきます。だから、どうか、絶対に、お幸せになってください。
 遠ざかる姉の馬車を必死に内心とは裏腹の笑顔で見送った、その夜。
 アンセラは、ベッドの中で独り涙した。
しおりを挟む

処理中です...