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第1章:養子

4.姉

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 アンセラがやって来てほんの一月と少し。
 屋敷と呼ぶべきオークラント家での生活にも、なんとか馴染み始めた。
 相変わらず薫陶を授けてくれる義母との生活も、以前とは違い四六時中一緒に居る事で指摘されたり叱咤される事は増えたが、全てアンセラのためなのだから心強い。
 父はアンセラを嫡子にする手続きや姉の結婚の準備などで忙しいらしく、今までの行儀作法のための家に居た時よりも顔を合わせる機会が減ってしまったが、気持ちはちっともめげたりはしていない。
 なにせ、全ては姉のためなのだ。
「アンセラ」
 ミスティの呼びかけに、アンセラは微笑みを浮かべてそっと歩み寄る。
 本当は、お姉様、と大声で呼びかけて、歯を丸出しにした満面の笑みで駆け寄りたいくらいなのだが、立派に令嬢としての振る舞いを身に付けているのだと姉に安心してもらいたいがために堪えていた。
「ここにあるドレスは、全て置いていくから。大きな夜会のドレスは新しく作るでしょうけど、普段のドレスはこちらを使って。丈合わせは、ミノエラがしてくれるから」
「ありがとうございます」
 アンセラは、近頃すっかり板に付いた貴族らしい微笑みの仕草で礼を述べた。
 優しい姉の心遣いが嬉しくて、抱きついて頬を擦り寄せて、どれほど嬉しいか、ありがたいか、知り得る限りの言葉を尽くして語りたい。
 だが、そんな真似をしたら、姉は不安になるだろう。こんな平民丸出しの貴族令嬢とは思えない妹に本当にオークラント家を任せる事などできる訳が無いと。
 義母は何度も言っていた。貴族とは平民の上に立つ存在であるのだから、感情が簡単に表れてはいけないのだ。例え身内が相手でも、指の先までしっかりとした配慮を忘れてはいけない。事実、姉は何時だって指先まで優雅な仕草で、優しく微笑んでくれている。
 そうしてもらえる事が、どれほど心安くいられるか、アンセラは事実として理解している。
 あまりにもアンセラの振る舞いが改善されない時。あるいは、ふとした瞬間に貴族らしからぬ面が表れてしまった時。義母の不甲斐ない者を見る顔も、父のがっかりしたという顔も、とても辛いものだ。だが、姉だけはどんな時でも優しい微笑みでアンセラを見ていてくれる。
 もちろん、父や義母の表情が、アンセラへの叱咤であり、あえてそうしているのだとは解っている。だが、失敗をした時に、その失敗を責めるのではなく、変わらぬ笑みで見守ってもらえるのもまた心安く嬉しいのだ。
(私もお姉様のようになりたい)
 柔らかな微笑みで、穏やかに優しく、そんな風に成りたい。着々と、だが微笑みながら楽しそうに、オークラント家を出ていく準備を進める姉の姿を見つめて、アンセラの胸はぎゅっと締め付けられた。
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