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終章
最終話
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六の月も終わろうという頃、メストの都は薔薇が見ごろを迎えており、春先の花とは違う濃厚な香りを漂わせている。
西国三国の中では冷涼な気候のため、他の王都に比べ夏が訪れるのも少し遅い。
最も過ごしやすい季節がメストにやってきていた。
そんな中、クリシュトフ国王即位二十五周年の祝賀行事としてトーナメントが開催された。
王主催のトーナメント試合は五年ごとに行われ、ドロステア国内から腕自慢の男たちがメストに集まる。
競技は馬上試合と、純粋に剣の腕を競う剣術試合に大きく分かれている。
その中でもトーナメントの花形となっているのは、剣術試合の自由部門だ。
自由部門は片手剣、両手剣、その他、剣であればどんなものを使ってもよいとされる。
五年に一度のお祭り騒ぎに多くの見物客が王都に押し寄せ、自由部門の優勝者は誰かの話題で持ち切りだ。
なぜ剣術試合の自由部門が花形とされるのかというと、馬上試合は騎士たちが競う競技で、優勝者は毎回王国騎士団から輩出される。
だが、庶民にとっては身近な競技ではないので面白くない。
しかし剣術部門は違う。
騎士以外にも沢山の腕自慢の男たちが参加する。
特に様々な剣を持った自由部門での異種混合試合は、庶民たちの娯楽として絶大なる人気があった。
その大きな理由は、過去に自由部門は王国騎士団以外の優勝者を輩出しているからだ。
もちろん王国騎士団は国の威信をかけてこの大会に参加する。
特に実戦部隊の竜騎士団は各駐屯地から一番の腕利きを送り込み、過去最も多くの優勝者を出している。
クリシュトフ国王になってから五回トーナメントが行われているが、王国騎士団以外の者が優勝したのは一度だけ。
騎士団以外の優勝者とは、当時ホルニーク傭兵団の次期団長としてその注目されていたギークという男だ。
ホルニーク傭兵団やリーパ護衛団は王国騎士団と違い、トーナメントがあっても団員を参加させることは滅多にない。
その時はたまたま、腕試しとしてトーナメントへと参加し優勝してしまったに過ぎない。
数年後に運悪く殉職してしまったが、ギークはそれだけ強い男だった。
そして今回、自由部門の決勝まで勝ち進んだ男がもしかしたら……王国騎士団以外での二人目の優勝者になるかもしれない。
トーナメントの決勝戦が行われるコロセウムでは、この注目のカードを見ようと駆けつけた大勢の観客で溢れている。
決勝戦はもちろん主催者である国王も観覧する御前試合だ。
自由部門以外の優勝者は既に決まり、今年もそれぞれ国王騎士団の騎士たちが名を連ねていた。
残る一試合、闘技場の中に自由部門の決勝戦を戦う剣士たちが姿を現した。
観客たちは、その姿を見て大きな歓声を上げる。
先ほど両手剣部門の優勝者が決定した時よりも、大きな歓声だ。
始まる前からこの賑わい様で、どれだけこの試合が注目されているのかがわかる。
「——竜騎士団所属、イザーク・ヴァシナ」
一方は両手剣を持ち竜騎士団の証である緑色の制服を着た、三十半ばの男だ。
日に焼けた顔にはいくつかの小さな古傷がある。
大きな傷でないところが、この男の強さを物語っているようだ。
背はさほど高くもなく、実戦のためだけにつけられた無駄のない筋肉が、実際の強者とはこんな感じなのだろうというリアリティを増している。
決勝戦までの闘いで、ただ身体が大きくいかにも強そうな風体をした男たちが、次々とイザークに倒されていくところを観客たちは見てきた。
観客たちも、決勝戦ともなるともう外見で判断したりしない。
「——リーパ護衛団所属、レネ・セヴトラ・ヴルク」
六年前に宮殿の宝物庫から盗み出された宝物と、それを利用して国家転覆を試みようとしていた秘密結社を殲滅した男として注目を浴びた人物だ。
下町で日用雑貨店を営む両親に育てられたがその組織に両親を殺され、剣の道に進むことを決意した。
そして彼を養子に迎え剣の道に進ませたのが『紅い狼』と呼ばれる、リーパ護衛団の団長バルナバーシュ・ラディム・ヴルクだと知れると、この美談にメストの民は歓喜する。
レネは直接王から叙任を受け騎士の称号を得るが、彼の姿を見たものは叙任式に参加した一握りの貴族だけだ。
その後、表舞台に出て来ることもなく『紅い狼』の養子の実力を知る者は、誰もいなかった。
誰かが作り上げた美談で、秘密結社を殲滅させたなど実は作り話ではないかと陰で囁かれていたが、このトーナメントの参加者名簿の中にレネ・セヴトラ・ヴルクの名を見つけると、市民たちは大いに沸いた。
リーパ護衛団の団員がトーナメントに参加するのは初めてだ。
傭兵団といっても護衛専門のリーパは、剣の腕を誇示することが仕事ではない。
あくまでも護衛対象を守り抜くことだ。
そんな先代からの方針もあったせいか、団長をはじめ腕自慢の団員揃いにも関わらず、今までトーナメントには誰一人として参加したことがなかった。
それが急にどうして団長の養子が参加することになったのだろうか?
参加するのなら、叙任を受けた直後の五年前にしていた方が、名を売ることができたのに。
大会が開かれる前から、人々の憶測で盛り上がっていた。
バルナバーシュが手塩にかけて育てた養子ということで、誰もが養父のような逞しい男を想像していた。
しかし、一回戦で姿を現した男は、観客たちが想像していた姿とかけ離れたものだった。
「嘘だろ……」
「あれが!?」
リーパ護衛団のトレードマークである松葉色のサーコートを着て現れたのは、ほっそりとした男だった。
珍しい灰色の髪に白い肌、何よりも猫のようなツンとした瞳が非常に美しい。
円形闘技場には場違いな、いや……例えここが貴族の屋敷だったとしても、ここまで綺麗な男はなかなかお目にかかれない。
肉体労働とは無縁の貧弱な男に比べたら筋肉もあるだろうが、コロセウムは厳つい男たちばかりなので華奢で儚なげに見えた。
名簿には三十歳とあるが、まだ美青年といっても十分通用する。
リーパの団長は先王から賜った宝剣を受け継ぐ両手剣の使い手とされている。
誰もが次期団長となるレネの得物も両手剣だと思っていた。
しかしその細腰に提げているのは、ドロステアでは珍しい東国のコジャーツカ人が使う反りの強い片手剣だ。
予想外のレネの登場に、観客たちは混乱する。
一回戦の熊のような対戦相手に、誰もレネが勝つとは思っていなかっただろう。
しかし……いとも簡単に、レネは大男を倒してしまった。
それからというもの……上位が出揃うまで会場に足を運ぶことをしない貴族たちまでもが噂を聞きつけ、レネの戦う姿を一目見ようとコロセウムに足を運んだ。
そして迎えた決勝戦。
相手は数々の強敵を沈めて来た、竜騎士団最強といわれる男だ。
実戦部隊である竜騎士団は、鷹騎士団や近衛騎士団に比べると荒くれ者が多く、現地の住人たちと度々衝突を起こし評判は宜しくない。
下町出身のレネがそんな竜騎士団を倒し優勝したら、さぞかし市民たちは胸のすく思いがするだろう。
ギートの決勝戦の時は、王国騎士団の騎士以外の観客のほとんどがギートを応援した。
しかし、今回は少し様子が違う。
会場全体が、生贄の血を求める狂気に満ちていた。
トーナメントの試合は、相手を戦意喪失させた方が勝ちだ。
大抵の場合は急所に刃先を突きつけられて降参する。
しかし力が拮抗する場合は、流血沙汰は避けられない。
神殿から派遣された癒し手が待機しており、死者が出ることは滅多にないが、スリルを求める観客たちは血を求めていた。
この会場に似合わない涼やかな美貌と、松葉色のサーコート越しでもわかる、ネコ科の肉食獣を連想させるしなやかな身体。
毎回、屈強な対戦相手と並ぶたびに、その違いに観戦者たちは驚かずにはいられない。
口では「がんばれ!」とレネを応援しながらも、しなやかな肢体から血を流し、剣士にしては綺麗すぎるその顔が苦痛に歪むことを望んでいた。
「——両者構えて」
審判の声に合わせ、イザークとレネがそれぞれの剣を抜いて構える。
「おい……」
「二刀流っ!?」
「今まで一本で戦って来ただろ?」
二本の剣を抜いたレネの姿に、観客席がざわつく。
決勝に勝ち上がってくるまで、レネはずっと一本の剣で戦って来た。
突然の変化に観客たちは動揺しているが、レネと向き合うイザークは眉一つ動かさない。
竜騎士団最強の男は、レネを取り巻く気の動きを読み取っていた。
この決勝戦は、後に多くの者に語り継がれるほど白熱した戦いとなった。
◆◆◆◆◆
ツカニナ子爵はお付きの騎士と共に、少し緑がかった白い壁の建物を見上げた。
正門には松葉色のサーコートを着た男たちが立っている。
子爵たちが門まで来ると門番たちは敬礼して本部の扉を開けた。
初めてリーパ護衛団の門を潜る。
(こんな感じなのか……)
自分たちの住んでいる屋敷のような華やかさはないが、重厚な建物の造りは王国騎士団の本部と似ている。
それもそうだろう、リーパ護衛団は主を持たない私設騎士団のみたいなものだ。
受付で用件を告げ二階にある応接室へと案内される。
「どうぞこちらでお待ちください」
座るように勧められたのは、サーコートと同じ松葉色のベルベットを使った一人掛けのソファーだ。
長方形の机を囲むように同じものが四脚並んでいる。
子爵は勧められるままに、お付きの騎士と横に並んで席へと座る。
外から見た建物は騎士団と似ているが、内装はもしかしたらこちらの方が豪華かもしれない。
意外な事実にツカニナ子爵は驚く。
団員が運んできたお茶も、香り高い上質のものだ。
しかしよく考えてみればここは客が訪れる場所だ。
リーパ護衛団の顧客は貴族や金持がほとんどなので、それに合わせて居心地のよい空間を作っているのだろう。
むさ苦しい所になど、貴族たちは行きたがらない。
(なるほどな……)
座り心地のよい椅子に腰かけながら、窓に目を遣るとハート形の葉をつける木が目に入る。
少し横に広がった左右対称の綺麗な樹形の立派な大木だ。
きっとこの大きさだと、樹齢数百年はあるはずだ。
きっとあれが噂に聞く、リーパ護衛団の名前の元になった菩提樹の木だ。
壁に掲げてあるリーパ護衛団のエンブレムと同じ形をしているので間違いない。
「——お待たせしました子爵様」
低い声がし、長身で威圧感のある男が中へ入って来る。
狼のようなヘーゼルの瞳が印象的なその人物は、子爵とお付きの騎士の姿を目に入れると口許に微笑みを浮かべた。
たったそれだけのことなのに、厳めしい男が一気に柔らかな印象になるから不思議だ。
「私は副団長のテサクと申します。もうすぐ団長が参りますので、もう暫くお待ちください」
「よろしくテサクさん」
団長という言葉を聞き、ツカニナ子爵は期待で胸がいっぱいになる。
もちろんリーパ護衛団に護衛の依頼に来たのだが、本当の目的はここの団長に会うためだ。
「——お待たせいたしましたツカニナ子爵。団長のヴルクです」
ヴルク団長が少し遅れてやってくると子爵の向かい側にある椅子へと座る。
目が合うだけでこらえきれずに、互いに笑顔が漏れる。
「子爵、今日はどういったご用件でしょうか」
団長が気を取り直して話を進める。
「妻が今度お茶会を開くのだけれども、その警備をお願いしたくてね」
別に込み入った話でもないので、わざわざ子爵である自分がここまで足を運ぶ必要はない。
使いの者に任せるのが普通だろう。
「なるほど。お茶会の詳細を教えていただけますか」
子爵は詳細を伝え、細かな打ち合わせを行った。
あらかた表向きの用事を済ますと、子爵は大きく背伸びをした。
「ああ~肩が凝るな……もういつも通りにいこう」
「だから言っただろ」
お付きの騎士が呆れた顔をする。
でも一度ここに来て、団長に直接依頼をしてみたかったのだ。
「——レネ、トーナメントの優勝、そして……団長就任おめでとう! 街は決勝戦の話でもちきりだよ。自分が『麗しの騎士様』って言われてるの知ってる?」
まだ代替わりして間もない新団長は、困った顔をして眉尻を下げた。
「……アンドレイまでそんな話をする……」
いつものように子爵をファーストネームで呼ぶと、レネは疲れた様子で息を吐いた。
アンドレイは成人してから、父の持っている爵位の一つであるツカニナ子爵を名乗っている。
「まさかお前が表舞台に立つとはな、裏で色々あったんだろう?」
アンドレイの隣に座っていたデニスがレネに尋ねる。
余談であるが……主であるアンドレイはグーデンホーフ公爵の娘マリアナと結婚し二人の子を授かっている。
しかしお付きの騎士であるデニスは未だに独身を貫いていた。
「……お察しの通り色々あったんですよ」
レネは『復活の灯火』を討伐するまではバルナバーシュの養子であることも公表していなかったくらい、目立つことを避けていたはずだ。
トーナメントといえばドロステア一の剣士を決める超目玉イベントである。
そんなものにレネが進んで出場し、それも一番注目される優勝者として名を残したのは、アンドレイにとっても意外だった。
デニスの問いに、レネは猫のようなペリドットの瞳を長い睫毛の下に隠し溜息を吐いた。
この様子だとそこまでレネを駆り立たせた深い事情があるようだ。
「今回の団長就任と絡んでるのか?」
アイスブルーの瞳が、困り果てた顔をするレネを捉える。
しかしその答えは、これまた就任したての副団長から返ってきた。
「団長就任に、レネの出自を知っているお偉方から待ったがかかったんです」
バルトロメイはレネの隣に並んでいるとまるで対ようにしっくりとくる。
ただ単にこの男が美男だからというわけではない。
レネの隣に並んで引けをとらない男はそういないだろう。
なんたってレネは鋭い爪を隠し持ったネコ科の肉食獣だ。
大抵の男は隣に並ぶと負けてしまう。
だがヴルク家の血を引くバルトロメイが横にくると、まるで相乗効果のように互いを引き立て合うのだ。
レネが団長に就任していったいどれだけの顧客がこの応接間に足を運び、代替わりした団長と副団長に会ったのか知らないが、眼福としかいいようのない二人を自分よりも先に見た者たちがいるというのがアンドレイは悔しかった。
レネ一人でさえ凄い反響なのに、それにバルトロメイが隣にいることがわかれば、きっと若いご婦人たちの間で相当な騒ぎが起こるに違いない。
それにリーパにはこの二人だけではなく、見目美しい男たちが他にもいるのだ。
「……『あんなひ弱そうな男がリーパ護衛団の団長になるなどけしからん』と言われたんで、文句をつけられないようにトーナメントに出たまでです」
当時を思い出したのか、少し不服そうな顔をしてレネが語る。
(なるほど……負けず嫌いな性格が顔を出したわけか……)
トーナメントで優勝するにあたって裏では相当な努力をしただろうが、そんな理由で出てしれっと優勝を勝ち取ってしまうところが、いかにもレネらしい。
「表彰式の時のお偉方たちの悔し気な顔が忘れられねえな。特に竜騎士団の団長なんてこの世の終わりみたいな顔してたぜ」
まるで自分のことのように、してやったりと語るバルトロメイの顔を見ていると、ついついアンドレイまでもニンマリ笑いがこみ上げてくる。
「オレの団長就任に文句つける奴はいなくなったけど、益々嫌われたな」
結果は出したものの、また新たな問題が起こりそうだと苦笑いする。
「だからあそこら辺一帯がお通夜会場になってたのか」
デニスもつられて笑う。
実はアンドレイたちもレネの参加を知り、一回戦から会場に駆けつけ試合を見届けていたので、とうぜん表彰式もその場で見学していた。
決勝戦を終え黒い騎士服に着替え皆の前に現れたレネは、この大会の主役にふさわしく、会場にいた全ての者の視線を攫うほど目立っていた。
三十路になるというのに相変わらず、ドロステア中の美男美女が束でかかっても太刀打ちできないような麗しさだ。
いや……この年になって妙な色気が出て来た。
少年の頃には気付かなかったが、大人になってレネがどれだけ周囲を惑わせていたのかアンドレイは気付いた。
最もいけないのは、中身は男気溢れるレネの性格だ。
このおとなし気な外見とは正反対の性格と行動が、男の征服欲を掻き立てる。
外見通りの性格だったならば、ただの麗人としてここまで人の心を惹きつけなかったかもしれない。
観客たちも数々の猛者を倒してその頂点に立った姿を見ているだけに、レネの本当の魅力に嫌が上でも気付かされていた。
「王国騎士団の騎士が負けようとも、陛下の面目は潰していない。むしろ陛下は自分に剣を捧げる騎士が優勝して鼻高々だっただろう」
授与式の場面を思い出しアンドレイは笑う。
これ以上ない上機嫌な顔をして、国王はレネに王家の家紋の入った盾と賞金を与えていた。
「ドロステア一の剣士の称号っていってもな……こいつやゼラが出場してたら勝てなかったし……」
アンドレイも以前ファロで一度だけ、リーパ護衛団最強といわれる漆黒の肌を持つ騎士に会ったことがある。
終始無言だったのでどういう性格かわからなかったが、あの男も、レネの隣にいて引けをとらないほどの美男だった。
もし、バルトロメイやゼラもトーナメントに出場していたら、今の三倍くらい大会は盛り上がっていたかもしれない。
「そんなこと言うな、決勝戦のイザーク・ヴァシナは強かっただろ? 苦戦してたじゃないか」
「そりゃ、竜騎士団最強の男っていわれるくらいだから強かったけど、結局オレが勝てたってことは……そういうことだよ」
レネは言葉を濁したが、ゼラやバルトロメイの方が強かったと言いたいのだろう。
優勝しても、決して慢心しないところがレネの凄いところだ。
「それに……王国一の剣士は、陛下の側にいる近衛騎士団の誰かだろ」
士気を上げたい竜騎士団と違い、近衛騎士団は国王を守ることが何よりも大切なのでトーナメントには参加しない。
「まあ、そうかもな」
まるで「果たしてそうだろうか?」とでも言いたげに、バルトロメイは投げやりな相槌を打つ。
国王に何かあったらこの国は大変なことになってしまうので、どうかレネの言う通りであってほしいとアンドレイは思う。
社交界では未だにトーナメントの話題で持ち切りだ。
五年に一度行われるので当然その話題で沸くのだが、今回はもう一月前の出来事だというのに未だにあの決勝戦の話で盛り上がる。
以前レネを自分の従者だと紹介していたベルナルトとパトリクには『どうしてあのとき教えてくれなかったんだっ!』と、夜会の席で文句を言われた。
あの時とは、夏休暇中にベルナルトとパトリクと一緒に無人島へ行った時のことだ。
アンドレイの命に係わる事情が絡んでいたので、少し話したらすぐに納得はしてくれたが、はやりどこか恨めしそうな眼でこちらを睨んでいた。
そんな二人も今ではそれぞれダルシー伯爵とペレリーナ侯爵を継いで、アンドレイとも度々顔を合わせる仲だ。
注目の決勝戦では、今まで無傷で勝利してきたレネが、イサークの攻撃を避けきれず腕に傷を負うと(相手はもっとボロボロだったが)、会場は凄い歓声で隣にいたデニスと会話できないほどうるさかった。
それでもレネは会場の狂気に飲まれることなく、冷静に相手の眉間に剣先を突きつけ戦いに勝利した。
レネが戦って来た試合の中では一番見ごたえがあったが、もっと壮絶な戦いを見て来たアンドレイにとっては、どこかあっけなさを感じていた。
一般にはあれを歴史に残る白熱した試合というのだろう。
だから未だに、世間はレネの話でもちきりなのだ。
「一対一の試合で優勝するのも凄いけど、レネの実戦を見てるからなぁ……本当に君が凄いのは、大勢の相手に一人で立ち向かう所だと思う」
十年前、まだアンドレイが少年だった頃の記憶は、今でも鮮やかに残っている。
虫も殺さないような美青年が、一気に豹変し次々と男たちを仕留めていく姿は思い出しただけで鳥肌が立つほどに強烈だった。
レネの本当の強さは、命がけで護られた者しかわからないだろう。
——レネに命を救われてから、自分の人生は変わった。
継母に殺されることなく、自由な世界に飛び立つことができた。
レネとデニスと三人で旅した思い出は、辛いことばかりだったアンドレイにとって宝物のような時間だった。
妻と子を得て幸せなのだが、少年の頃のレネとの出会いは……強烈な印象のままアンドレイの心を占拠している。
「もう、あれから十年経つのか……」
感慨深げにデニスが呟く。
「あの時は、まさかレネがリーパの護衛だなんて思いもしなかったのに……今ではここの団長さんだよ」
「それをいうなら、アンドレイだって結婚して立派な子爵様になってるじゃないか」
昔とちっとも変わらない笑顔をレネが浮かべる。
これからは、先代の団長のようにリーパ護衛団の団長として厳しい表情を浮かべることの方が多くなるのかもしれない。
アンドレイは改めて表情を引き締めた。
十年前を懐かしんでいるが、自分たちの人生はこれからの方が長い。
子爵と護衛団の団長として、アンドレイとレネの付き合いは続いていく。
レネに至っては、団長就任直後で目まぐるしく忙しい日々を送っているはずだ。
何かを成し遂げたからと言って、終わりではない。
人生は老いて死ぬまで続いていく。
自分たちはまだ若くて、まだ先の長い未来しか見ていない。
アンドレイの人生の山場は、父からリンブルク伯爵を引き継いでからだ。
きっとこの先も想像を絶するような困難に見舞われるだろう。
しかし信頼のできる者たちと一緒にいれば、そんな壁も乗り越えてゆける。
アンドレイにとってレネたちは、そんなかけがえのない大切な存在だ。
「——ヴルク団長、これからもよろしく」
「ツカニナ子爵、こちらこそよろしくお願いいたします」
初めて依頼をする若い貴族と、まだ就任したばかりの新団長は、互いに固く手を握り合った。
西国三国の中では冷涼な気候のため、他の王都に比べ夏が訪れるのも少し遅い。
最も過ごしやすい季節がメストにやってきていた。
そんな中、クリシュトフ国王即位二十五周年の祝賀行事としてトーナメントが開催された。
王主催のトーナメント試合は五年ごとに行われ、ドロステア国内から腕自慢の男たちがメストに集まる。
競技は馬上試合と、純粋に剣の腕を競う剣術試合に大きく分かれている。
その中でもトーナメントの花形となっているのは、剣術試合の自由部門だ。
自由部門は片手剣、両手剣、その他、剣であればどんなものを使ってもよいとされる。
五年に一度のお祭り騒ぎに多くの見物客が王都に押し寄せ、自由部門の優勝者は誰かの話題で持ち切りだ。
なぜ剣術試合の自由部門が花形とされるのかというと、馬上試合は騎士たちが競う競技で、優勝者は毎回王国騎士団から輩出される。
だが、庶民にとっては身近な競技ではないので面白くない。
しかし剣術部門は違う。
騎士以外にも沢山の腕自慢の男たちが参加する。
特に様々な剣を持った自由部門での異種混合試合は、庶民たちの娯楽として絶大なる人気があった。
その大きな理由は、過去に自由部門は王国騎士団以外の優勝者を輩出しているからだ。
もちろん王国騎士団は国の威信をかけてこの大会に参加する。
特に実戦部隊の竜騎士団は各駐屯地から一番の腕利きを送り込み、過去最も多くの優勝者を出している。
クリシュトフ国王になってから五回トーナメントが行われているが、王国騎士団以外の者が優勝したのは一度だけ。
騎士団以外の優勝者とは、当時ホルニーク傭兵団の次期団長としてその注目されていたギークという男だ。
ホルニーク傭兵団やリーパ護衛団は王国騎士団と違い、トーナメントがあっても団員を参加させることは滅多にない。
その時はたまたま、腕試しとしてトーナメントへと参加し優勝してしまったに過ぎない。
数年後に運悪く殉職してしまったが、ギークはそれだけ強い男だった。
そして今回、自由部門の決勝まで勝ち進んだ男がもしかしたら……王国騎士団以外での二人目の優勝者になるかもしれない。
トーナメントの決勝戦が行われるコロセウムでは、この注目のカードを見ようと駆けつけた大勢の観客で溢れている。
決勝戦はもちろん主催者である国王も観覧する御前試合だ。
自由部門以外の優勝者は既に決まり、今年もそれぞれ国王騎士団の騎士たちが名を連ねていた。
残る一試合、闘技場の中に自由部門の決勝戦を戦う剣士たちが姿を現した。
観客たちは、その姿を見て大きな歓声を上げる。
先ほど両手剣部門の優勝者が決定した時よりも、大きな歓声だ。
始まる前からこの賑わい様で、どれだけこの試合が注目されているのかがわかる。
「——竜騎士団所属、イザーク・ヴァシナ」
一方は両手剣を持ち竜騎士団の証である緑色の制服を着た、三十半ばの男だ。
日に焼けた顔にはいくつかの小さな古傷がある。
大きな傷でないところが、この男の強さを物語っているようだ。
背はさほど高くもなく、実戦のためだけにつけられた無駄のない筋肉が、実際の強者とはこんな感じなのだろうというリアリティを増している。
決勝戦までの闘いで、ただ身体が大きくいかにも強そうな風体をした男たちが、次々とイザークに倒されていくところを観客たちは見てきた。
観客たちも、決勝戦ともなるともう外見で判断したりしない。
「——リーパ護衛団所属、レネ・セヴトラ・ヴルク」
六年前に宮殿の宝物庫から盗み出された宝物と、それを利用して国家転覆を試みようとしていた秘密結社を殲滅した男として注目を浴びた人物だ。
下町で日用雑貨店を営む両親に育てられたがその組織に両親を殺され、剣の道に進むことを決意した。
そして彼を養子に迎え剣の道に進ませたのが『紅い狼』と呼ばれる、リーパ護衛団の団長バルナバーシュ・ラディム・ヴルクだと知れると、この美談にメストの民は歓喜する。
レネは直接王から叙任を受け騎士の称号を得るが、彼の姿を見たものは叙任式に参加した一握りの貴族だけだ。
その後、表舞台に出て来ることもなく『紅い狼』の養子の実力を知る者は、誰もいなかった。
誰かが作り上げた美談で、秘密結社を殲滅させたなど実は作り話ではないかと陰で囁かれていたが、このトーナメントの参加者名簿の中にレネ・セヴトラ・ヴルクの名を見つけると、市民たちは大いに沸いた。
リーパ護衛団の団員がトーナメントに参加するのは初めてだ。
傭兵団といっても護衛専門のリーパは、剣の腕を誇示することが仕事ではない。
あくまでも護衛対象を守り抜くことだ。
そんな先代からの方針もあったせいか、団長をはじめ腕自慢の団員揃いにも関わらず、今までトーナメントには誰一人として参加したことがなかった。
それが急にどうして団長の養子が参加することになったのだろうか?
参加するのなら、叙任を受けた直後の五年前にしていた方が、名を売ることができたのに。
大会が開かれる前から、人々の憶測で盛り上がっていた。
バルナバーシュが手塩にかけて育てた養子ということで、誰もが養父のような逞しい男を想像していた。
しかし、一回戦で姿を現した男は、観客たちが想像していた姿とかけ離れたものだった。
「嘘だろ……」
「あれが!?」
リーパ護衛団のトレードマークである松葉色のサーコートを着て現れたのは、ほっそりとした男だった。
珍しい灰色の髪に白い肌、何よりも猫のようなツンとした瞳が非常に美しい。
円形闘技場には場違いな、いや……例えここが貴族の屋敷だったとしても、ここまで綺麗な男はなかなかお目にかかれない。
肉体労働とは無縁の貧弱な男に比べたら筋肉もあるだろうが、コロセウムは厳つい男たちばかりなので華奢で儚なげに見えた。
名簿には三十歳とあるが、まだ美青年といっても十分通用する。
リーパの団長は先王から賜った宝剣を受け継ぐ両手剣の使い手とされている。
誰もが次期団長となるレネの得物も両手剣だと思っていた。
しかしその細腰に提げているのは、ドロステアでは珍しい東国のコジャーツカ人が使う反りの強い片手剣だ。
予想外のレネの登場に、観客たちは混乱する。
一回戦の熊のような対戦相手に、誰もレネが勝つとは思っていなかっただろう。
しかし……いとも簡単に、レネは大男を倒してしまった。
それからというもの……上位が出揃うまで会場に足を運ぶことをしない貴族たちまでもが噂を聞きつけ、レネの戦う姿を一目見ようとコロセウムに足を運んだ。
そして迎えた決勝戦。
相手は数々の強敵を沈めて来た、竜騎士団最強といわれる男だ。
実戦部隊である竜騎士団は、鷹騎士団や近衛騎士団に比べると荒くれ者が多く、現地の住人たちと度々衝突を起こし評判は宜しくない。
下町出身のレネがそんな竜騎士団を倒し優勝したら、さぞかし市民たちは胸のすく思いがするだろう。
ギートの決勝戦の時は、王国騎士団の騎士以外の観客のほとんどがギートを応援した。
しかし、今回は少し様子が違う。
会場全体が、生贄の血を求める狂気に満ちていた。
トーナメントの試合は、相手を戦意喪失させた方が勝ちだ。
大抵の場合は急所に刃先を突きつけられて降参する。
しかし力が拮抗する場合は、流血沙汰は避けられない。
神殿から派遣された癒し手が待機しており、死者が出ることは滅多にないが、スリルを求める観客たちは血を求めていた。
この会場に似合わない涼やかな美貌と、松葉色のサーコート越しでもわかる、ネコ科の肉食獣を連想させるしなやかな身体。
毎回、屈強な対戦相手と並ぶたびに、その違いに観戦者たちは驚かずにはいられない。
口では「がんばれ!」とレネを応援しながらも、しなやかな肢体から血を流し、剣士にしては綺麗すぎるその顔が苦痛に歪むことを望んでいた。
「——両者構えて」
審判の声に合わせ、イザークとレネがそれぞれの剣を抜いて構える。
「おい……」
「二刀流っ!?」
「今まで一本で戦って来ただろ?」
二本の剣を抜いたレネの姿に、観客席がざわつく。
決勝に勝ち上がってくるまで、レネはずっと一本の剣で戦って来た。
突然の変化に観客たちは動揺しているが、レネと向き合うイザークは眉一つ動かさない。
竜騎士団最強の男は、レネを取り巻く気の動きを読み取っていた。
この決勝戦は、後に多くの者に語り継がれるほど白熱した戦いとなった。
◆◆◆◆◆
ツカニナ子爵はお付きの騎士と共に、少し緑がかった白い壁の建物を見上げた。
正門には松葉色のサーコートを着た男たちが立っている。
子爵たちが門まで来ると門番たちは敬礼して本部の扉を開けた。
初めてリーパ護衛団の門を潜る。
(こんな感じなのか……)
自分たちの住んでいる屋敷のような華やかさはないが、重厚な建物の造りは王国騎士団の本部と似ている。
それもそうだろう、リーパ護衛団は主を持たない私設騎士団のみたいなものだ。
受付で用件を告げ二階にある応接室へと案内される。
「どうぞこちらでお待ちください」
座るように勧められたのは、サーコートと同じ松葉色のベルベットを使った一人掛けのソファーだ。
長方形の机を囲むように同じものが四脚並んでいる。
子爵は勧められるままに、お付きの騎士と横に並んで席へと座る。
外から見た建物は騎士団と似ているが、内装はもしかしたらこちらの方が豪華かもしれない。
意外な事実にツカニナ子爵は驚く。
団員が運んできたお茶も、香り高い上質のものだ。
しかしよく考えてみればここは客が訪れる場所だ。
リーパ護衛団の顧客は貴族や金持がほとんどなので、それに合わせて居心地のよい空間を作っているのだろう。
むさ苦しい所になど、貴族たちは行きたがらない。
(なるほどな……)
座り心地のよい椅子に腰かけながら、窓に目を遣るとハート形の葉をつける木が目に入る。
少し横に広がった左右対称の綺麗な樹形の立派な大木だ。
きっとこの大きさだと、樹齢数百年はあるはずだ。
きっとあれが噂に聞く、リーパ護衛団の名前の元になった菩提樹の木だ。
壁に掲げてあるリーパ護衛団のエンブレムと同じ形をしているので間違いない。
「——お待たせしました子爵様」
低い声がし、長身で威圧感のある男が中へ入って来る。
狼のようなヘーゼルの瞳が印象的なその人物は、子爵とお付きの騎士の姿を目に入れると口許に微笑みを浮かべた。
たったそれだけのことなのに、厳めしい男が一気に柔らかな印象になるから不思議だ。
「私は副団長のテサクと申します。もうすぐ団長が参りますので、もう暫くお待ちください」
「よろしくテサクさん」
団長という言葉を聞き、ツカニナ子爵は期待で胸がいっぱいになる。
もちろんリーパ護衛団に護衛の依頼に来たのだが、本当の目的はここの団長に会うためだ。
「——お待たせいたしましたツカニナ子爵。団長のヴルクです」
ヴルク団長が少し遅れてやってくると子爵の向かい側にある椅子へと座る。
目が合うだけでこらえきれずに、互いに笑顔が漏れる。
「子爵、今日はどういったご用件でしょうか」
団長が気を取り直して話を進める。
「妻が今度お茶会を開くのだけれども、その警備をお願いしたくてね」
別に込み入った話でもないので、わざわざ子爵である自分がここまで足を運ぶ必要はない。
使いの者に任せるのが普通だろう。
「なるほど。お茶会の詳細を教えていただけますか」
子爵は詳細を伝え、細かな打ち合わせを行った。
あらかた表向きの用事を済ますと、子爵は大きく背伸びをした。
「ああ~肩が凝るな……もういつも通りにいこう」
「だから言っただろ」
お付きの騎士が呆れた顔をする。
でも一度ここに来て、団長に直接依頼をしてみたかったのだ。
「——レネ、トーナメントの優勝、そして……団長就任おめでとう! 街は決勝戦の話でもちきりだよ。自分が『麗しの騎士様』って言われてるの知ってる?」
まだ代替わりして間もない新団長は、困った顔をして眉尻を下げた。
「……アンドレイまでそんな話をする……」
いつものように子爵をファーストネームで呼ぶと、レネは疲れた様子で息を吐いた。
アンドレイは成人してから、父の持っている爵位の一つであるツカニナ子爵を名乗っている。
「まさかお前が表舞台に立つとはな、裏で色々あったんだろう?」
アンドレイの隣に座っていたデニスがレネに尋ねる。
余談であるが……主であるアンドレイはグーデンホーフ公爵の娘マリアナと結婚し二人の子を授かっている。
しかしお付きの騎士であるデニスは未だに独身を貫いていた。
「……お察しの通り色々あったんですよ」
レネは『復活の灯火』を討伐するまではバルナバーシュの養子であることも公表していなかったくらい、目立つことを避けていたはずだ。
トーナメントといえばドロステア一の剣士を決める超目玉イベントである。
そんなものにレネが進んで出場し、それも一番注目される優勝者として名を残したのは、アンドレイにとっても意外だった。
デニスの問いに、レネは猫のようなペリドットの瞳を長い睫毛の下に隠し溜息を吐いた。
この様子だとそこまでレネを駆り立たせた深い事情があるようだ。
「今回の団長就任と絡んでるのか?」
アイスブルーの瞳が、困り果てた顔をするレネを捉える。
しかしその答えは、これまた就任したての副団長から返ってきた。
「団長就任に、レネの出自を知っているお偉方から待ったがかかったんです」
バルトロメイはレネの隣に並んでいるとまるで対ようにしっくりとくる。
ただ単にこの男が美男だからというわけではない。
レネの隣に並んで引けをとらない男はそういないだろう。
なんたってレネは鋭い爪を隠し持ったネコ科の肉食獣だ。
大抵の男は隣に並ぶと負けてしまう。
だがヴルク家の血を引くバルトロメイが横にくると、まるで相乗効果のように互いを引き立て合うのだ。
レネが団長に就任していったいどれだけの顧客がこの応接間に足を運び、代替わりした団長と副団長に会ったのか知らないが、眼福としかいいようのない二人を自分よりも先に見た者たちがいるというのがアンドレイは悔しかった。
レネ一人でさえ凄い反響なのに、それにバルトロメイが隣にいることがわかれば、きっと若いご婦人たちの間で相当な騒ぎが起こるに違いない。
それにリーパにはこの二人だけではなく、見目美しい男たちが他にもいるのだ。
「……『あんなひ弱そうな男がリーパ護衛団の団長になるなどけしからん』と言われたんで、文句をつけられないようにトーナメントに出たまでです」
当時を思い出したのか、少し不服そうな顔をしてレネが語る。
(なるほど……負けず嫌いな性格が顔を出したわけか……)
トーナメントで優勝するにあたって裏では相当な努力をしただろうが、そんな理由で出てしれっと優勝を勝ち取ってしまうところが、いかにもレネらしい。
「表彰式の時のお偉方たちの悔し気な顔が忘れられねえな。特に竜騎士団の団長なんてこの世の終わりみたいな顔してたぜ」
まるで自分のことのように、してやったりと語るバルトロメイの顔を見ていると、ついついアンドレイまでもニンマリ笑いがこみ上げてくる。
「オレの団長就任に文句つける奴はいなくなったけど、益々嫌われたな」
結果は出したものの、また新たな問題が起こりそうだと苦笑いする。
「だからあそこら辺一帯がお通夜会場になってたのか」
デニスもつられて笑う。
実はアンドレイたちもレネの参加を知り、一回戦から会場に駆けつけ試合を見届けていたので、とうぜん表彰式もその場で見学していた。
決勝戦を終え黒い騎士服に着替え皆の前に現れたレネは、この大会の主役にふさわしく、会場にいた全ての者の視線を攫うほど目立っていた。
三十路になるというのに相変わらず、ドロステア中の美男美女が束でかかっても太刀打ちできないような麗しさだ。
いや……この年になって妙な色気が出て来た。
少年の頃には気付かなかったが、大人になってレネがどれだけ周囲を惑わせていたのかアンドレイは気付いた。
最もいけないのは、中身は男気溢れるレネの性格だ。
このおとなし気な外見とは正反対の性格と行動が、男の征服欲を掻き立てる。
外見通りの性格だったならば、ただの麗人としてここまで人の心を惹きつけなかったかもしれない。
観客たちも数々の猛者を倒してその頂点に立った姿を見ているだけに、レネの本当の魅力に嫌が上でも気付かされていた。
「王国騎士団の騎士が負けようとも、陛下の面目は潰していない。むしろ陛下は自分に剣を捧げる騎士が優勝して鼻高々だっただろう」
授与式の場面を思い出しアンドレイは笑う。
これ以上ない上機嫌な顔をして、国王はレネに王家の家紋の入った盾と賞金を与えていた。
「ドロステア一の剣士の称号っていってもな……こいつやゼラが出場してたら勝てなかったし……」
アンドレイも以前ファロで一度だけ、リーパ護衛団最強といわれる漆黒の肌を持つ騎士に会ったことがある。
終始無言だったのでどういう性格かわからなかったが、あの男も、レネの隣にいて引けをとらないほどの美男だった。
もし、バルトロメイやゼラもトーナメントに出場していたら、今の三倍くらい大会は盛り上がっていたかもしれない。
「そんなこと言うな、決勝戦のイザーク・ヴァシナは強かっただろ? 苦戦してたじゃないか」
「そりゃ、竜騎士団最強の男っていわれるくらいだから強かったけど、結局オレが勝てたってことは……そういうことだよ」
レネは言葉を濁したが、ゼラやバルトロメイの方が強かったと言いたいのだろう。
優勝しても、決して慢心しないところがレネの凄いところだ。
「それに……王国一の剣士は、陛下の側にいる近衛騎士団の誰かだろ」
士気を上げたい竜騎士団と違い、近衛騎士団は国王を守ることが何よりも大切なのでトーナメントには参加しない。
「まあ、そうかもな」
まるで「果たしてそうだろうか?」とでも言いたげに、バルトロメイは投げやりな相槌を打つ。
国王に何かあったらこの国は大変なことになってしまうので、どうかレネの言う通りであってほしいとアンドレイは思う。
社交界では未だにトーナメントの話題で持ち切りだ。
五年に一度行われるので当然その話題で沸くのだが、今回はもう一月前の出来事だというのに未だにあの決勝戦の話で盛り上がる。
以前レネを自分の従者だと紹介していたベルナルトとパトリクには『どうしてあのとき教えてくれなかったんだっ!』と、夜会の席で文句を言われた。
あの時とは、夏休暇中にベルナルトとパトリクと一緒に無人島へ行った時のことだ。
アンドレイの命に係わる事情が絡んでいたので、少し話したらすぐに納得はしてくれたが、はやりどこか恨めしそうな眼でこちらを睨んでいた。
そんな二人も今ではそれぞれダルシー伯爵とペレリーナ侯爵を継いで、アンドレイとも度々顔を合わせる仲だ。
注目の決勝戦では、今まで無傷で勝利してきたレネが、イサークの攻撃を避けきれず腕に傷を負うと(相手はもっとボロボロだったが)、会場は凄い歓声で隣にいたデニスと会話できないほどうるさかった。
それでもレネは会場の狂気に飲まれることなく、冷静に相手の眉間に剣先を突きつけ戦いに勝利した。
レネが戦って来た試合の中では一番見ごたえがあったが、もっと壮絶な戦いを見て来たアンドレイにとっては、どこかあっけなさを感じていた。
一般にはあれを歴史に残る白熱した試合というのだろう。
だから未だに、世間はレネの話でもちきりなのだ。
「一対一の試合で優勝するのも凄いけど、レネの実戦を見てるからなぁ……本当に君が凄いのは、大勢の相手に一人で立ち向かう所だと思う」
十年前、まだアンドレイが少年だった頃の記憶は、今でも鮮やかに残っている。
虫も殺さないような美青年が、一気に豹変し次々と男たちを仕留めていく姿は思い出しただけで鳥肌が立つほどに強烈だった。
レネの本当の強さは、命がけで護られた者しかわからないだろう。
——レネに命を救われてから、自分の人生は変わった。
継母に殺されることなく、自由な世界に飛び立つことができた。
レネとデニスと三人で旅した思い出は、辛いことばかりだったアンドレイにとって宝物のような時間だった。
妻と子を得て幸せなのだが、少年の頃のレネとの出会いは……強烈な印象のままアンドレイの心を占拠している。
「もう、あれから十年経つのか……」
感慨深げにデニスが呟く。
「あの時は、まさかレネがリーパの護衛だなんて思いもしなかったのに……今ではここの団長さんだよ」
「それをいうなら、アンドレイだって結婚して立派な子爵様になってるじゃないか」
昔とちっとも変わらない笑顔をレネが浮かべる。
これからは、先代の団長のようにリーパ護衛団の団長として厳しい表情を浮かべることの方が多くなるのかもしれない。
アンドレイは改めて表情を引き締めた。
十年前を懐かしんでいるが、自分たちの人生はこれからの方が長い。
子爵と護衛団の団長として、アンドレイとレネの付き合いは続いていく。
レネに至っては、団長就任直後で目まぐるしく忙しい日々を送っているはずだ。
何かを成し遂げたからと言って、終わりではない。
人生は老いて死ぬまで続いていく。
自分たちはまだ若くて、まだ先の長い未来しか見ていない。
アンドレイの人生の山場は、父からリンブルク伯爵を引き継いでからだ。
きっとこの先も想像を絶するような困難に見舞われるだろう。
しかし信頼のできる者たちと一緒にいれば、そんな壁も乗り越えてゆける。
アンドレイにとってレネたちは、そんなかけがえのない大切な存在だ。
「——ヴルク団長、これからもよろしく」
「ツカニナ子爵、こちらこそよろしくお願いいたします」
初めて依頼をする若い貴族と、まだ就任したばかりの新団長は、互いに固く手を握り合った。
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