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16話 聖母主と呼ばれた女

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「二人とも大丈夫ですか!? 今の物凄い音はなんですか!?」

 焦った表情でマリナはテントに駆け寄ってきた。
 汲んでいたはずの水はバケツから見事に無くなっていた。

「マリナさん。テント設営中に突然ドーベルファングに襲われまして……。そこをヴァニラ様にお助けいただいたのです」

「――ヴァニラ様に……!? しかし、今の威力はヴァニラ様のそれを遥かに超えていたはず……でももしかしたら」
「――もしかしたら。なんですか?」
「い、いえ。なんでもありません。私は水を組み直してきます」
「うん! ヴァニラがここを見ててあげるね」

 少し自慢げなヴァニラにマリナは顔を顰める。

「ええ。お嬢様にお任せすれば百人力かもしれません。しかし油断は禁物ですよ? 夜にだけ活動する強敵も居ますから。そして――」
「悪い子がいれば私がお化けを呼んだりしちゃうかも……」

 お化けという言葉を聞いた瞬間ヴァニラは咄嗟にカバンに駆け寄り、いつものぬいぐるみを抱きしめる。
 ああ。
 たしかに青年期でもお化けと雷が怖いという可愛いヒロイン特性があったな。

 誰かか毎晩枕元にいる気がするって。

「お化け呼べるの……?」
「いい子にしていたら呼びませんとも」
「わかった……ヴァニラいい子で待ってるからお化け呼ばないって約束!」
「はい」

 その後ヴァニラは率先してご飯の手伝いや後片付けをしてくれた。

「子供に言うことを聞かせたい時はやっぱりどこの世界でもお化けが有効なんだな」
 まぁ俺には一生縁が無い話ではあるが。

 俺はそんなくだらないことを呟きながら遥か遠くの星で埋め尽くされた大海原を一人大木の上から見上げていた。

「――こんなところに居ましたか」
「――! マリナさん。ヴァニラ様はどうされたのですか?」
「いましがた寝てくれました――良かった。ここならヴァニラ様のテントも見下ろせるのでお話ししても安心ですね」

 やはり何か話すべき事案があるみたいだな。

「僕になにか?」
「単刀直入に聞きます。先程の火炎魔法は本当にヴァニラ様が放った魔法でしょうか?」
「ええ。私がこの両の目で確認しました」

「そうですか……やはり旦那様の見立ては正しかったのでしょうか」
「エリクス様……ですか?」

 これまた意外な名前が出てきたな。

「はい。正直に申しますとヴァニラ様には魔法の才は無いとされてきましたが、先日旦那様との訓練中に凄まじい威力の魔法をお使いになったとの話を聞きました」

 やっぱり屋敷内でも噂が回っているようだ。

「私も風の噂で聞きましたが……しかし旦那様はなんと?」

「そうですね――シュント君はアクリシア様の事はご存じですか?」
「は、はい。ミルボナさんからお名前程度は……」

 アクリシア? 
 ミルボナさんの話だとエリクスはアクリシアの名前を出すだけで激昂するとか言ってなったか?

「旦那様は仰っていました……聖母主と呼ばれた母親の才を継承したのかもしれないと……」
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