菩提樹の猫

無一物

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12章 恐怖を克服せよ

12 今度こそ

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 結局レネは一人前を完食していない。
 無理に口に込もうとしていたところを、バルトロメイが横から掻っ攫って食べてしまったからだ。
 
 バルトロメイはどうしても言葉より行動が先にでるタイプだ。
 レネもこれ以上食べるのは無理だと思っていたのだろう、むすりと押し黙ったままその様子を見ていた。

 ちょっとしたことなのだが、こうした二人のやり取りを見ていると、自分以上に進んだ二人の関係を見せつけられているようで、胸が痛い。

 ヴィートが離れていた三年間の間に、バルトロメイはレネに剣を捧げていた。
 そして……思っていたのとは逆だったが肉体関係まで結んでいたのだ。

 バルトロメイはレネを守るうえでは信用できる仲間だが、ヴィートにとって恋敵でもある。
 これ以上あいだを広げられたくない。



 食堂から出ると、すっかり辺りは暗くなっていた。
 治安が悪くなっているせいもあるのだろうか、通りには人の影もまばらだ。

(……!?)

 ヴィートは不穏な空気を感じとり柄に手を掛けると、建物の影に隠れていた男たちがぞろぞろとヴィートたちを取り囲む。

 手にはそれぞれ武器を手にし、中には農機具を持った者もいる。
 
(……農民か?)

 だったら間違いなく、この男たちは西から流れて来た難民だ。
 よく見るとまだ若い男たちばかりだ。
 若い男たちで徒党を組んで、こうして追剥ぎまがいのことをしながら飢えを凌いでいるのだろう。

「命が惜しかったら、金目の物を置いていけ」

「こんな街中で追剥ぎか? テメェらこそ命が惜しくなかったら散れ」

 相手が生活に困った農民だったとしても、武器を持って向かって来るのなら容赦はしない。
 ヴィートと同じようにバルトロメイも剣を抜いて睨みを利かせる。
 治安が悪いと聞いていたので、近所だが三人とも帯剣して食堂へ来ていた。


「あの灰色の髪を狙え」

 誰かが叫ぶと同時にレネへと男たちが群がって行く。
 
 なぜレネだけを狙うのだ。
 街道沿いで女に飢えた山賊たちが襲って来るならまだしも、若い女のたくさんいる街でよっぽどの理由がない限り、剣を持った男を狙ったりはしない。

(『復活の灯火』か!?)


「お前ら、ただの追剥ぎじゃないな……誰に頼まれた?」
 
 レネの方へと向かう男たちの前に立ちはだかり、ヴィートは問い質す。

「灰色髪をした綺麗な男を攫ってきたら10万ペリア出すって、赤毛の男が言うからよ」

『赤毛の男』をいう言葉を聞いた途端、レネが動きを止めて固まった。
 男の一人がその隙を見逃さず、持っていたほうきの柄で手を狙い、あろうことかレネは剣を弾かれてしまう。

「おいっ!!」

 すぐにバルトロメイがフォローに入ってことなきを得たが、ゴロツキ相手に剣を取り落とすとは、剣士としてあるまじき事態だ。

 一人が斬られたら、たちまち男たちは怖気づいて逃げ去ってしまった。
 それだけでも相手がどれだけ素人かわかるのに、レネはそんな男たちに太刀打ちできなかった。

「また仲間でも呼ばれたら厄介だ、さっさと宿に戻るぞ」

 自分の剣を拾って呆然と立ち尽くすレネの肩を抱き、バルトロメイが足早に移動を促す。


「——面倒なことになったな……レーリオが手を回してるんだろうが、金に困ってる奴等を片っ端から雇われたら、流石に全部は相手にできねえぞ。明日銀行に行って、全部金を下ろすが大金を持ち歩きたくねえな……お前も気ぃ抜くんじゃねえよ」

 バルトロメイはまだ様子のおかしいままのレネの頭をペチンと叩く。
 本来だったら、このくらいでは済まない。
 自分の身も守れないのかと怒鳴り散らしていたはずだ。
 
「……ごめん」

 悔しさを滲ませてレネが謝ると、バルトロメイはそれ以上追及しなかった。
 レネはレーリオの影に怯えていると言うのに、なぜかそこに触れない。
 

 二人の間を流れる微妙な空気にヴィートは眉を顰め、あることに気付く。


 バルトロメイはナタナエルの時の記憶を取り戻していない……いや、本人がそれを望んでいないから思い出さないのだ。
 前にヴィートがナタナエルについて喋ろうとしたら『ナタナエルと俺は違う』と言って拒否された。

 壮絶な出来事に、ナタナエル自体も心を閉ざし、バルトロメイと記憶を共有することを拒んでいるのかもしれない。

 蝕が近付き、前世と現世の出来事がリンクしてきている。
 バルトロメイの魂が、同じことを繰り返すことを恐れているから……レネにこれ以上強く踏み込めなくなっているのではないか?

 ヴィートは静かに息を吐き、覚悟を決めた。



◆◆◆◆◆



 明日の情報収集のために、バルトロメイは早めに大部屋へと帰っていった。


「——おいレネ。話しかけてるんだから答えろよ」

 レネは戦闘中に剣を弾かれたショックと、レーリオがこの街にいるかもしれないと言う恐怖で同室のヴィートの存在をすっかり忘れていた。

「……え!?」

 気が付けばヴィートは、ベッドに座っているレネのすぐ横にいた。
 そんな気配も感じなかったので、レネは心臓が跳ねる。
 
「俺がさあ、なんでレネから離れたか知ってる?」

 肩に手を回し耳元で囁く声は、レネが知っているヴィートとは違う……大人の男の声だった。

「レネのことが好きで好きでたまらないのに、バルトロメイやゼラには遠く及ばない。このままではレネの足手纏いになるだけだと思って、強くなるために濃墨さんの弟子になった」

 湿った息が耳に掛かり、ヴィートの『好き』に含まれるものが友情だけではなかったことを思い出す。
 数年のうちに思い出が美化されて、ヴィートが自分をそんな目で見ていたことなどすっかり忘れていた。

「このままレネと二度と逢えずに死ぬかもしれない……俺のいない間に、レネは誰かに取られるかもしれない。そう思うと怖くて怖くて胸が張り裂けそうだった……」

 それはレネも同じ思いだった。
 自分の心無い言葉で、ヴィートは出て行ったと思っていたので、もしなにかあったら全部自分のせいだと思っていた。

「オレだって……出ていく前の日にちゃんと話を聞いてればって……ずっと後悔してた……」

 ヴィートと濃墨の姿が見えるところまで追いかけて行ったのに、バルナバーシュから止められ諭された。


「なに言ってんだよ、さっきだって上の空で俺の話を全然聞いてなかったじゃないか」

 指摘されて、また自分が同じ過ちを犯していることに気付く。

「……ごめん……」
 
 島を脱出してから、二人に謝ってばかりいる。
 熱が下がり体調もよくなったはずなのに、以前のように振舞おうとしてもなかなか上手くいかない。
 

「なあ、レーリオって奴のことが怖いんだろ? 赤毛の男が絡むと、たちまちレネの様子がおかしくなる」

「……違う……」

 口では否定しても、レーリオと言う名前がでてくるだけで、身体から血の気が引く。

「島で、なにをされたんだ?」

 ヴィートは核心部分にいきなり切り込んできた。

「……なにも」

 言えるわけがない……まだバルトロメイにも打ち明けていないのに。

 レネにとって、ヴィートは弟分のような存在だ。
 あの島で出来事は、絶対知られたくなかった。


「嘘だ。じゃあなんでこんなに震える? 蟲を使われたんだろ?」

 カタカタと震える手を取られる。

「……どう…して……」

 ヴィートはなぜ蟲を使ったと、知っているのだ。
 屋敷も燃えて絵もなくなり、レーリオと数名の男たち以外は誰も知らないはずなのに……。

「俺のことなにも知らない年下のガキだって思ってるだろ。歓楽街育ちだぜ? その手のことはだいたいわかる。フォルテといったら蟲で有名だ。だからポルポを怖がるお前を見てピンときたんだよ」

 レネの知っているヴィートはもっと子どもっぽくて、子犬みたいにキャンキャン吠えていたのに……。

 千歳に行って変わったのか?
 それとも今まで、ヴィートの薄暗い部分から目を反らしていたのか?

 
「こんなんだったら、行く前に無理にでもレネを抱いとけばよかった……。バルトロメイともやったんだろ?」


——この男は誰だ?

 
「逃げろ、逃げろ」と頭の中で警笛が鳴り響くのに、身体が言うことを聞かない。

 すぐにベッドの上に縫い留められ、馬乗りにされる。

「なあレネ、こんなに弱い奴だったか? 俺の知ってるレネは強くてキラキラ光っててこんなんじゃなかった。初めての時もこうして馬乗りになって俺のことを殴ってくれたよな」

(——殴られる)

 歯を食いしばるが、一向に衝撃はこない。
 恐る恐る顔を上げると、真っすぐとレネを見下ろしていた。


 灰色の瞳が、レーリオと重なる。

 
「殴られると思ったか? 違う。弱い奴は食われるんだよ。レネだって食ったんだろ?」




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