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12章 伯爵令息の夏休暇
8 家族での晩餐
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◆◆◆◆◆
「明後日のヴルビツキーの夜会には、アンドレイ、貴方も必ず出席しなさい」
冷めきった空気の晩餐で、ヘルミーナから予想外の言葉を受けアンドレイは目を見開く。
「僕もですか?」
「久しぶりにこちらに帰って来たんですもの。挨拶くらいしておきなさいよ」
久しぶりといっても、留学してまだ一年も経っていないし、ヘルミーナの実家のヴルビツキー男爵家には、こちらにいた時から、数えるほどしか顔を出していない。
(この女はなぜ急に僕まで誘うんだ?)
なにか裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
「そんな堅苦しいものでもないし、近くの別荘に滞在している方々も招待しているのよ」
だからなんなのだ。
いつものようにタデアーシュだけ連れて行って、客たちに自慢の息子を紹介すればいいじゃないか。
だが断れば、機嫌を悪くするに違いない。
「……わかりました」
「そこまで畏まった会じゃないから、あの従者の子も一緒に楽しめばいいわ」
(レネまで誘うなんてますます怪しい)
「アンドレイの連れてきた子は見栄えがいいからね。さぞや目を惹くだろうね。夜会の間だけ、ラデクと交換しないかい? 君もデニスがいなくなって寂しいだろ?」
冗談か本気かはわからないが、アルベルトの提案にアンドレイは眉を顰める。
「父上、後ろでラデクが泣いてますよ」
食事の間も忠実に主人の後ろで護衛を続ける褐色の肌をした騎士は、厳つい外見に似合わずユーモアのある男で、アンドレイの言葉を聞くとすぐさまハンカチを取り出して目元を拭うふりをしはじめた。
融通の利かない弟のデニスとは大違いだ。
我慢できなくなったのか、隣でタデアーシュがクスクスと笑っている。
「おやおや、君を泣かせるつもりはなかったんだよ。わかったよ、もう言わないよ。ただ騎士が側にいなくなってアンドレイが寂しいだろうと思っただけさ」
自分の一言が発端の、急にはじまった小芝居の行く末がわからず、アンドレイはどう反応していいか悩んだ。
「折角だから、デニスの代わりにあの子を騎士に仕立て上げて連れ歩けば、君も少しは寂しさが紛れるんじゃないかい?」
「旦那様、お昼わたくしもその青年を拝見しましたが……あんな華奢な青年が剣など扱えるわけありませんわ……」
レネの話題になって急に話に入ってきたヘルミーナに、アルベルトは一瞬だけ「おや?」という顔をしてみせたが、そのまま会話を続ける。
「そうかい? どんな時も周りから見くびられるといけないからね。騎士の格好はあんまりかもしれないが、飾りの剣だけでも腰に提げておくといいかもしれない。軽くていいのがあるから、帰りに私の部屋に寄っていきなさい」
アルベルトの機転で、誰にも疑われることなく、堂々とレネの帯剣が許されたことになる。
しかし父の部屋へ行くということは、今朝の答えを出さないといけない。
食事が終わり、廊下で待っていたレネと合流し、アンドレイは父アルベルトの書斎へと向かった。
「伯爵、お久しぶりでございます」
自分の後ろで、レネが父に向かって頭を下げる。
レネの言葉に、改めてこの二人が自分の知らない所で出会っていたことを実感させられる。
「今回は打って変わってストイックな格好だね。これもまた捨て難い」
我が父ながら、開口一番いったいなにを言っているのだろうか。
「父上……」
アンドレイは思わず咳払いする。
「ああごめん。最初に彼を見たときが強烈でね……なんたって——」
「アルベルト様、坊ちゃまには刺激が強すぎますからそのお話はお控えなさって下さい」
後ろを振り返りレネを確認すると、顔を真赤にして俯いていた。
『強烈』だとか『刺激が強すぎ』だとか、二人はいったいレネとどういう出会い方をしたのか気になるが、わざわざ部屋を訪ねたのはこの話題ではない。
(——本題に入らないと)
アンドレイは意を決して、顎を引いた。
「父上、今朝のお話ですが」
「ああ。答えは出たかい?」
こんな短い時間で、自分の人生を大きく左右することの答えを出したくはなかったが、話を聞いた時に最初から腹は決まっていた。
「マリアナ嬢との縁談をお受けしようと思います」
「——よかった。君ならそう言ってくれると思ってたよ」
アンドレイの答えを聞いた瞬間、アルベルトの顔がパッと明るくなるのがわかった。
侯爵家から来た話だ、こんな父でもアンドレイの答えを聞くまでは、きっと気を揉んでいたのだろう。
「実は、来月開催される侯爵家主催の午餐会に、君も招待されている。そこでマリアナ嬢と対面する手筈になっているから、頑張りなさい」
「え、え、え!? ……なんですかそれ? いきなりそんなの無理です!」
そんな予備知識を入れてから会ったら、絶対しどろもどろになって上手く話せるわけがない。
ファロの生活でもアンドレイの周りに同じ年頃の異性はほとんどいない。
唯一顔を合わせるのは従妹のエミリエンヌくらいだ。
学校でも男だらけだし、なにをどう喋っていいか想像もつかない。
「マリアナ嬢は現在十四才。ほら、とても素敵な娘さんだよ。趣味は刺繍だそうだ。別にいきなり結婚するわけじゃないんだから、ただ会話してお互いのことを知ればいいんだよ」
お見合い用によく使われる小さな肖像画を父から渡され、アンドレイは絵の中の人物を観察した。
金髪に少し紫がかった青い瞳の少女は、ふんわりと柔らか気な印象で、どことなく、自室に飾ってある絵の中の母に似ていた。
「その絵は君にあげるよ」
「……はい、ありがとうございます」
もう一度、絵の中の人物を見つめる。
「なにか彼女に贈り物でも準備するといいさ。妹も今こっちに来てるから相談しなさい」
ヘルミーナには相談できないので、アルベルトの実の妹、アンドレイの叔母に相談しろということらしい。
叔母の嫁ぎ先もジェゼロに別荘を持っており、毎年今の季節はこちらの別荘で過ごしている。
だいたい貴族の動きはどこも一緒だ。
「そうですね。なにも思いつかない時は叔母上に相談します」
「それとレネ君。君が剣を持っても大丈夫になったから、どこへ行く時も帯剣してくれたまえ。妻にはお飾りの剣だと伝えてあるから怪しまれることはない」
「はい。ありがとうございます」
いざという時はアンドレイの剣を貸そうと思っていたので、自分の剣を持てることはレネにとってもやりやすいだろう。
「きっと君を明後日の夜会に誘ったのも、なにか思惑があるからだ。ヴルビツキー側は君の縁談を阻止するために、来月の午餐会までどんな手でも使ってくるだろう。明後日ある夜会のことだが、敵の本陣に突っ込んでいくようなものだからね。なにかトラブルがあったら、私かラデクに言いなさい」
「はい」
アルベルトがヴルビツキー男爵家と縁を切れば、こんな物騒な日々とも別れることができる。
それに、デニスと離れ離れになるなんて、アンドレイにとってはなによりも辛い。
デニスだけがアンドレイの味方だ。
アンドレイにとってこの縁談話を断る理由がなかった。
「明後日のヴルビツキーの夜会には、アンドレイ、貴方も必ず出席しなさい」
冷めきった空気の晩餐で、ヘルミーナから予想外の言葉を受けアンドレイは目を見開く。
「僕もですか?」
「久しぶりにこちらに帰って来たんですもの。挨拶くらいしておきなさいよ」
久しぶりといっても、留学してまだ一年も経っていないし、ヘルミーナの実家のヴルビツキー男爵家には、こちらにいた時から、数えるほどしか顔を出していない。
(この女はなぜ急に僕まで誘うんだ?)
なにか裏があるのではないかと勘ぐってしまう。
「そんな堅苦しいものでもないし、近くの別荘に滞在している方々も招待しているのよ」
だからなんなのだ。
いつものようにタデアーシュだけ連れて行って、客たちに自慢の息子を紹介すればいいじゃないか。
だが断れば、機嫌を悪くするに違いない。
「……わかりました」
「そこまで畏まった会じゃないから、あの従者の子も一緒に楽しめばいいわ」
(レネまで誘うなんてますます怪しい)
「アンドレイの連れてきた子は見栄えがいいからね。さぞや目を惹くだろうね。夜会の間だけ、ラデクと交換しないかい? 君もデニスがいなくなって寂しいだろ?」
冗談か本気かはわからないが、アルベルトの提案にアンドレイは眉を顰める。
「父上、後ろでラデクが泣いてますよ」
食事の間も忠実に主人の後ろで護衛を続ける褐色の肌をした騎士は、厳つい外見に似合わずユーモアのある男で、アンドレイの言葉を聞くとすぐさまハンカチを取り出して目元を拭うふりをしはじめた。
融通の利かない弟のデニスとは大違いだ。
我慢できなくなったのか、隣でタデアーシュがクスクスと笑っている。
「おやおや、君を泣かせるつもりはなかったんだよ。わかったよ、もう言わないよ。ただ騎士が側にいなくなってアンドレイが寂しいだろうと思っただけさ」
自分の一言が発端の、急にはじまった小芝居の行く末がわからず、アンドレイはどう反応していいか悩んだ。
「折角だから、デニスの代わりにあの子を騎士に仕立て上げて連れ歩けば、君も少しは寂しさが紛れるんじゃないかい?」
「旦那様、お昼わたくしもその青年を拝見しましたが……あんな華奢な青年が剣など扱えるわけありませんわ……」
レネの話題になって急に話に入ってきたヘルミーナに、アルベルトは一瞬だけ「おや?」という顔をしてみせたが、そのまま会話を続ける。
「そうかい? どんな時も周りから見くびられるといけないからね。騎士の格好はあんまりかもしれないが、飾りの剣だけでも腰に提げておくといいかもしれない。軽くていいのがあるから、帰りに私の部屋に寄っていきなさい」
アルベルトの機転で、誰にも疑われることなく、堂々とレネの帯剣が許されたことになる。
しかし父の部屋へ行くということは、今朝の答えを出さないといけない。
食事が終わり、廊下で待っていたレネと合流し、アンドレイは父アルベルトの書斎へと向かった。
「伯爵、お久しぶりでございます」
自分の後ろで、レネが父に向かって頭を下げる。
レネの言葉に、改めてこの二人が自分の知らない所で出会っていたことを実感させられる。
「今回は打って変わってストイックな格好だね。これもまた捨て難い」
我が父ながら、開口一番いったいなにを言っているのだろうか。
「父上……」
アンドレイは思わず咳払いする。
「ああごめん。最初に彼を見たときが強烈でね……なんたって——」
「アルベルト様、坊ちゃまには刺激が強すぎますからそのお話はお控えなさって下さい」
後ろを振り返りレネを確認すると、顔を真赤にして俯いていた。
『強烈』だとか『刺激が強すぎ』だとか、二人はいったいレネとどういう出会い方をしたのか気になるが、わざわざ部屋を訪ねたのはこの話題ではない。
(——本題に入らないと)
アンドレイは意を決して、顎を引いた。
「父上、今朝のお話ですが」
「ああ。答えは出たかい?」
こんな短い時間で、自分の人生を大きく左右することの答えを出したくはなかったが、話を聞いた時に最初から腹は決まっていた。
「マリアナ嬢との縁談をお受けしようと思います」
「——よかった。君ならそう言ってくれると思ってたよ」
アンドレイの答えを聞いた瞬間、アルベルトの顔がパッと明るくなるのがわかった。
侯爵家から来た話だ、こんな父でもアンドレイの答えを聞くまでは、きっと気を揉んでいたのだろう。
「実は、来月開催される侯爵家主催の午餐会に、君も招待されている。そこでマリアナ嬢と対面する手筈になっているから、頑張りなさい」
「え、え、え!? ……なんですかそれ? いきなりそんなの無理です!」
そんな予備知識を入れてから会ったら、絶対しどろもどろになって上手く話せるわけがない。
ファロの生活でもアンドレイの周りに同じ年頃の異性はほとんどいない。
唯一顔を合わせるのは従妹のエミリエンヌくらいだ。
学校でも男だらけだし、なにをどう喋っていいか想像もつかない。
「マリアナ嬢は現在十四才。ほら、とても素敵な娘さんだよ。趣味は刺繍だそうだ。別にいきなり結婚するわけじゃないんだから、ただ会話してお互いのことを知ればいいんだよ」
お見合い用によく使われる小さな肖像画を父から渡され、アンドレイは絵の中の人物を観察した。
金髪に少し紫がかった青い瞳の少女は、ふんわりと柔らか気な印象で、どことなく、自室に飾ってある絵の中の母に似ていた。
「その絵は君にあげるよ」
「……はい、ありがとうございます」
もう一度、絵の中の人物を見つめる。
「なにか彼女に贈り物でも準備するといいさ。妹も今こっちに来てるから相談しなさい」
ヘルミーナには相談できないので、アルベルトの実の妹、アンドレイの叔母に相談しろということらしい。
叔母の嫁ぎ先もジェゼロに別荘を持っており、毎年今の季節はこちらの別荘で過ごしている。
だいたい貴族の動きはどこも一緒だ。
「そうですね。なにも思いつかない時は叔母上に相談します」
「それとレネ君。君が剣を持っても大丈夫になったから、どこへ行く時も帯剣してくれたまえ。妻にはお飾りの剣だと伝えてあるから怪しまれることはない」
「はい。ありがとうございます」
いざという時はアンドレイの剣を貸そうと思っていたので、自分の剣を持てることはレネにとってもやりやすいだろう。
「きっと君を明後日の夜会に誘ったのも、なにか思惑があるからだ。ヴルビツキー側は君の縁談を阻止するために、来月の午餐会までどんな手でも使ってくるだろう。明後日ある夜会のことだが、敵の本陣に突っ込んでいくようなものだからね。なにかトラブルがあったら、私かラデクに言いなさい」
「はい」
アルベルトがヴルビツキー男爵家と縁を切れば、こんな物騒な日々とも別れることができる。
それに、デニスと離れ離れになるなんて、アンドレイにとってはなによりも辛い。
デニスだけがアンドレイの味方だ。
アンドレイにとってこの縁談話を断る理由がなかった。
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