菩提樹の猫

無一物

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1章 君に剣を捧ぐ

19 決意

◆◆◆◆◆

 
 レネはあれからどういう顔をしてメストに帰って来たのか、あまり覚えていない。
 感情を抑えることでいっぱいいっぱいだったので、周りに気を遣う余裕などなかった。
 本部に着くとシモンが待ち構えており、報告は全てバルトロメイに任せ、自分はすぐに応接室へと向かうバーラたちと別れたきりだ。

 だから応接室でどんな話し合いが行われたかは知らない。


 翌日。
 本来なら非番だったのだが、欠員が出てレネは急遽メストでの仕事をこなし、たったいま本部に戻って来たところだ。
 馬を使わない場合は、正門から出入りする。
 正面玄関を真っすぐ進み階段を上ると、報告のため執務室へと向かった。

 レネはリーパに入団して今年で五年目になる。もうベテランといっても差し支えない。
 今日も、レネが一番の古株だったので、急遽入ったのにも関わらず現場責任者として任務をこなした。
 重要な仕事ではない限り、団長への任務報告は責任者が行う。

「失礼します」
 
 執務室の中に入ると、バルナバーシュがなんとも言えない歯切れの悪い顔をしていた。

「お前か。ちょうど入れ違いだったな。バルトロメイがいま退団届けを出しに来て、それを受理した」

(やっぱり……)


「……じゃあバルトロメイはもう団員ではないんですね」


 こちらにとっても都合がいい。

 胎の中で渦巻いている激情を抑えるために、レネの声は低く掠れていた。
 バルナバーシュとルカーシュも、レネの様子がいつもと違うことに気付く。
 

 今までこんな気持ちになったことはあるだろうか?

 この身を焼き尽くすほどの、烈火のごときに激情が湧いてきたことなどなかった。

 
「レネっ!? どこへ行くっ!!」
 
 報告もせず執務室を去ろうとする養子に、バルナバーシュが呼び止める。
 今までレネが、こんな態度をとったことなどないので、さぞかし吃驚していることだろう。


「——獲物を狩りに」
 

 振り返り、呪詛を吐き出すようにそう告げる。
 怒りで視界が歪み、バルナバーシュの顔までもが奇妙に湾曲して見えた。

「…………」
 
 養父は言葉をなくしているようだが、その後ろでカチャカチャと音がする。


「これを持って行け——特別に許可する」

 ルカーシュがレネに向かってなにかを投げた。

(——あ……)
 
 まさかそれを渡されるとは思わず、レネは目を瞠る。

 剣士にとって命と同等の物を受け取り、掴んだ掌から自分以外の力が、身体の中に入り込んで来るのを感じた。

「——しばらくの間、借ります」
 
 そう言うと、決意を新たに唇を噛み締めた。
 
 たぶんルカーシュはレネになにがあったのか気付いている。
 自分の身に起こったことは、できるだけ隠しているつもりだが、わかる者が見れば分かるのだろう。
 以前師から教えてもらった方法で問題を解決しようとしている自分を、ルカーシュは後押ししているようにも感じた。
 
「暴れて来い」
 
 レネはそれを受け取り腰に装着すると、ルカーシュはその姿を見てニヤリと嗤った。

「——はい」


 再び階段を下り廊下を歩いていると、すれ違う団員たちが無言で道を開けていく。
 この身から溢れ出す感情が、なんの関係もない団員たちまでもを威圧していた。
 だがレネはそれを隠さない。
 
 これから行うのは見世物だ。
 相手にも、それを取り巻く連中にも全てに、自分を見せつけてやらないといけない。
 

 自分が雄であるということを。


 救護室の前を通り抜け、裏口の扉を開くと、冷たい風が熱く火照った頬を擽る。
 一度息を吐き、心を静かに落ち着けた。
 
 ぐにゃぐにゃと歪んでいた視界が正常に戻って来る。
 その視線の先に、目的の人物がいた。


「——待て」

 私邸の自分の部屋から荷物を纏め終え、裏門から出て行こうとしていた、シモンとバルトロメイを呼び止める。

「……レネ!?」

 まさかレネとはもう会うとも思っていなかったのだろう。バルトロメイは後ろを振り返り、驚きを隠せない様子だ。
 一緒にいたシモンも、なにごとだとレネに不審な目を向ける。

 レネはゆっくりとした動作で着けていた皮の手袋の左を外し、バルトロメイの顔に思いっきり投げつけた。


「我が名はレネ・セヴトラ・ヴルク。——この身に受けた屈辱を晴らすため、貴様に決闘を申し込む」


 音を立て頬を殴った革の手袋は、薄っすらと雪の残る地面へと落ちた。
 


◆◆◆◆◆


 いきなり声をかけて来た青年が、孫に向かって手袋を投げつけた。
 確か、バーラの護衛に付いていた青年だ。
 しかしあの時とは別人のように様子が違う。

 バルトロメイが、地面に落ちた手袋を拾う。

 周りでこの様子を遠巻きに見ていた団員たちが、バルトロメイのその動作に一斉に騒ぎ出した。
 手袋を拾うということは、この決闘を受け入れると言う意味を持つからだ。

『なにがあった?』
『猫とバートが決闘だって!?』
『おいっ、団長たちを呼んで来いッ!』

 シモンには気になることがあった。この青年は『ヴルク』と名乗った。
 狼の意味をもつ姓などそうないし、そもそもこの傭兵団に姓を持つ身分の者がどれだけいようか……。
 十中八九、この青年がバルナバーシュの養子だと思って間違いないだろう。
 
 改めて青年に目を向けると、とても護衛には見えないほどほっそりとした美貌の持ち主だ。
 まさか、バルナバーシュに稚児趣味でもあったのかと嫌味の一つも言いたくなる。

 自分が想像していた次期リーパ護衛団団長との乖離に、シモンは驚きを隠せないでいた。

 だからと言ってはなんだが、バルナバーシュそっくりの実子が入団することで、この青年はさぞかし肩身の狭い思いをしていただろう。

 だとすると、バルトロメイが去ることは、青年にとってもプラスになったのではないのか?
 それなのにどうして決闘を申し込むのだ?
 屈辱を晴らすとは、いったいどういう意味なのだ?

 決意を込めた黄緑色の視線が一瞬だけシモンを掠めただけで、肌にビシビシと青年の威圧が伝わって来る。
 

『——あっ!? 団長たちが来たぞ』
 
 その言葉につられてそちらを振り返ると、裏門から本部に繋がる扉からバルナバーシュと細身の副団長が出てこちらにやって来た。

「シモン卿、団員同士の決闘は禁止しておりますが、バルトロメイはもう団員ではありません。本人が了承した以上、私にはこの決闘を阻止することはできません」
 
 なるほど。バルトロメイが退団したのを知って、レネという青年は決闘を申し込んで来たのか。
 若い頃、血気盛んだったシモンも名誉を懸けて決闘したことは、一度や二度ではない。
 まるでわが身に起こったできごとのように、老いた身体が興奮しているのを感じる。

 この青年は本気だ。
 バルトロメイも決闘を受諾した。
 騎士として、ここはシモンが見て見ぬ振りはできないだろう。

「バルトロメイの立会人は儂でいいか?」

「ありがとうございます。では、対戦相手の立会人には私が。申し遅れましたが、対戦相手のレネは私の養子です」
 
 いつもは感情を表に出さない男が、なんとも言えない表情を浮かべている。

「やはりそうであったか……」
 
 実子と養子の決闘騒ぎに複雑な心境であることは間違いないだろう。

「立会人のお二人にもお尋ねしますが、互いの剣で真剣勝負をして、戦意喪失か戦闘不能になった方が負けとします。それぞれ剣の形状が違いますがよろしいですか?」
 
 黙々と決闘の準備を始める二人に、ルールの確認をとっていた副団長が、こちらを振り返り訊いて来る。

「私はそれで構わん。シモン卿は?」
 
「ああ。それでいい」
  

 除雪して綺麗に地面が見えている鍛練場の真ん中に二人が並ぶ。
 本部に居合わせた団員たちがザワザワと、噂を聞きつけて集まって来た。

「準備はできたか?」

 副団長が尋ねると、二人ともシャツ一枚になり、襟元を開き裾を上げて、剣以外の武器を他に隠し持っていないかを立会人や見学者に見せた。

「むっ……!?」
 
 対戦相手の青年の白い肌に散る赤い痕に、シモンは言葉を失った。
 それどころか、手袋を外していた片方の手首には縄で縛られた痕まで残っているではないか。

 隣のバルナバーシュが落胆の溜息を漏らす音が聞こえる。


 旅の途中、孫とバーラがいい仲にならないかと期待していた。
 このリーパ護衛団を退団して、騎士として仕え主を探すと本人の口から聞き、バーラともいい雰囲気だったので安心していたのに。

 まさかこちらの青年の方に手を出していたなんて、誰が想像できるだろうか。

 バルトロメイもご多分に漏れず、騎士団の悪習に染まっていたのかと失望する。
 一度は通る道とは言え、騎士団を退団した後もその趣味が抜けないとは問題ありだ。
 それもどうやら合意の上ではない。

「——だから決闘を……」

(なんてことだ……)






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