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4章 見習い団員ヴィートの葛藤
1 見習いの仕事
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ヴィートはジェゼロから慣れない乗馬でメストへと到着した。
ポリスタブも大きな港街だったが、生まれて初めて訪れた王都メストは想像を超えていた。
都会の洗練された街並みもそうだが、すべての規模が自分の生まれ育った港街とは違った。周囲を見渡しても、どこまでも街が続いている。
広い通りには、貴族や金持ちの乗った馬車が次々と行き交い、歩道を歩くのもおっかなびっくりだ。
ヴィートは自分が田舎者になったような気後れを感じた。
着いたその日はミルシェと一緒に宿へ泊まり、翌日にリーパ護衛団の本部を訪れた。
他の入団希望者たちと一緒に、簡単な実技試験と団長面接を受け、ヴィートは無事リーパ護衛団に入団することができた。
見習い五日目。
現在は、日替わりで表門と裏門の警備を行っている。
見習いの仕事の一つだ。
今日は裏門の日であと少しすれば交代の時間だ。
初日は槍を持って、鍛練所で門番の講習を受けた。
その後は、一日の半分は門番、半分は剣や槍の鍛練を行う毎日を繰り返している。
見習い期間である半年間は、本部に住み込みで仕事に当たる。
三階にある仮眠室で寝起きしている。
寝台は二段ベッドになっており、護衛たちの出入りが常にあって、初日は熟睡できなかった。
しかしいざ研修と門番が始まると、疲労のためにあっという間に夢の世界に旅立てるから不思議だ。
妹のミルシェはまだ行き先が決まらない。
今は同じ敷地内の団長の私邸で働く、使用人の夫婦の所でお世話になっている。
日中は本部内にある食堂で、仕込みの手伝いなどをしているようだ。
団長の私邸はヴィートのような見習いごときが近づける場所ではない。
兄妹で顔を合わせることができるよう、団長が気にかけてわざわざ本部の厨房にミルシェを通わせてくれていると聞いた。
妹は料理ができないが、野菜を洗ったり皮を剥いたりはできるだろう。なので少しは役に立っていると思う。
まだ十日も経っていないが、スリをしていたころよりもなんだか楽しそうだ。だから妹のことはあまり心配していない。
兄妹にとって衣食住が確保され、何者にも脅かされずに暮らすことが、どれだけ心の安寧をもたらしているか。
ヴィートは真夜中の門番だろうが、隣から響く煩いいびきも気にしない。
しかし……一つ気になることがある。
勝負に負けて、ここに連れてこられたのはいいが、本部に着いてからレネとは一度も顔を合わせていない。
自分がここへ連れて来ておきながら、少し無責任ではないかと、ヴィートは不満を募らせていた。
というよりも、いきなり環境が変わり周りは知らない人間ばかりなので心細かった。
「——あれ……団員が帰って来たぞ」
複数の馬の蹄の音と共に、松葉色のサーコートを着た集団が現れる。
男たちの血濡れた服は任務中に戦闘があったことを物語っている。
纏っている空気が、今まで会った団員たちとはまったく違った。
一番前を行く漆黒の肌の男が、鋭い目でギロリとヴィートたちの方を睨む。
目が合っただけで、ゾクリと背筋が寒くなるほどの殺気を感じた。
(なんだコイツら……)
ヴィートともう一人の護衛は門を開き、緊張の面持ちで団員たちを迎え入れる。
(あっ……!)
続々と馬に乗った団員たちが裏門を潜り入っていくなか、後ろにヴィートは見知った人物たちを見つけて、思わず驚きの声を上げそうになった。
背の高いボリスと……その後ろにはレネがいた。
警備の時は私語厳禁なので、ヴィートからは声などかけられない。
無精髭のせいかボリスと気付くまで時間がかかったが、その後ろにいたレネは、集団の中で違和感があるくらいつるりとした顔をしている。
しかし纏っている殺伐とした空気は他と同じだった。
ポリスタブからメストに移動してくるまで、ミルシェの世話を焼いたり、初めての乗馬に手こずるヴィートへ優しく手ほどきしてくれたレネとはまるで別人だ。
マウントを取られ、気を失うまで殴られた時の興奮が蘇り、ヴィートは身体じゅうの血が滾ってくるのを感じた。
「——初めて見た……」
私語禁止なのだが、何度か門番で一緒になったことのあるエミルも驚愕しているようで、ついつい独り言を漏らしていた。
(そういうことだったのか……)
ヴィートは一人納得する。
あれからレネは、仕事でここを離れていたから顔を合わせることがなかったのだ。
◆◆◆◆◆
二階にある執務室では、クレノット村から帰って来た団員たちが、団長のバルナバーシュへの報告を行っていた。
「——盗賊団を殲滅させ、無事に儀式は成功した……と」
バルナバーシュはそう言いながら、団員たちへ右から左へと視線を走らせ、レネの前でピタリと止まった。
「おい、なんだ? 腰から提げてるガラクタみたいなその剣は」
ボリスとは少し色味の違うヘーゼルの瞳を眇めて、レネを睨み付ける。
「戦ってる途中で自分の剣が折れたんで……仕方なくこれで」
鬼団長として恐れられているバルナバーシュに睨まれ、平常心を保つことなどできない。
レネはしどろもどろになりながら、ことの経緯を説明する。
厳ついだけではなく、その顔立ちが恐ろしく整っているので、よけいに凄みが増すのだ。
「ほう……相手はどんな奴だった?」
バルナバーシュは座っている長い足を組みなおすと、興味深げに話の続きを促す。
悔しいがそんな姿でさえいちいち様になる。
「盗賊の首領で、バスタードソードを使っていて、東国の戦争の時にオレと同じような太刀筋の敵とよく戦ったと言ってました」
バルナバーシュの後ろで聞いていたルカーシュがピクリと反応する。
「なるほど、昔コジャーツカ族と戦ってたんだな。——で、お前は剣を折られてなんで生きてるんだ?」
ニヤリと笑ってバルナバーシュは訊いてくる。レネの傷口を抉るように。
あの時の悔しさが蘇り、レネは唇を噛み締める。
「止めを刺される前に……ゼラが助けてくれました」
ダンッ——と机の上を叩く音と同時に、部屋中にバルナバーシュの恫喝が響く。
「そんな悔しそうな顔するくらいなら最初っから負けんじゃねーよっ!」
他の団員たちさえ目を泳がせるほどの迫力だ。
レネはこれまで何度も団長から怒鳴られてきたが、いまだに背中に冷たい汗を掻く。
「この前も怪我をして……どうやら鍛え方が足りないみたいだな? お前は両手剣の相手に弱い。ちょうど俺も身体が鈍ってたとこなんだよ、明日の朝、一から叩き直してやるから覚悟しとけ。あとゼラ、お前も来い」
「っ……!?」
思わぬ展開にレネは目を瞠る。
バルナバーシュから直接稽古をつけてもらったのはもう半年以上前だ。
最後はどうなったか覚えてない。気が付いたら救護室に寝かされていた。
明日ゼラも加わるのならば……間違いなく地獄を見るだろう。
しかしそれは、バルナバーシュの愛情の裏返しだということは理解している。……一応。
今回だって命を落としていてもおかしくなかった。「あっ」と思った時では遅いのだ。
それを自力で回避するには、自分より強い相手と何度も繰り返し稽古するしか方法はない。
「すまん、脱線したな……で、盗賊団の首領の息子はどうなったんだ?」
こんな時でも冷静なボリスが話を続ける。
「本来なら村を追放だったのですが、他の二人が村人を説得してそれを免れたようです」
「俺も戦争に行ってたからわかるけど、雇い主が戦死して金が未払いになるなんてよくあるこどだ。出稼ぎに行って大金を持って帰るはずが、当てが外れて帰るに帰れなくなっちまったんだろうな。息子まで住む所を失わなくて良かったな」
バルナバーシュは仕事の邪魔をされたのに、なぜかシャーウール親子に同情的だ。
自分も同じ戦争に行っていたからだろうか……?
レネはぼんやりとそんな風に思う。
でも本当に、ヨナターンはそれで幸せなのかどうかはわからない。
ダヴィドに対する想いは友情の枠から少し超えて見えた。
村に着いた時、ダヴィドの許嫁という娘が人目も憚らずダヴィドに抱き付いていたのを、ヨナターンはなんでもないことのように見ていた。
来年にはダヴィドは許嫁の娘と結婚式を挙げると言っていたが、ヨナターンはどんな気持ちでこれから過ごしていくのだろうか?
泉のほとりで、お揃いの頬の痣を見て笑い合った時の顔が忘れられない。
(ヨナターン……)
「おい、なにボケっとしてんだよ。早く風呂入って飯食うぞ」
いつの間に団長への報告は終わっていたのか、一人で物思いに耽っていたレネを、カレルが部屋の外へと引っ張って行く。
ポリスタブも大きな港街だったが、生まれて初めて訪れた王都メストは想像を超えていた。
都会の洗練された街並みもそうだが、すべての規模が自分の生まれ育った港街とは違った。周囲を見渡しても、どこまでも街が続いている。
広い通りには、貴族や金持ちの乗った馬車が次々と行き交い、歩道を歩くのもおっかなびっくりだ。
ヴィートは自分が田舎者になったような気後れを感じた。
着いたその日はミルシェと一緒に宿へ泊まり、翌日にリーパ護衛団の本部を訪れた。
他の入団希望者たちと一緒に、簡単な実技試験と団長面接を受け、ヴィートは無事リーパ護衛団に入団することができた。
見習い五日目。
現在は、日替わりで表門と裏門の警備を行っている。
見習いの仕事の一つだ。
今日は裏門の日であと少しすれば交代の時間だ。
初日は槍を持って、鍛練所で門番の講習を受けた。
その後は、一日の半分は門番、半分は剣や槍の鍛練を行う毎日を繰り返している。
見習い期間である半年間は、本部に住み込みで仕事に当たる。
三階にある仮眠室で寝起きしている。
寝台は二段ベッドになっており、護衛たちの出入りが常にあって、初日は熟睡できなかった。
しかしいざ研修と門番が始まると、疲労のためにあっという間に夢の世界に旅立てるから不思議だ。
妹のミルシェはまだ行き先が決まらない。
今は同じ敷地内の団長の私邸で働く、使用人の夫婦の所でお世話になっている。
日中は本部内にある食堂で、仕込みの手伝いなどをしているようだ。
団長の私邸はヴィートのような見習いごときが近づける場所ではない。
兄妹で顔を合わせることができるよう、団長が気にかけてわざわざ本部の厨房にミルシェを通わせてくれていると聞いた。
妹は料理ができないが、野菜を洗ったり皮を剥いたりはできるだろう。なので少しは役に立っていると思う。
まだ十日も経っていないが、スリをしていたころよりもなんだか楽しそうだ。だから妹のことはあまり心配していない。
兄妹にとって衣食住が確保され、何者にも脅かされずに暮らすことが、どれだけ心の安寧をもたらしているか。
ヴィートは真夜中の門番だろうが、隣から響く煩いいびきも気にしない。
しかし……一つ気になることがある。
勝負に負けて、ここに連れてこられたのはいいが、本部に着いてからレネとは一度も顔を合わせていない。
自分がここへ連れて来ておきながら、少し無責任ではないかと、ヴィートは不満を募らせていた。
というよりも、いきなり環境が変わり周りは知らない人間ばかりなので心細かった。
「——あれ……団員が帰って来たぞ」
複数の馬の蹄の音と共に、松葉色のサーコートを着た集団が現れる。
男たちの血濡れた服は任務中に戦闘があったことを物語っている。
纏っている空気が、今まで会った団員たちとはまったく違った。
一番前を行く漆黒の肌の男が、鋭い目でギロリとヴィートたちの方を睨む。
目が合っただけで、ゾクリと背筋が寒くなるほどの殺気を感じた。
(なんだコイツら……)
ヴィートともう一人の護衛は門を開き、緊張の面持ちで団員たちを迎え入れる。
(あっ……!)
続々と馬に乗った団員たちが裏門を潜り入っていくなか、後ろにヴィートは見知った人物たちを見つけて、思わず驚きの声を上げそうになった。
背の高いボリスと……その後ろにはレネがいた。
警備の時は私語厳禁なので、ヴィートからは声などかけられない。
無精髭のせいかボリスと気付くまで時間がかかったが、その後ろにいたレネは、集団の中で違和感があるくらいつるりとした顔をしている。
しかし纏っている殺伐とした空気は他と同じだった。
ポリスタブからメストに移動してくるまで、ミルシェの世話を焼いたり、初めての乗馬に手こずるヴィートへ優しく手ほどきしてくれたレネとはまるで別人だ。
マウントを取られ、気を失うまで殴られた時の興奮が蘇り、ヴィートは身体じゅうの血が滾ってくるのを感じた。
「——初めて見た……」
私語禁止なのだが、何度か門番で一緒になったことのあるエミルも驚愕しているようで、ついつい独り言を漏らしていた。
(そういうことだったのか……)
ヴィートは一人納得する。
あれからレネは、仕事でここを離れていたから顔を合わせることがなかったのだ。
◆◆◆◆◆
二階にある執務室では、クレノット村から帰って来た団員たちが、団長のバルナバーシュへの報告を行っていた。
「——盗賊団を殲滅させ、無事に儀式は成功した……と」
バルナバーシュはそう言いながら、団員たちへ右から左へと視線を走らせ、レネの前でピタリと止まった。
「おい、なんだ? 腰から提げてるガラクタみたいなその剣は」
ボリスとは少し色味の違うヘーゼルの瞳を眇めて、レネを睨み付ける。
「戦ってる途中で自分の剣が折れたんで……仕方なくこれで」
鬼団長として恐れられているバルナバーシュに睨まれ、平常心を保つことなどできない。
レネはしどろもどろになりながら、ことの経緯を説明する。
厳ついだけではなく、その顔立ちが恐ろしく整っているので、よけいに凄みが増すのだ。
「ほう……相手はどんな奴だった?」
バルナバーシュは座っている長い足を組みなおすと、興味深げに話の続きを促す。
悔しいがそんな姿でさえいちいち様になる。
「盗賊の首領で、バスタードソードを使っていて、東国の戦争の時にオレと同じような太刀筋の敵とよく戦ったと言ってました」
バルナバーシュの後ろで聞いていたルカーシュがピクリと反応する。
「なるほど、昔コジャーツカ族と戦ってたんだな。——で、お前は剣を折られてなんで生きてるんだ?」
ニヤリと笑ってバルナバーシュは訊いてくる。レネの傷口を抉るように。
あの時の悔しさが蘇り、レネは唇を噛み締める。
「止めを刺される前に……ゼラが助けてくれました」
ダンッ——と机の上を叩く音と同時に、部屋中にバルナバーシュの恫喝が響く。
「そんな悔しそうな顔するくらいなら最初っから負けんじゃねーよっ!」
他の団員たちさえ目を泳がせるほどの迫力だ。
レネはこれまで何度も団長から怒鳴られてきたが、いまだに背中に冷たい汗を掻く。
「この前も怪我をして……どうやら鍛え方が足りないみたいだな? お前は両手剣の相手に弱い。ちょうど俺も身体が鈍ってたとこなんだよ、明日の朝、一から叩き直してやるから覚悟しとけ。あとゼラ、お前も来い」
「っ……!?」
思わぬ展開にレネは目を瞠る。
バルナバーシュから直接稽古をつけてもらったのはもう半年以上前だ。
最後はどうなったか覚えてない。気が付いたら救護室に寝かされていた。
明日ゼラも加わるのならば……間違いなく地獄を見るだろう。
しかしそれは、バルナバーシュの愛情の裏返しだということは理解している。……一応。
今回だって命を落としていてもおかしくなかった。「あっ」と思った時では遅いのだ。
それを自力で回避するには、自分より強い相手と何度も繰り返し稽古するしか方法はない。
「すまん、脱線したな……で、盗賊団の首領の息子はどうなったんだ?」
こんな時でも冷静なボリスが話を続ける。
「本来なら村を追放だったのですが、他の二人が村人を説得してそれを免れたようです」
「俺も戦争に行ってたからわかるけど、雇い主が戦死して金が未払いになるなんてよくあるこどだ。出稼ぎに行って大金を持って帰るはずが、当てが外れて帰るに帰れなくなっちまったんだろうな。息子まで住む所を失わなくて良かったな」
バルナバーシュは仕事の邪魔をされたのに、なぜかシャーウール親子に同情的だ。
自分も同じ戦争に行っていたからだろうか……?
レネはぼんやりとそんな風に思う。
でも本当に、ヨナターンはそれで幸せなのかどうかはわからない。
ダヴィドに対する想いは友情の枠から少し超えて見えた。
村に着いた時、ダヴィドの許嫁という娘が人目も憚らずダヴィドに抱き付いていたのを、ヨナターンはなんでもないことのように見ていた。
来年にはダヴィドは許嫁の娘と結婚式を挙げると言っていたが、ヨナターンはどんな気持ちでこれから過ごしていくのだろうか?
泉のほとりで、お揃いの頬の痣を見て笑い合った時の顔が忘れられない。
(ヨナターン……)
「おい、なにボケっとしてんだよ。早く風呂入って飯食うぞ」
いつの間に団長への報告は終わっていたのか、一人で物思いに耽っていたレネを、カレルが部屋の外へと引っ張って行く。
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