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6話 エピローグ

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 眩し~い。

「か、香苗」懐かしい声。
「先生呼んできます」バタバタと走りだした若い人の声も聞こえた

 本当に眠っていたらしい。笑うしかない。
 目覚めた私を母は泣きながら力一杯に抱きしめてくれた。
 その温かさと力強さを感じて帰れてよかった、と実感した。

 あのまま向こうにいてもいいかと思っていた事もあるが、絶対にここが私の居るべき場所だ。

 しばらく話していなかったので、最初は声もまともに出せなかった。
 リハビリで声がだせるようになって、何とか会話ができるようになっていった。

 電車の中で意識を失い、数ヶ月眠っていたらしい。
 自分ながら情けない。
 アパートは引き払い、今は田舎の病院に入院しているとの事だった。
 会社をクビになっていなかったのが予想外だった。

 何とか自分でトイレにいけるようになった頃、部長が面会にきた。
 一児の母で仕事もできる尊敬の人だ。なんとなくマヌレフルスさんに似てるかも。

「失恋で意識失うだなんて、乙女か」
 二人っきりになった瞬間に部長が言ってきた。
「気づかれていないと思ってたの、会社には人生の先輩が多いんだよ舐めすぎ」
 とカラカラ笑われた、なぜかこの軽さは気持ちがいい。

「心配してたんだよ、あんなクズ男に引っかかって」
 あははと笑いながら「クズでしたね」と同意する。
「おや、その認識があるんだ、じゃあもう大丈夫だね。お祝いに面白い話をしてあげよう」
 悪い顔しながら言い始めたので身構えてしまった。

「貴方、あの日サーバーの個人パスワード変えたでしょう」
 思わぬ事を聞かれた。思い出してみる。
 元々は彼の誕生日がパスワードだった、それが振られたのがショックで変えたような気がする。
「はい、変えたと思います」そう言えばパスワードなんにしたんだっけ。
「貴方のIDで入ろうとした人がいたの、パスワードが変わっていたから入れなかったようだけど。貴方が入院している時にエラーログが吐きだされたからシステム部が怪しんで罠にかけた。犯人はクズ野郎、サーバー内にあった資料が目的だったみたい」
「どれだったんでしょう」心当たりがない。

「サーバー内に個人的な資料を貴方のところに保存してしまったため回収しようとしてた、だなんて無茶苦茶な嘘をついて。渡してあげるからどのファイルなのか指定してと連絡したらそれっきり」
 何が欲しかったんだろう、会社のサーバーには書きかけの企画書しかなかったはず。
「彼、貴方の企画が欲しかった見たい」
「はぁ」

「見たけど面白いものばかりだった。貴方は視野が他の人と違うのよ、斬新だった」
 面白い見方だとは言われたことはある、でも同時に普通の目で見直せとも。
「彼が貴方を囲い込もうと必死だったのは、その才能を独り占めしたかったんだと思う。それに、あれを見てここ数年で彼が躍進した理由も納得できた」
「いつもダメだしばかりでしたが」
「経験不足は仕方がないよ、でも少し助言すれば実際に使えそうなものばかりだった。オリジナリティも高く、ちょっとくらい修正した物を他人が自分の企画として提出していいレベルのものじゃない」

「あのクズ男、順調に出世してたのになんで会社辞めたかしってる?」
「いいえ。辞めると聞いたのもあの日が初めてだったので」
 チリチリと焦げ臭いが、痛くなるほどではない。少なくとも私には過去の話しだ。
 彼にフラれた時と今の間には異世界の話が入る。異世界前の話にはリアル感が薄れている。

「加賀グループのお嬢様と婚約したそうよ」
「そうなんですか」嫉妬や恨みの熱は生まれない。
「本当に大丈夫そうね」まじまじと顔を覗き込まれた。
「お嬢様は8歳年上の綺麗な人で、今までに2回婚約している。今回で3回目」
「え!」
年上はおばさんにしか見えないと言っていた彼が、婚約3回目って、前の2回は?
「お爺さまの花婿修行はかなり厳しいって噂ね。前の2人は逃げ出している、彼大丈夫かしら?」
 と笑った。つられて私も笑う。

「バカ話はここまで。会社としては優秀な社員を手放したくない。テレワークが使えるから半年に1回くらい顔を出してもらえればこっちにいてもいい。勤務時間も体の回復状況に合わせて大丈夫だから」

 ーーーーー

『世界は平和になり、みんな幸せに暮らしました。めでたしめでたし』
 そしてアップ。

「なんて安い話だ」
「いいじゃない、古くからある定番はみんなの幸せの平均値」

 外を歩けるようになると、リハビリを兼ねて大好きだった近所のカフェに来るのが日課になった。
 今日は長年更新が止まっていた物語を終わらせた。魔王が乙女で勇者に一目惚れしていきなりENDになる強引なものだが、みんなが幸せになった。
 文句は言わせない。
 大事な事なので2回いう、みんなが幸せになった、文句は言わせない。

 ガトーショコラを食べる、幸せだ。
「私にも一口くれ」と横から顔を出す。
 この店はゲージの中ならペット同伴がゆるされている。

「ロクもあの"世界の終焉に"立ち会えたんだから文句はそこまで。ケーキあげないよ」
 にゃーとわざとらしく甘えてくる。

 退院して家の部屋で目覚めた最初の朝、布団の上に黒猫がいて
「お前が来るのを待っていた、病院では見つかるとすぐに追い出されてしまうからな」と喋った時には涙がでた。

「話せるなど当たり前だ。お前とも普通に会話していただろう」
 それはあの世界だからだ。こっちで猫が話せば驚く。

 ロクがいる、あの世界での出来事が夢でないという事だ。
 いや私がやばいやつで、あれはやはり夢でロクとの会話も私の妄想で聞こえているのかもしれない。
 それでもいい、私がそう感じているのだから。

 カラン、ドア鈴が鳴る。
 ランチのお客さんが入り始めたようだ、資料は家に帰ってゆっくり読もう。
 ノートパソコンを畳んで立ち上がる。
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