君を守るため、今日も俺は君を壊す

蒼崎 旅雨

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一章

終わりの始まり

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「ねぇ、私の事は嫌い?」
 
 校舎裏に呼び出された俺に、彼女は恐る恐る、しかし真っ直ぐにこう問いかけて来た。
 
「だから何度も言ってるんだけど」
 
 俺は大きく息を吸い込み、こうはっきりと告げる。
 
「俺は、お前だけは、好きになれない」
 
「そっか、あたしじゃ、ダメなんだね」
 
 彼女は悲しげに笑いながら膝から崩れ落ち。
 
 そのまま動かなくなった。
 
 
 ——5月下旬、放課後——
 
 
 幼馴染の虹葉ななはが死んだ。
 自殺だった。
 
 第一発見者は俺。
 学校を休んだ虹葉のために、プリントを届けるだけのはずだった。
 
 彼女とは小学生からの腐れ縁みたいなもので、高校一年生の今でも同じ学校、しかも同じクラス。更に家まで近いので、時々こうやってプリントだったり、ノートだったりを届けにいくのはもう慣れたものだった。
 
 この日もそうやって、プリントを手に軒下の呼び出しボタンを押した。
 
 待っている間、何気なく映った表札に目を向ける。
 
 あぁ、そうか。今はたちばなだったか。
 
 彼女の家庭は少々複雑で、今までに4回苗字が変わっている。今の橘という苗字も、変わったのは確か一年位前だったか。
 
(まぁ、虹葉は虹葉だから、何でもいいけど)
 
 そんな事を考えながら、立ち尽くしていた。しかし、どれだけ待っても返事が無い。
 
 五月下旬の纏わり付くような湿気に、立っているだけで汗が滲み出す。どうやら雨雲が近づいて来ている様で、鈍色にびいろの空は刻一刻と暗さを増していた。
 
 もう一度ボタンを押すが、やはり返事は無い。
 
 何かがおかしいと感じた俺は、恐る恐る玄関のドアに手を掛ける。
 
 ——ドアは空いていた。
 
 警戒を高めながらドアを押す。
 
「虹葉? いるか?」
 
 部屋中に響き渡る声で呼び掛けたが、返事はない。
 
 玄関で靴を脱ぎ、彼女の部屋がある二階へと歩を進める。階段を一段上がるたびに、心拍数が一段階ずつ上がっていくのが分かった。
 
 彼女の部屋の前へと辿り着き、扉を二回ノックする。
 
 ——返事はない。
 
 それどころか、物音一つしない。
 
 嫌な予感がしたが、ここまで来たのだ。進むしかない。
 
 ドアのレバーに手を掛ける。ゆっくりと下ろし、扉を押し込む。
 
 キィという音を立てて、扉に隙間が空いた。
 
「虹葉、入るぞ」
 
 心臓は早鐘のように打ち、めまいで今にも倒れそうだったが、至極平静を装い一気に扉を開いた。
 
 
 
 ——彼女の体は宙に浮いていた。力なく垂れ下がった四肢は血が溜まってれ上がり、赤黒く染まっていた。
 
 
 声が出なかった。
 目の前で何が起きているのか理解できず、その場にへたり込む。
 虹葉は、昨日までは生きていたのに。
 あんなに笑顔を俺に向けていたのに。
 この、変わり果てた姿は何だ?
 
「き、救急車を呼ばないと」
 
 もう手遅れだという事は正直分かっていた。
 それでも、これは嘘だと信じたくて。
 慌てて携帯を取り出す。手が震えて、うまくボタンが押せなかった。
 
「あ、あの、早くっ、早く来て下さいっ」
 
 それからは、電話の向こう側の指示の通りに従った。
 
 指示された通り、警察にも連絡した。
 
 それからの事は、よく覚えていない。
 
 確か、警察署に連れて行かれ、尋問をされ。ようやく解放されたと思ったら外はもう真っ暗で。高校生が制服で出歩くような時間では無かった。
 
 親が迎えに来てくれたので帰りの心配はなかったが、内心は正直、それどころではなかった。
 
 こうして俺の長い一日と、彼女の人生が終わりを迎えた。
 
 彼女の人生はいつの間にか忘れ去られ、俺は一生悔いて生きていく。
 
 
 ……そのはずだった。
 
 
 ——それから二日後——
 
 
 その日は日曜日だった。
 
 外はきっと晴れているのだろう。
 カーテンの隙間から嫌でも差し込んでくる陽光は今の俺には明るすぎて。これ以上防げないと分かっていても、カーテンを閉め直した。
 
 それから俺は何もする気が起きず、ただベッドの上に横たわる。そうやって、そのまま一日を終えようとしていた。
 
 そんな時だった。
 
 枕元に置いた携帯が、やかましく鳴り出した。
 
 今はそんな気になれない、出なくてもいいか。とは思ったが、一応表示を確認する。
 
 表示は◯◯警察と明記されていた。
 
 警察か。流石に出た方がいいな。
 
「もしもし」
 
 俺は渋々電話を取った。
 
 それからの内容を纏めると、大体こうだ。
 少し伺いたい事があるから、警察署へもう一度来て欲しい。電話では話せないので、こうしてお伺いを立てた、と。
 
 了解の意を示し、電話を切る。
 
 今日は一日、外に出るつもりはなかったのに。
 
 とは言え警察からのお呼び出しとなっては仕方がない。断る訳にもいかないので、渋々支度をし、家を後にした。
 
 それが、全ての始まりだった。
 
 
    *    *    *
 
 
 署へと到着すると、ある小さな会議室の前へと案内された。
 
 重い扉を開け、中に入る。
 
 まず目に入ったのは、部屋の大部分を占めるテーブルだった。横長のテーブルが二つ、長方形になるように合わせられ、真ん中に置かれている。その周りを、少なくとも八人は囲んで座れそうだった
 
 そのテーブルの一番奥の端の椅子。小柄な女性が座っていた。
 
「あ、こんにちは~。君が発見者君? これからよろしく~」
 
 肩口まであるゴワゴワした黒髪を後ろに纏め、分厚いメガネをかけた女性が、こちらを見つけるなりひらひらと手を振る。よれたシャツに、日焼けのしていない血色の悪い肌が際立っていた。
 
「……こんにちは」
 
「まぁまぁ、立話たちばなしもなんだし、座ってよ」
 
 俺は促されるままに彼女の正面に座った。歳は30過ぎたくらいだろうか。目の下にクマが染み付いているので、正直何とも言えない。もしかしたら、もう少し若いのかもしれない。
 
「アタシは神崎かんざきあきら。一応、研究者をやってる者だ」
 
 よろしく、と言いながら彼女は手を差し出したが、俺は手を取らなかった。
 
 この人は信用できないと、俺の直感が告げていた。
 
 俺の態度を見た神崎は、「はぁー、最近の子って、分かんないなぁ」などとボヤきながら手を引っ込める。
 
「所で、要件は何ですか?」
 
 俺は単刀直入に聞く。
 
「あー、そうそう。どっから話そうかな」
 
 神崎は考え込み始めた。
 
 呼ぶんならちゃんと考えてから来いよと思った俺だったが、彼女が話さない限りは進まない。仕方なく次の言葉を待つ。
 
「じゃあ、まずは結論から伝えようか」
 
 そう言うと、神崎は勿体もったいぶった様に両肘をついて両手を顔の前で組んだ。
 
「二日前に亡くなった橘虹葉。彼女の人生を買うことにした」
 
「……はぁ?」
 
 俺は本気で何を言っているのかが分からなかった。
 
 
    *    *    *
 
 
「……はぁ?」
 
 少年は何を言っているのが分からないという顔のお手本の様な表情をしていた。
 
 それもそのはずだろう。
 
 死んだ人間の人生を買うとか、アタシでも正直何言っているのか分からない。
 
 でも、結果的にはそうなってしまうのだから、そう説明せざるを得ないのである。
 
 会話を続ける前に、アタシは少年をサッと観察した。
 
 中肉中背。背も平均的。黒髪。どこにでも居そうな、実に特徴の無い少年。はぁ、ほんと人間って変わり映えしない奴ばっか。
 
 あぁ、違う違う。そうじゃない。今はそんな事はどうでもいい。ちゃんと説明をしないと。後で聞いてないと言われても面倒だし。
 
「アタシは電気工学を中心に、AIと掛け合わせた技術の研究をしていてね。まぁ、わかりやすく言うとアンドロイドを作っているんだ」
 
「は、はぁ……」
 
「昨今の技術の進化は目覚ましくてね。もうほとんど人間に近しいレベルにまで到達したんだ。人工の皮膚はリアルな皺も寄せられる様になったし、見た目は人間と殆ど相違はない。最近のAI技術の進化は凄まじく、思考や姿勢の制御のみならず、感情の模倣も完璧に近い精度だ」
 
「それと、何の関係があるんですか?」
 
「だからアタシは、橘虹葉を真似たアンドロイドで彼女の人生の続きをすることにしたんだ」
 
「どう言うことだ」
 
 少年の表情が一瞬で強張るのが分かった。
 ま、普通はそうなるわな。
 
「言った通りさ。アタシが作ったアンドロイドで、彼女のフリをしてもらうんだ。いやー、前から探してたんだよね、世間にまだ知られてない死体。そこに丁度彼女が来てくれてさ。死んだ事を知っているのはご家族と君だけときた。入れ替わるなら好都合ってわ……」
 
 少年は急いで椅子から立ち上がると、こちらに無言でずんずんと歩み寄って来る。
 
 そして目の前に立つなり、私の話を遮って胸ぐらを掴み上げた。
 
「虹葉が死んでくれてよかったって言ってるのか?」
 
「そこまでは言ってないよ。ただ、タイミングが合ってたってだけ」
 
 少年の顔が紅潮していく。
 
「仮にタイミングが合ったとして。そんな事が、許されると思ってんのか?」
 
 うわー、めっちゃ睨んでくるじゃん。こわ。
 
「いやいや、実に合理的じゃない?」
 
「虹葉の死をけがすんじゃない!」
 
「そんな事ないよ? アタシの作ろうとしてるアンドロイドって、人類全員に愛される事は可能かの検証をする為にやるんだし。あと、どれだけ人間に溶け込んで気付かれないか。この二点の実地試験だね」
 
「でも、そんな事は虹葉は望んでいないっ」
 
「何で君がそんな事分かるのさ。死んだんだよ? 彼女」
 
 少年は拳を振り上げ、目に涙を滲ませながらこちらを睨みつける。胸ぐらを掴む手にさらに力が入るのが分かった。
 アタシは殴られる事を覚悟して、目を瞑った。
 
 が、何も起きない。
 
 恐る恐る目を開くと、少年の拳は振り上げられたままである。力を籠めすぎているのか、ブルブルと震えている。きっと今も自分と葛藤しているのだろう。
 
「君、強いんだね」
 
 アタシがそう呟くと、少年はゆっくりと拳を下ろし、胸ぐらを掴んでいた手も離した。
 
「アンタを殴った所で、虹葉は帰ってこない」
 
「確かに、合理的な判断だ。嫌いじゃない」
 
「でも俺は、アンタを許すつもりはないし、この話に賛同する気はない」
 
 まーそうだわな。ここまで怒りを露わにするくらいだ。彼女とは親しい仲だったのだろう。
 
 が、そんなものは至極どうでもいい。
 
「お気持ち表明された所すまないが、少年。君に選択権は無いんだわ」
 
「……は?」
 
「今日君を呼んだのは、後日学校で会うだろう橘虹葉の正体を口外しない事。その為の契約書に同意させる為だけなんだからね」
 
「おい、何でそうなるんだよ」
 
 少年は再び拳を強く握り締めた。
 
「もうご両親から承諾は得てるんだ。協力すればそれなりの額が支給されるからね。お金さえ貰えればいいそうだ。全く、アタシが言うのもなんだけど、酷い親みたいだね」
 
 少年も心当たりがあったのだろう。苦虫を噛み潰したように顔に皺を寄せ、目線を下げた。
 
「俺は、認めないぞ。絶対に、認めない」
 
「うーん。いいけど、その場合、君達家族には実地試験が終わるまでどっかに隠れてもらわないといけなくなっちゃうんだよね。流石に殺す事は出来ないからさ。かと言って野放しにする事も出来ない。実質監禁だね」
 
「——っ」
 
 家族という言葉を聞いて、少年は一瞬だけ目を見開いた。きっとこの子、優しい家庭で愛されて育ったんだろうな。昔のアタシだったら舌打ちが出ていた所だ。
 
「だから、君はこの箝口令かんこうれいに同意するしかない」
 
「初めからそのつもりだったんだな」
 
「そうだよ。大人ってズルいのさ」
 
 アタシは少年の前に書類を数枚広げた。
 
「これに全部名前書いてねー。あ、分からない所はちゃんと答えるよ。契約って、そういう物だからね」
 
 初めはどうするか渋っていた様子の少年だったが、観念したのだろう。眉間に皺を寄せながら資料に目を通し始めた。どうやら書類の規約は目を通すタイプのようで、一枚ずつ真剣な面持ちで確認を進めている。
 
 ふと、少年の手が止まった。
 
 ある項目を何回も読み返しているようだ。眉根の皺がいっそう深まる。
 
「なぁ、ここの『やむを得ない事情で防衛機能が発現する可能性があります。その際の責任は負いかねます』って、何のことだ」
 
「あー、それね。簡単に言うと、正当防衛みたいな感じだと思ってくれていい。殴られたら殴り返しても文句は言うんじゃねーぞって話」
 
「ふーん。物騒だな」
 
 少年は納得して読み進める作業を再開した。
 
(ま、実際そうならなければいいね)
 
 少年が読み終わったタイミングを見計らって、アタシはペンを差し出した。少年はこちらを睨みつけた後、静かにペンを取った。
 
 
 ——一週間後、月曜日——
 
 
 変わらない朝、変わらない通学路、変わらない教室。
 開けっぱなしの扉から教室へと足を踏み入れる。
 窓際の俺の席。その隣の虹葉の席だった場所に、それはもう座っていた。
 
 橘虹葉と同じ顔、同じ体で、まるでずっと前から居たように座り、彼女の友人だった者と何食わぬ顔で会話をしていた。
 
 彼女は俺に気付いたのか、こちらに視線を移した後。
 
「おはよう! 今野いまのくん」
 
 俺に笑顔で挨拶をした。
 
 虹葉と同じ声がした。
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