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2章 猫の休暇
4 市場で
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◆◆◆◆◆
「買い付けってなに買うの?」
市場には、様々な国からポリスタブの港に運ばれて来た品々が並ぶ。
大きな建物の中に、何百もの店がところ狭しと立ち並ぶ様子は圧巻だ。
三人は、衣料品や小物が並ぶ界隈をうろついていた。
「ボタンと染料ね。後は道具類もちょっと見たいかな……」
男二人は、編み物のことなどさっぱりわからないので、ただ後をついて荷物持ちに徹するしかない。
大陸中から集められたボタンだけを扱う店に入ると、アネタは熱心に商品を選び始めた。
動物の骨や木などの安価なボタンは、透明な瓶の中に入れられ量り売りされている。ガラスや貴重な貝殻でできたボタンは、まるで宝石のように綺麗に飾って並べてあった。
アネタのような客が他にもたくさんおり、誰もが無心になってボタンに見入っている。
(みんな姉ちゃんみたいな仕事してる人たちなのかな?)
レネはなんだか、自分が知っている世界とは違う世界を覗いているようで、楽しくなってきた。
アネタが働くジェゼロの編み物工房は、編地がよく見えるように南側の陽当たりの良い立地にある。
暖炉がある暖かい部屋で、女たちが集まってワイワイしながら編み物をしている光景は、レネのいる殺伐とした世界とは対極だ。
いつ顔を出してもお茶と甘いお菓子があり、部屋全体にいい香りが漂っていた。
その中に混じって編み物をするアネタの姿は、レネにとってはまるで平和の象徴のような存在だ。
「レネ、顔が緩んでる」
「うるさいな、あんたに言われたくないよ」
いつの間にか、笑顔でボリスがこっちを見ていた。
頭の中を覗かれたようで、レネは居心地が悪かった。
「アネタの真剣な顔も素敵だね。お前もアネタが編み物する姿を想像してたんだろ?」
悔しいが、図星だ。
「わかってるなら訊くなよ」
横目でボリスを睨む。
その後も染料を専門に扱う店を何軒もまわり、よくわからない植物の根と鉱物のようなものを買い、織機や編み物の道具の店を見た。
気が付くとボリスとレネは買ったもので両手がいっぱいだ。
「あ~疲れた……ねえ、まだどこか見んの?」
昨日の今日だ。レネは少し疲れてきた。
「なに、そんなに荷物持ちが嫌なの?」
アネタがムッとした顔でレネの方を振り返るが、すぐ真剣な表情に変わったことにレネは気付く。
「——あんたその顔色……具合でも悪いの?」
(あれっ……もしかしてヤバい?)
「だって昨日まで仕事してたんだよ、そりゃあ疲れるよ……」
なんでもない風に言って、できるだけアネタを心配させないようにする。
「護衛の仕事はハードだからね」
ボリスもアネタの関心をレネから外そうとフォローする。
「じゃあ、今日はもう宿に帰ろっか……」
アネタは神妙な顔でレネを見つめ、弟の荷物を半分奪って、くしゃっと笑って踵を返す。
せっかくアネタが楽しそうに買い物をしてたのに、水を差すようなことをしてしまった。
(はーっ……気を遣わせちゃった……)
レネは独り自己嫌悪に陥り、トボトボと二人の後ろを付いて行く。
専門街を抜け、多くの人が行きかう食料品を扱うエリアに差しかかった。
専門品を扱う店は屋内に、それ以外の店は屋外にあり定期的に店が入れ替わっているようだ。
近隣の村からやって来て荷車にそのまま野菜を乗せて売っている農民や、乾燥した海産物を売る漁師の妻たち、手作りのチーズを売る羊飼い、見ているだけで面白い。
ふと見ると、アネタの方に小さな女の子が近付いていく。他の客と比べ、明らかに動きがおかしい。
(——あの子、スリだっ!)
「姉ちゃんッ!」
「えっ、なに?」
アネタはキョトンとした顔でレネを振り返る。
「スリだっ、待てッ!」
レネが女の子の後を追いかけるが、チョロチョロと人ごみの中を縫うように走って逃げていき、とうとう見失ってしまった。
「——工房のお財布を掏《す》られたみたい……」
アネタたちの所に戻ると、深刻な顔をしてアネタが項垂れていた。
「中に幾らくらい入ってたの?」
ボリスが落ち着けるように、アネタの背中をさすりながら優しく尋ねる。
「仕入れは終わったから、3000ぺリアくらい……金額は弁償できるとしても、領収書も中に入れてたから……どうしよう……」
さっきまではあんなに幸せそうな顔をしていたアネタが、今ではこの世の終わりの様な顔をしている。
レネが疲れを訴え始めたあたりから、なんだか雲行きが怪しくなってきたのだ。
(ああ……オレがもっとしっかりして、二人から遅れなければ財布を掏られることも……)
「ほらほら、二人ともそんな悲しい顔をしないで。こんな状況じゃどうしようもないよ。とにかく荷物を置きに一度宿へ戻ろう」
ボリスは姉弟の肩をポンポンと叩くと、元気を出すように励ました。
「——レネ、大丈夫か? ちょっと今日は無理しすぎたのかもしれないね」
あれからアネタたちが泊っている宿に行って、レネは別に部屋をとりしばらく休んでいた。
まだ少し身体に倦怠感がある。
「ごめん。こんなつもりじゃなかったんだけど。財布も掏られたし、姉ちゃん沈んでるだろ?」
寝台の背もたれに身体を預け座り直すと、レネは申し訳なさそうにボリスを見上げる。
ボリスはクスっと笑ってレネの頬を撫でた。
「アネタは厨房に部屋へ今夜の夕食を運んでもらうように頼みに行ってる。それと財布は取り戻したから、心配しなくていいよ」
「え……取り戻したって?」
「実は、あれから私一人であのスリの子を探し出してね、財布は無事に返してもらったよ」
まさかの展開に、レネは黄緑色の目を見開いた。
「買い付けってなに買うの?」
市場には、様々な国からポリスタブの港に運ばれて来た品々が並ぶ。
大きな建物の中に、何百もの店がところ狭しと立ち並ぶ様子は圧巻だ。
三人は、衣料品や小物が並ぶ界隈をうろついていた。
「ボタンと染料ね。後は道具類もちょっと見たいかな……」
男二人は、編み物のことなどさっぱりわからないので、ただ後をついて荷物持ちに徹するしかない。
大陸中から集められたボタンだけを扱う店に入ると、アネタは熱心に商品を選び始めた。
動物の骨や木などの安価なボタンは、透明な瓶の中に入れられ量り売りされている。ガラスや貴重な貝殻でできたボタンは、まるで宝石のように綺麗に飾って並べてあった。
アネタのような客が他にもたくさんおり、誰もが無心になってボタンに見入っている。
(みんな姉ちゃんみたいな仕事してる人たちなのかな?)
レネはなんだか、自分が知っている世界とは違う世界を覗いているようで、楽しくなってきた。
アネタが働くジェゼロの編み物工房は、編地がよく見えるように南側の陽当たりの良い立地にある。
暖炉がある暖かい部屋で、女たちが集まってワイワイしながら編み物をしている光景は、レネのいる殺伐とした世界とは対極だ。
いつ顔を出してもお茶と甘いお菓子があり、部屋全体にいい香りが漂っていた。
その中に混じって編み物をするアネタの姿は、レネにとってはまるで平和の象徴のような存在だ。
「レネ、顔が緩んでる」
「うるさいな、あんたに言われたくないよ」
いつの間にか、笑顔でボリスがこっちを見ていた。
頭の中を覗かれたようで、レネは居心地が悪かった。
「アネタの真剣な顔も素敵だね。お前もアネタが編み物する姿を想像してたんだろ?」
悔しいが、図星だ。
「わかってるなら訊くなよ」
横目でボリスを睨む。
その後も染料を専門に扱う店を何軒もまわり、よくわからない植物の根と鉱物のようなものを買い、織機や編み物の道具の店を見た。
気が付くとボリスとレネは買ったもので両手がいっぱいだ。
「あ~疲れた……ねえ、まだどこか見んの?」
昨日の今日だ。レネは少し疲れてきた。
「なに、そんなに荷物持ちが嫌なの?」
アネタがムッとした顔でレネの方を振り返るが、すぐ真剣な表情に変わったことにレネは気付く。
「——あんたその顔色……具合でも悪いの?」
(あれっ……もしかしてヤバい?)
「だって昨日まで仕事してたんだよ、そりゃあ疲れるよ……」
なんでもない風に言って、できるだけアネタを心配させないようにする。
「護衛の仕事はハードだからね」
ボリスもアネタの関心をレネから外そうとフォローする。
「じゃあ、今日はもう宿に帰ろっか……」
アネタは神妙な顔でレネを見つめ、弟の荷物を半分奪って、くしゃっと笑って踵を返す。
せっかくアネタが楽しそうに買い物をしてたのに、水を差すようなことをしてしまった。
(はーっ……気を遣わせちゃった……)
レネは独り自己嫌悪に陥り、トボトボと二人の後ろを付いて行く。
専門街を抜け、多くの人が行きかう食料品を扱うエリアに差しかかった。
専門品を扱う店は屋内に、それ以外の店は屋外にあり定期的に店が入れ替わっているようだ。
近隣の村からやって来て荷車にそのまま野菜を乗せて売っている農民や、乾燥した海産物を売る漁師の妻たち、手作りのチーズを売る羊飼い、見ているだけで面白い。
ふと見ると、アネタの方に小さな女の子が近付いていく。他の客と比べ、明らかに動きがおかしい。
(——あの子、スリだっ!)
「姉ちゃんッ!」
「えっ、なに?」
アネタはキョトンとした顔でレネを振り返る。
「スリだっ、待てッ!」
レネが女の子の後を追いかけるが、チョロチョロと人ごみの中を縫うように走って逃げていき、とうとう見失ってしまった。
「——工房のお財布を掏《す》られたみたい……」
アネタたちの所に戻ると、深刻な顔をしてアネタが項垂れていた。
「中に幾らくらい入ってたの?」
ボリスが落ち着けるように、アネタの背中をさすりながら優しく尋ねる。
「仕入れは終わったから、3000ぺリアくらい……金額は弁償できるとしても、領収書も中に入れてたから……どうしよう……」
さっきまではあんなに幸せそうな顔をしていたアネタが、今ではこの世の終わりの様な顔をしている。
レネが疲れを訴え始めたあたりから、なんだか雲行きが怪しくなってきたのだ。
(ああ……オレがもっとしっかりして、二人から遅れなければ財布を掏られることも……)
「ほらほら、二人ともそんな悲しい顔をしないで。こんな状況じゃどうしようもないよ。とにかく荷物を置きに一度宿へ戻ろう」
ボリスは姉弟の肩をポンポンと叩くと、元気を出すように励ました。
「——レネ、大丈夫か? ちょっと今日は無理しすぎたのかもしれないね」
あれからアネタたちが泊っている宿に行って、レネは別に部屋をとりしばらく休んでいた。
まだ少し身体に倦怠感がある。
「ごめん。こんなつもりじゃなかったんだけど。財布も掏られたし、姉ちゃん沈んでるだろ?」
寝台の背もたれに身体を預け座り直すと、レネは申し訳なさそうにボリスを見上げる。
ボリスはクスっと笑ってレネの頬を撫でた。
「アネタは厨房に部屋へ今夜の夕食を運んでもらうように頼みに行ってる。それと財布は取り戻したから、心配しなくていいよ」
「え……取り戻したって?」
「実は、あれから私一人であのスリの子を探し出してね、財布は無事に返してもらったよ」
まさかの展開に、レネは黄緑色の目を見開いた。
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