菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

10 夜会の席で

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◆◆◆◆◆


 太陽が西の空に茜色の雲を引き連れて沈んでいくと、湖の水辺近くに焚かれた篝火が幻想的な夏の夜を描きだす。
 綺麗に整えられた自慢の庭では、楽士たちが南国の異国情緒のある音楽を奏で、天幕の中にある真夏の花々で飾られたテーブルには、あふれんばかりに盛られた料理が並べられていた。

 ヴルビツキー男爵家で開かれた夜会は、堅苦しい雰囲気など一切感じられず、商人や若い芸術家たちも数多く招かれている。
 貴族というよりも、商人としての色が強いヴルビツキー家ならではの顔ぶれかもしれない。

 もっと畏まった夜会を想像していたレネは、肩の力を抜いた。

(これだったら、オレが紛れ込んでいても場違いじゃない……)
 

 前日に侍女がレネ用にと部屋まで持って来た夜会用の衣装を、アンドレイが中身を確かめ却下していたのを思い出す。 
 ヘルミーナが選んだであろうその衣装は、肌が透けて見えるほどの薄い生地が使ってあり、とても男物には見えなかった。
 あんな物を着たら、道化か男娼にしか見えなかっただろう。

(あの時、アンドレイがすぐに押し返してくれてよかった……)
 
 アンドレイ坊ちゃまから、『レネは今の服で十分だよ』というありがたいお言葉を頂き、ようやく着慣れてきた紺色の御仕着せを、この夜会でも身に着けていた。
 この服を着ていればどこから見ても、アンドレイの従者にしか見えない。
 夜会の間も堂々と、アンドレイの側を離れることなく同行できる。
 それにリンブルク伯爵の機転で、今夜は自分の剣を持って来ているので、いざとなったら思う存分に暴れまわれる。

「ヴルビツキー男爵、お久しぶりでございます。今日は僕まで招待いただき大変ありがとうございます」

 急にアンドレイがお辞儀をして挨拶をしたので、レネもそれへ倣い咄嗟に頭を下げた。

(ヴルビツキー?……じゃあこの人物がアンドレイの命を狙っている人物なのか!?)

 頭を下げながらも声の主を盗み見て、レネはビクリと身体をすくませた。
 その人物は仮面を被っていて、まったく表情が窺いしれない。

「おお、アンドレイ、見ない間に大きくなったな。今日は思う存分楽しんでくれ」

 言葉だけ聞いてるとまるで好々爺のようだが、仮面下ではいったいどういう表情をしてその言葉を紡ぎ出しているのだろうか?
 レネは言いようのない不気味さを感じた。
 その仮面に覆われていない瞳が、じろりとレネを捉える。

「お前……その剣はどこで手に入れた!? それはコジャーツカ族の物ではないかっ!」

「っ!?」

 急に口調が変わり、アンドレイの後ろに控えていたレネの手首を掴んで、自分の近くへと引き寄せた。
 周囲で談笑していた客たちも、いきなり態度を変えた仮面の男爵に、何事かと振り返る。
 
「こんな若造がっ……どうしてこの剣を持っているんだっ!? お前はもしかしてコジャーツカ族の者なのか?」

(えっ……なに!?)

 レネはどう反応していいかわからず、されるがままに身体を硬直させていた。

「お父様、それは旦那様がお遊びで持たせた剣ですわ。こんな華奢な青年が剣を扱えるわけありません。今日はデニスがいないので、この者がお守りのふりをしているのです。他のお客様もびっくりなさってるわ。ほらもうすぐ、お父様の楽しみにされていた吟遊詩人の歌がはじまりますよ。あちらへ行きましょう」

 騒ぎを聞きつけたヘルミーナが男爵の手を引いて、楽士たちと入れ替わるようにステージに上がった人物の方へと歩いていった。


「あ~~~びっくりした。なんでレネの剣に男爵が食いついたんだろう?」

 アンドレイが、今しがた起こった出来事についてレネに話しかけてくるが、レネはそれよりもステージへと上がった人物へと目が釘付けになる。

(——どうしてここに!?)

 バンドゥーラを抱えて、チャコールグレーのノースリーブの長衣をまとった人物が用意された椅子へと座る。
 詰め襟の黒い刺繍が施されたその異国の服は一見ストイックに見えるが、座った途端に深く入ったスリットから白い太腿が露わになり、レネは思わず額に手を当てため息を吐いた。

(……やめてくれ……)

 思わぬ人物の登場に、レネは目を見張った。

 吟遊詩人はバンドゥーラを足の間に挟むと、スリットから覗いていた白い太腿がよりいっそう露わになり、男たちの間から口笛が鳴る。
 そんなことも一切気にせず、ジャランとバンドゥーラを爪弾いて音を合わせると、むせかえるほどに花の匂いが立ち込めるこの夏の夜にぴったりな、情熱的な曲を歌い上げた。

 吟遊詩人の歌い上げるその曲は華やかなのだが、どこか頽廃的な香りがする。
 男とも女ともつかない掠れた声が、その曲をより一層危うげなものにし、聴き入る観衆たちの心を惹き付けた。

 レネに倣い、最初は怪訝な顔で吟遊詩人を見ていたアンドレイも、いつの間にかその歌声の虜になっていた。
 目を輝かせながらすっかり歌の世界に入り込んでいる。

「凄い……」

 


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