伊月千種のショートショート

伊月千種

文字の大きさ
5 / 7

少女期録

 すれ違いざまに「あっ」という声が聞こえて振り返ると、同じように私を振り返っていたその顔に既視感。
 私より幾分か若くて綺麗な女性。美しいセミロングが風にたなびいて、ドラマのワンシーンのようだ。
 でもどこの誰だったかしら。さっぱり思い出せない。困って愛想笑いを浮かべると、相手も困ったように笑いながら「冴島さん?」と私の名前を呼んだ。
 そのハスキーボイスにピンと来て、思わず口元に手がいく。
「やだ! 安藤さん? うそ! わかんなかった」
 幾分か若いと思った相手は、もう二十五年ぶりにもなる中学の同級生。
「良かった。間違いだったらどうしようって思っちゃった」
 上品にそう言った安藤さんの声は記憶の中よりも少し低くなっている。
「あっはっは。出産したら太っちゃったし、だめね」
  快活に笑いながらも彼女と自分の落差に落ち込みそうになる。
「冴島さん、高校からずっと寮暮らしでそのまま向こうで就職したよね? 同窓会にも来たことなかったし、びっくり。今は里帰り?」
「んー。まあ? 実はこの前離婚したのよ。娘が成人したのを期にね。で、実家に報告のために帰省」
 べらべらと喋りながら「失敗したな」と内心焦る。こんなの二十五年ぶりにする会話ではない。でも安藤さんは「大変だったね」とただ穏やかに笑った。
 その彼女の目尻に浮かんだ笑い皺。
 ああ、あの皺。年齢を重ねて深くなったけど、笑うとできるあの優しげな皺が私は好きだったんだ。
 一瞬にしてあの一番輝いていた青春時代へと引き戻される。
「冴島さん、もし時間あったら、ここにいるうちにお茶でもどう?」
 少しためらいながらそう言った安藤さん。
 社交辞令かしら? そう思いながらもあの頃から、彼女がどんな道を辿ってきたのか気になるのも確か。
「そうね。ちょっと予定調べるわ。連絡先交換していい?」
 私がカバンからスマホを取り出すと、彼女も同じような動作をする。
「じゃ、連絡待ってる」
 そう言ってあっさり私に背を向ける、そういうとこは全然変わってない。
 眩しく見送ってから、見慣れたようで変わってしまった懐かしい道を帰路へ着く。

「今日ね、中学の同級生に会ったわ。道端で、偶然」
 台所で夕飯の支度をする母にそう声をかけると、昔よりだいぶ縮んだ背中が私を振り返る。
「あら、あんたのこと覚えてる子なんているの? 成人式も帰ってこなかったし、もうここら辺の子たちと交流ないでしょ」
 成人式のことはもう二十年経っているのに母はいまだに根に持っているのだ。ことあるごとに私が帰ってこなかったことを口にする。
「ん、まあね。ほら、覚えてない? 一度だけうちに連れてきたでしょ。安藤さん」
「ああ、あの子……。なんか美少年みたいなすっごい美少女ね」
 少しの間、天井を睨んだ母が思い出せてすっきりした顔で笑う。
 そう。美少年みたいな美少女。
 当時は珍しい女の子のベリーショートで、それが妙に似合って目立っていた彼女は学校で男女問わず人気者。
 そんな安藤さんが私みたいな教室の隅でこそこそしてるオタクと仲良くしてくれていたのは、今となっては夢だったんじゃないかと思うくらいキラキラした思い出だ。

「あたしもその漫画好き」
 誰もいなくなった放課後の教室でこっそり持ち込んだ漫画を読んでいたら急にハスキーボイスに話しかけられて、まるで少女漫画の主人公になったみたいにドキドキしたのを今でも覚えている。
 それからたまに、別に約束したわけでもないのに放課後に残って好きな漫画について語り合った。
 当時から女の子にしては背が高かった安藤さん。頭も運動神経も良くて所作もなんだか男の子っぽくて。淡い憧れを抱きながら、ダメ元でうちに誘ってみると一も二もなく「行く」の返事。
 そのまま連れ帰って私の自慢の漫画コレクションを見せたのだ。
「これがオススメなの。安藤さんも気にいると思うんだ」
 部屋の本棚の一点を指さして振り向くと、思ったより近くにある彼女の綺麗な顔。動揺して息を呑む。しかし彼女は本棚を見たまま「ふーん」と静かに呟いた。
 妙に胸が高揚して、でもその場から動くことも安藤さんから目を逸らすこともできず、軽く下唇をかむ。
 私の視線に気づいた安藤さんの形の良い唇が笑みを作る。
 次の瞬間、私の唇に柔らかいものが触れた。
 視界を遮ったまばらな影が安藤さんの長いまつげだったと気づいたのは、彼女の顔が離れてから。

 鍋の縁にカンっと菜箸を打ちつけた母が不満げに声を荒げる。
「あんた、今度はみっちゃんも連れてきなさいよ。あんただけ帰ってきても仕方ないわ」
「はいはい、次はうちのプリンセスを連れてきますわよ」
 ペロリと舌を出して冷蔵庫から缶ビールを二本取り出しプルタブを引いて片方を母に手渡す。
 今年から大学に入った娘は友人関係に忙しいらしい。最近は一緒に過ごす時間がぐっと減った。
 テーブルに置いたスマホに通知が届く。噂の娘かなとメッセージアプリを開くと、そこには先ほど連絡先を交換した彼女の名前。

『もし良ければ明日とかどうかな?』

 ああ、本気だったんだ。社交辞令じゃなかったのね。
 こんなにすぐにメッセージをくれた彼女の気持ちに嬉しくなり、思わず口角が上がる。
「なにニヤニヤしてんのよ。あんた、戻るの明後日だっけ?」
 母が唸るように話しかけてきたのに、「んー」と同じように唸って首を振る。
「そう思ってたけど、やっぱり明日帰るわ」
 そうしてメッセージアプリにトトトッと打ち込みながら「光希が寂しがるしね」なんて、最近は構ってくれない娘の名前を出す。

『ごめん、急に明日の朝帰ることになったの。また次の機会に連絡するね』

 あの日、私の部屋で一緒に漫画を読んだ後、彼女がどんな人生を辿ってきたのか。それが気になるのも本当。

『残念。じゃあまた』

 あっさりした彼女の返事に、私の心に広がる少しの後悔。

 でも、それでもそれ以上に、私は私の思い出が色褪せるのが怖いんだ。

 メッセージアプリを閉じてふっと息を吐き、顔を上げると正面に置かれた食器棚のガラス戸に映るのは知らないようでよく知ってるおばさん。
 その顔に微笑みかけて私は飲みかけの缶ビールに口をつけた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

危険な残業

詩織
恋愛
いつも残業の多い奈津美。そこにある人が現れいつもの残業でなくなる