あの日から恋してますか?

水城ひさぎ

文字の大きさ
17 / 29
どうして別れたんですか?

9

しおりを挟む



「恭市さんからカフェに戻ってこいってメールきたわ。ごめんね、つぐみちゃん。また行ってくれる?」

 博物館近くの公園では、年に一度開催されるフェスティバルが行われていた。

 ちょっとしたクイズゲームや、迷路のようなアトラクションで、まだ遊んでたい!と騒ぐ3歳の甥っ子の横で、1歳の姪っ子と手をつなぐ千花さんは、あきれた顔をしている。

「高輪さんが帰るのかも。千花さんは大丈夫?」
「私の心配はいいの。行ってきて」
「すぐに戻るね」
「ゆっくりね」

 微笑む千花さんに見送られて、私は公園を出た。
 カフェまでは遠くない。走っていけば、5分とかからないだろう。

 瑛士は人に合わせるのがあまり好きではない。私が来るのを待ってる人ではないし、帰りたくなったら帰ってしまう人だろう。

 もう一度、瑛士に会いたい。

 その思いが私を急がせる。
 何年経っても瑛士が好きだと実感するのはこんな時だ。

 瑛士に会えなくなるぐらいなら、彼氏なんていらないって、心のどこかで思ってる。

「あれ? 花野井さん」

 カフェに駆け込んだ私を見て、帰り支度をしていた瑛士が驚いた。

「お兄ちゃんは?」

 店内を見回す。兄の姿がない。テーブルの上には、伝票もない。

「たった今、帰られたよ。入れ違いになったのかな。コーヒーまで奢ってもらって、申し訳なかったよ」
「お兄ちゃんが来いって言ったのに」

 思わず不満を漏らす。すると、瑛士は愉快そうに肩を揺らした。

「花野井さんってほんと、お兄さんの前だと自然体だよね。妬けちゃうな」
「え……、妬けるとかそんな……」

 ほおが熱くなる。いつもの瑛士のリップサービスなのに、赤くなってしまって恥ずかしい。

「少し、話す?」

 瑛士は荷物とかばんを持って立ち上がる。小さめの茶色の紙袋には、有名ブランドのロゴが入っている。買い物途中だったかもしれない。

「ショッピングは?」
「もう済んだから。お兄さんに連絡した方がいいかな?」
「あ、お兄ちゃんからメール」

 タイミングよく、兄からメールが入る。
 内容を見て、あぜんとしてしまう。

『高輪さんとデートしておいで』

 妙な気をきかせるものだ。兄の中の私はきっと、10年前から成長してない。

「お兄さん、なんて?」
「自由行動でいいって」

 スマホの画面を見られないようにサッと隠しながら言うと、瑛士は目を細める。そして、さりげなく私の肩を抱くように押した。

「店、変えようか」

 瑛士に連れられて入ったのは、大通りから少し入ったところにある、隠れ家的な喫茶店だった。
 彼は落ち着いた雰囲気のある、おしゃれなお店を見つけるのがうまい。

「花野井さん、何飲む?」
「高輪さんは?」
「俺は紅茶にするよ」
「じゃあ、私も。紅茶にこだわってそうなお店ですね」

 コーヒーを飲んだばかりの彼は、そこまで計算してお店選びをしたのだろう。気配りができて、自分を甘やかすのも上手な人だ。

「お兄さん、真面目な人だね。ちょっと重たいぐらいだった。花野井さんに似てる」

 程よい渋みのあるダージリンティーのティーカップに手を添えた私に、瑛士は嫌味のない笑顔を見せる。

「重たくてすみません」
「あ、誤解しないで。いい意味で、だから」

 瑛士はティーカップを持ち上げ、香りを楽しむ。

「兄と何を話したんですか?」

 カップを口もとに運んでいた彼は、唇をしめらす程度に口をつけ、ソーサーに戻した。

「どうして別れたんですかって聞かれたよ」
「そんな失礼なこと言ったんですね」

 重たい人だと思われても仕方ないと納得する。

「花野井さんに恋人ができないから心配してるみたいだったよ。俺なら、その理由がわかるかもって思ったのかもね」
「高輪さんはなんて答えたんですか?」

 別れた理由。
 私もそれを知りたい。
 何がいけなかったのか、10年経ってもわからずじまいなのだ。

「俺は飽き性なんだ」
「え?」
「花野井さんも知ってるだろう? 高校時代はやたらとモテたし、自分に合う子はいるのかな、なんて片っ端から付き合った気もする。若かったよね、俺たち」

 俺たち、と瑛士は笑う。

 私は一途に瑛士を好きだったけど、彼にとっては通過点だと思われてたのだろう。
 カッコいいから、という理由だけでモテていた彼は、私が彼を好きになった理由をそれだけだと思ってる。

 もちろん、否定はしない。私は確かに、バスケをして輝いていた瑛士に一目惚れしたのだから。

「別れる理由なんて、一つじゃないと思わない?」
「私にはわからないです」

 瑛士のことは今でも好きで、彼をいやになったことは一度もない。

「もし、どうしても答えを言えっていうなら、たぶん、合わなかったんだ。それだけだよ」
「……そうですね」
「花野井さんは何も悪くないよ」

 ひどく優しく、瑛士はそう言う。

「だからさ、新しい恋、してもいいんだよ」
「高輪さんとは、ダメですか?」

 瑛士ははっきりと、困り顔をする。
 答えはもう数日前に出てたのに、往生際悪く言ってしまって反省する。

「俺はダメだよ。ライバル会社の人間じゃ、花野井さんは苦しむよね」
「そうでしたね。忘れるところでした」
「そういうの、気にしてるうちは本気じゃないと思う」
「社内恋愛も一緒ですか?」

 みんな、就業規則違反と知りながらも恋をする。そんなの関係ないぐらい、相手を好きになってしまうから。

「そうだね。一緒だね。花野井さんは怖がってるだけだよ。今の自分が壊れてしまわないように、石橋を叩いてる。でも、渡ろうとしないよね。絶対大丈夫な恋なんてないから」
「高輪さんに告白した高校時代の私は、特別だったんですね」
「すごい勇気だったね。そんなに想われてたんだ、俺は。お兄さんに言われて気づくなんてね。あの頃の花野井さんを、俺に憧れてる他の女の子と同等に思ってた俺は、バカだったね」

 瑛士はから笑いする。

「すれ違ってるなんて、思ってなかったです」
「もっと大事にしてあげたら良かったね。この間のこと、謝るよ」
「この間って?」
「もう忘れちゃった? 花野井さんを抱こうとしたこと。本気だったらやれないよね、あんなこと。結局俺は、軽く考えてた」

 付き合うって、もっと気楽なもんじゃない?

 高校時代、瑛士に言われた言葉がふっと思い出された。

 あのとき私は、ずっと先輩と一緒にいたい、って言ったんだった。

 私の恋は、重たすぎたのだ。

「抱いてくれてもよかったんです。私はもう子どもじゃないし、もっと気楽に男性と付き合ってもよかったのかもしれないです」

 私を抱きたいと言ってくれる男性がいるなら、次は身をゆだねてみてもいいかもしれない。
 そうすることで、瑛士以外の男性を想うことができるかもしれない。

「花野井さんがいいなら……」

 瑛士はそう言いかけて、首を横にふった。

「やっぱりダメだね。俺は花野井さんをけがせない」
「どうしてけがれるなんて言うんですか? 愛し合ってるなら……」

 私を見つめる苦しげな瑛士に胸がつまる。

「愛し合ってないからですね……」

 瑛士は返事をしなかった。
 その代わり、私を解放する言葉をくれた。

「今でも、つぐみと別れたことは間違ってなかったと思ってるよ」
「はい……。わかってます」
「次の恋を応援するよ」

 そう言った瑛士の声がほんの少し震えていたように感じたのは、私の願望だったのか。

「結婚前提にお付き合いしたいって言ってくれる人のこと、前向きに考えてみようと思います」
「遠坂尚人ってやつ?」

 スマホの画面を一度見ただけで、遠坂くんのフルネームを覚えている瑛士はやはり、記憶力も高く、気配りのできる男性なのだろう。

「新幹線で会いましたよね」
「……ああ、あの男」

 すぐに思い出したのか、瑛士はそう言うと、ため息をついた。

「つらいことがあったら、いつでも連絡しておいで」
「傷つく前に助けてほしかったなんて、言いません」
「花野井さんは強いね」

 そういうところが可愛くないんだ。
 そう思ったけど、この性格はどうすることもできなくて、うなずくことも否定することもできなかった。

 瑛士のことは今でも好きだ。
 この気持ちは変わらないし、瑛士に会えば会うほど強くなる。

「好きなだけじゃ、どうにもならないこともありますね」
「俺たちはもう、子どもじゃないからね」

 好きという感情だけで突き進めない。

 自分の気持ちに誠実に生きてこなかった。その代償がいま、私を苦しめてるんだって、気づいた。

 瑛士に別れを告げられたあの日に還って、別れたくないと言ったら、私たちは今でもまだ、付き合っていられただろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

寵愛の花嫁は毒を愛でる~いじわる義母の陰謀を華麗にスルーして、最愛の公爵様と幸せになります~

紅葉山参
恋愛
アエナは貧しい子爵家から、国の英雄と名高いルーカス公爵の元へと嫁いだ。彼との政略結婚は、彼の底なしの優しさと、情熱的な寵愛によって、アエナにとってかけがえのない幸福となった。しかし、その幸福を妬み、毎日のように粘着質ないじめを繰り返す者が一人、それは夫の継母であるユーカ夫人である。 「たかが子爵の娘が、公爵家の奥様面など」 ユーカ様はそう言って、私に次から次へと理不尽な嫌がらせを仕掛けてくる。大切な食器を隠したり、ルーカス様に嘘の告げ口をしたり、社交界で恥をかかせようとしたり。 だが、私は決して挫けない。愛する公爵様との穏やかな日々を守るため、そして何より、彼が大切な家族と信じているユーカ様を悲しませないためにも、私はこの毒を静かに受け流すことに決めたのだ。 誰も気づかないほど巧妙に、いじめを優雅にスルーするアエナ。公爵であるあなたに心配をかけまいと、彼女は今日も微笑みを絶やさない。しかし、毒は徐々に、確実に、その濃度を増していく。ついに義母は、アエナの命に関わるような、取り返しのつかない大罪に手を染めてしまう。 愛と策略、そして運命の結末。この溺愛系ヒロインが、華麗なるスルー術で、最愛の公爵様との未来を掴み取る、痛快でロマンティックな物語の幕開けです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...