17 / 29
どうして別れたんですか?
9
しおりを挟む
*
「恭市さんからカフェに戻ってこいってメールきたわ。ごめんね、つぐみちゃん。また行ってくれる?」
博物館近くの公園では、年に一度開催されるフェスティバルが行われていた。
ちょっとしたクイズゲームや、迷路のようなアトラクションで、まだ遊んでたい!と騒ぐ3歳の甥っ子の横で、1歳の姪っ子と手をつなぐ千花さんは、あきれた顔をしている。
「高輪さんが帰るのかも。千花さんは大丈夫?」
「私の心配はいいの。行ってきて」
「すぐに戻るね」
「ゆっくりね」
微笑む千花さんに見送られて、私は公園を出た。
カフェまでは遠くない。走っていけば、5分とかからないだろう。
瑛士は人に合わせるのがあまり好きではない。私が来るのを待ってる人ではないし、帰りたくなったら帰ってしまう人だろう。
もう一度、瑛士に会いたい。
その思いが私を急がせる。
何年経っても瑛士が好きだと実感するのはこんな時だ。
瑛士に会えなくなるぐらいなら、彼氏なんていらないって、心のどこかで思ってる。
「あれ? 花野井さん」
カフェに駆け込んだ私を見て、帰り支度をしていた瑛士が驚いた。
「お兄ちゃんは?」
店内を見回す。兄の姿がない。テーブルの上には、伝票もない。
「たった今、帰られたよ。入れ違いになったのかな。コーヒーまで奢ってもらって、申し訳なかったよ」
「お兄ちゃんが来いって言ったのに」
思わず不満を漏らす。すると、瑛士は愉快そうに肩を揺らした。
「花野井さんってほんと、お兄さんの前だと自然体だよね。妬けちゃうな」
「え……、妬けるとかそんな……」
ほおが熱くなる。いつもの瑛士のリップサービスなのに、赤くなってしまって恥ずかしい。
「少し、話す?」
瑛士は荷物とかばんを持って立ち上がる。小さめの茶色の紙袋には、有名ブランドのロゴが入っている。買い物途中だったかもしれない。
「ショッピングは?」
「もう済んだから。お兄さんに連絡した方がいいかな?」
「あ、お兄ちゃんからメール」
タイミングよく、兄からメールが入る。
内容を見て、あぜんとしてしまう。
『高輪さんとデートしておいで』
妙な気をきかせるものだ。兄の中の私はきっと、10年前から成長してない。
「お兄さん、なんて?」
「自由行動でいいって」
スマホの画面を見られないようにサッと隠しながら言うと、瑛士は目を細める。そして、さりげなく私の肩を抱くように押した。
「店、変えようか」
瑛士に連れられて入ったのは、大通りから少し入ったところにある、隠れ家的な喫茶店だった。
彼は落ち着いた雰囲気のある、おしゃれなお店を見つけるのがうまい。
「花野井さん、何飲む?」
「高輪さんは?」
「俺は紅茶にするよ」
「じゃあ、私も。紅茶にこだわってそうなお店ですね」
コーヒーを飲んだばかりの彼は、そこまで計算してお店選びをしたのだろう。気配りができて、自分を甘やかすのも上手な人だ。
「お兄さん、真面目な人だね。ちょっと重たいぐらいだった。花野井さんに似てる」
程よい渋みのあるダージリンティーのティーカップに手を添えた私に、瑛士は嫌味のない笑顔を見せる。
「重たくてすみません」
「あ、誤解しないで。いい意味で、だから」
瑛士はティーカップを持ち上げ、香りを楽しむ。
「兄と何を話したんですか?」
カップを口もとに運んでいた彼は、唇をしめらす程度に口をつけ、ソーサーに戻した。
「どうして別れたんですかって聞かれたよ」
「そんな失礼なこと言ったんですね」
重たい人だと思われても仕方ないと納得する。
「花野井さんに恋人ができないから心配してるみたいだったよ。俺なら、その理由がわかるかもって思ったのかもね」
「高輪さんはなんて答えたんですか?」
別れた理由。
私もそれを知りたい。
何がいけなかったのか、10年経ってもわからずじまいなのだ。
「俺は飽き性なんだ」
「え?」
「花野井さんも知ってるだろう? 高校時代はやたらとモテたし、自分に合う子はいるのかな、なんて片っ端から付き合った気もする。若かったよね、俺たち」
俺たち、と瑛士は笑う。
私は一途に瑛士を好きだったけど、彼にとっては通過点だと思われてたのだろう。
カッコいいから、という理由だけでモテていた彼は、私が彼を好きになった理由をそれだけだと思ってる。
もちろん、否定はしない。私は確かに、バスケをして輝いていた瑛士に一目惚れしたのだから。
「別れる理由なんて、一つじゃないと思わない?」
「私にはわからないです」
瑛士のことは今でも好きで、彼をいやになったことは一度もない。
「もし、どうしても答えを言えっていうなら、たぶん、合わなかったんだ。それだけだよ」
「……そうですね」
「花野井さんは何も悪くないよ」
ひどく優しく、瑛士はそう言う。
「だからさ、新しい恋、してもいいんだよ」
「高輪さんとは、ダメですか?」
瑛士ははっきりと、困り顔をする。
答えはもう数日前に出てたのに、往生際悪く言ってしまって反省する。
「俺はダメだよ。ライバル会社の人間じゃ、花野井さんは苦しむよね」
「そうでしたね。忘れるところでした」
「そういうの、気にしてるうちは本気じゃないと思う」
「社内恋愛も一緒ですか?」
みんな、就業規則違反と知りながらも恋をする。そんなの関係ないぐらい、相手を好きになってしまうから。
「そうだね。一緒だね。花野井さんは怖がってるだけだよ。今の自分が壊れてしまわないように、石橋を叩いてる。でも、渡ろうとしないよね。絶対大丈夫な恋なんてないから」
「高輪さんに告白した高校時代の私は、特別だったんですね」
「すごい勇気だったね。そんなに想われてたんだ、俺は。お兄さんに言われて気づくなんてね。あの頃の花野井さんを、俺に憧れてる他の女の子と同等に思ってた俺は、バカだったね」
瑛士はから笑いする。
「すれ違ってるなんて、思ってなかったです」
「もっと大事にしてあげたら良かったね。この間のこと、謝るよ」
「この間って?」
「もう忘れちゃった? 花野井さんを抱こうとしたこと。本気だったらやれないよね、あんなこと。結局俺は、軽く考えてた」
付き合うって、もっと気楽なもんじゃない?
高校時代、瑛士に言われた言葉がふっと思い出された。
あのとき私は、ずっと先輩と一緒にいたい、って言ったんだった。
私の恋は、重たすぎたのだ。
「抱いてくれてもよかったんです。私はもう子どもじゃないし、もっと気楽に男性と付き合ってもよかったのかもしれないです」
私を抱きたいと言ってくれる男性がいるなら、次は身をゆだねてみてもいいかもしれない。
そうすることで、瑛士以外の男性を想うことができるかもしれない。
「花野井さんがいいなら……」
瑛士はそう言いかけて、首を横にふった。
「やっぱりダメだね。俺は花野井さんをけがせない」
「どうしてけがれるなんて言うんですか? 愛し合ってるなら……」
私を見つめる苦しげな瑛士に胸がつまる。
「愛し合ってないからですね……」
瑛士は返事をしなかった。
その代わり、私を解放する言葉をくれた。
「今でも、つぐみと別れたことは間違ってなかったと思ってるよ」
「はい……。わかってます」
「次の恋を応援するよ」
そう言った瑛士の声がほんの少し震えていたように感じたのは、私の願望だったのか。
「結婚前提にお付き合いしたいって言ってくれる人のこと、前向きに考えてみようと思います」
「遠坂尚人ってやつ?」
スマホの画面を一度見ただけで、遠坂くんのフルネームを覚えている瑛士はやはり、記憶力も高く、気配りのできる男性なのだろう。
「新幹線で会いましたよね」
「……ああ、あの男」
すぐに思い出したのか、瑛士はそう言うと、ため息をついた。
「つらいことがあったら、いつでも連絡しておいで」
「傷つく前に助けてほしかったなんて、言いません」
「花野井さんは強いね」
そういうところが可愛くないんだ。
そう思ったけど、この性格はどうすることもできなくて、うなずくことも否定することもできなかった。
瑛士のことは今でも好きだ。
この気持ちは変わらないし、瑛士に会えば会うほど強くなる。
「好きなだけじゃ、どうにもならないこともありますね」
「俺たちはもう、子どもじゃないからね」
好きという感情だけで突き進めない。
自分の気持ちに誠実に生きてこなかった。その代償がいま、私を苦しめてるんだって、気づいた。
瑛士に別れを告げられたあの日に還って、別れたくないと言ったら、私たちは今でもまだ、付き合っていられただろうか。
「恭市さんからカフェに戻ってこいってメールきたわ。ごめんね、つぐみちゃん。また行ってくれる?」
博物館近くの公園では、年に一度開催されるフェスティバルが行われていた。
ちょっとしたクイズゲームや、迷路のようなアトラクションで、まだ遊んでたい!と騒ぐ3歳の甥っ子の横で、1歳の姪っ子と手をつなぐ千花さんは、あきれた顔をしている。
「高輪さんが帰るのかも。千花さんは大丈夫?」
「私の心配はいいの。行ってきて」
「すぐに戻るね」
「ゆっくりね」
微笑む千花さんに見送られて、私は公園を出た。
カフェまでは遠くない。走っていけば、5分とかからないだろう。
瑛士は人に合わせるのがあまり好きではない。私が来るのを待ってる人ではないし、帰りたくなったら帰ってしまう人だろう。
もう一度、瑛士に会いたい。
その思いが私を急がせる。
何年経っても瑛士が好きだと実感するのはこんな時だ。
瑛士に会えなくなるぐらいなら、彼氏なんていらないって、心のどこかで思ってる。
「あれ? 花野井さん」
カフェに駆け込んだ私を見て、帰り支度をしていた瑛士が驚いた。
「お兄ちゃんは?」
店内を見回す。兄の姿がない。テーブルの上には、伝票もない。
「たった今、帰られたよ。入れ違いになったのかな。コーヒーまで奢ってもらって、申し訳なかったよ」
「お兄ちゃんが来いって言ったのに」
思わず不満を漏らす。すると、瑛士は愉快そうに肩を揺らした。
「花野井さんってほんと、お兄さんの前だと自然体だよね。妬けちゃうな」
「え……、妬けるとかそんな……」
ほおが熱くなる。いつもの瑛士のリップサービスなのに、赤くなってしまって恥ずかしい。
「少し、話す?」
瑛士は荷物とかばんを持って立ち上がる。小さめの茶色の紙袋には、有名ブランドのロゴが入っている。買い物途中だったかもしれない。
「ショッピングは?」
「もう済んだから。お兄さんに連絡した方がいいかな?」
「あ、お兄ちゃんからメール」
タイミングよく、兄からメールが入る。
内容を見て、あぜんとしてしまう。
『高輪さんとデートしておいで』
妙な気をきかせるものだ。兄の中の私はきっと、10年前から成長してない。
「お兄さん、なんて?」
「自由行動でいいって」
スマホの画面を見られないようにサッと隠しながら言うと、瑛士は目を細める。そして、さりげなく私の肩を抱くように押した。
「店、変えようか」
瑛士に連れられて入ったのは、大通りから少し入ったところにある、隠れ家的な喫茶店だった。
彼は落ち着いた雰囲気のある、おしゃれなお店を見つけるのがうまい。
「花野井さん、何飲む?」
「高輪さんは?」
「俺は紅茶にするよ」
「じゃあ、私も。紅茶にこだわってそうなお店ですね」
コーヒーを飲んだばかりの彼は、そこまで計算してお店選びをしたのだろう。気配りができて、自分を甘やかすのも上手な人だ。
「お兄さん、真面目な人だね。ちょっと重たいぐらいだった。花野井さんに似てる」
程よい渋みのあるダージリンティーのティーカップに手を添えた私に、瑛士は嫌味のない笑顔を見せる。
「重たくてすみません」
「あ、誤解しないで。いい意味で、だから」
瑛士はティーカップを持ち上げ、香りを楽しむ。
「兄と何を話したんですか?」
カップを口もとに運んでいた彼は、唇をしめらす程度に口をつけ、ソーサーに戻した。
「どうして別れたんですかって聞かれたよ」
「そんな失礼なこと言ったんですね」
重たい人だと思われても仕方ないと納得する。
「花野井さんに恋人ができないから心配してるみたいだったよ。俺なら、その理由がわかるかもって思ったのかもね」
「高輪さんはなんて答えたんですか?」
別れた理由。
私もそれを知りたい。
何がいけなかったのか、10年経ってもわからずじまいなのだ。
「俺は飽き性なんだ」
「え?」
「花野井さんも知ってるだろう? 高校時代はやたらとモテたし、自分に合う子はいるのかな、なんて片っ端から付き合った気もする。若かったよね、俺たち」
俺たち、と瑛士は笑う。
私は一途に瑛士を好きだったけど、彼にとっては通過点だと思われてたのだろう。
カッコいいから、という理由だけでモテていた彼は、私が彼を好きになった理由をそれだけだと思ってる。
もちろん、否定はしない。私は確かに、バスケをして輝いていた瑛士に一目惚れしたのだから。
「別れる理由なんて、一つじゃないと思わない?」
「私にはわからないです」
瑛士のことは今でも好きで、彼をいやになったことは一度もない。
「もし、どうしても答えを言えっていうなら、たぶん、合わなかったんだ。それだけだよ」
「……そうですね」
「花野井さんは何も悪くないよ」
ひどく優しく、瑛士はそう言う。
「だからさ、新しい恋、してもいいんだよ」
「高輪さんとは、ダメですか?」
瑛士ははっきりと、困り顔をする。
答えはもう数日前に出てたのに、往生際悪く言ってしまって反省する。
「俺はダメだよ。ライバル会社の人間じゃ、花野井さんは苦しむよね」
「そうでしたね。忘れるところでした」
「そういうの、気にしてるうちは本気じゃないと思う」
「社内恋愛も一緒ですか?」
みんな、就業規則違反と知りながらも恋をする。そんなの関係ないぐらい、相手を好きになってしまうから。
「そうだね。一緒だね。花野井さんは怖がってるだけだよ。今の自分が壊れてしまわないように、石橋を叩いてる。でも、渡ろうとしないよね。絶対大丈夫な恋なんてないから」
「高輪さんに告白した高校時代の私は、特別だったんですね」
「すごい勇気だったね。そんなに想われてたんだ、俺は。お兄さんに言われて気づくなんてね。あの頃の花野井さんを、俺に憧れてる他の女の子と同等に思ってた俺は、バカだったね」
瑛士はから笑いする。
「すれ違ってるなんて、思ってなかったです」
「もっと大事にしてあげたら良かったね。この間のこと、謝るよ」
「この間って?」
「もう忘れちゃった? 花野井さんを抱こうとしたこと。本気だったらやれないよね、あんなこと。結局俺は、軽く考えてた」
付き合うって、もっと気楽なもんじゃない?
高校時代、瑛士に言われた言葉がふっと思い出された。
あのとき私は、ずっと先輩と一緒にいたい、って言ったんだった。
私の恋は、重たすぎたのだ。
「抱いてくれてもよかったんです。私はもう子どもじゃないし、もっと気楽に男性と付き合ってもよかったのかもしれないです」
私を抱きたいと言ってくれる男性がいるなら、次は身をゆだねてみてもいいかもしれない。
そうすることで、瑛士以外の男性を想うことができるかもしれない。
「花野井さんがいいなら……」
瑛士はそう言いかけて、首を横にふった。
「やっぱりダメだね。俺は花野井さんをけがせない」
「どうしてけがれるなんて言うんですか? 愛し合ってるなら……」
私を見つめる苦しげな瑛士に胸がつまる。
「愛し合ってないからですね……」
瑛士は返事をしなかった。
その代わり、私を解放する言葉をくれた。
「今でも、つぐみと別れたことは間違ってなかったと思ってるよ」
「はい……。わかってます」
「次の恋を応援するよ」
そう言った瑛士の声がほんの少し震えていたように感じたのは、私の願望だったのか。
「結婚前提にお付き合いしたいって言ってくれる人のこと、前向きに考えてみようと思います」
「遠坂尚人ってやつ?」
スマホの画面を一度見ただけで、遠坂くんのフルネームを覚えている瑛士はやはり、記憶力も高く、気配りのできる男性なのだろう。
「新幹線で会いましたよね」
「……ああ、あの男」
すぐに思い出したのか、瑛士はそう言うと、ため息をついた。
「つらいことがあったら、いつでも連絡しておいで」
「傷つく前に助けてほしかったなんて、言いません」
「花野井さんは強いね」
そういうところが可愛くないんだ。
そう思ったけど、この性格はどうすることもできなくて、うなずくことも否定することもできなかった。
瑛士のことは今でも好きだ。
この気持ちは変わらないし、瑛士に会えば会うほど強くなる。
「好きなだけじゃ、どうにもならないこともありますね」
「俺たちはもう、子どもじゃないからね」
好きという感情だけで突き進めない。
自分の気持ちに誠実に生きてこなかった。その代償がいま、私を苦しめてるんだって、気づいた。
瑛士に別れを告げられたあの日に還って、別れたくないと言ったら、私たちは今でもまだ、付き合っていられただろうか。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
5
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる