砂色のステラ

水城ひさぎ

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楽園編

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 扉の奥へ進むと、神聖な空気に包まれた。正面には白い大理石の祭壇があり、聖杯や杖が飾られている。それらの神具を、ステンドグラスから差し込む月明かりが照らし、光が広がっている。その神々しい光の中に、リーヴァの街で見た教皇の銅像によく似た老齢の男がたたずんでいた。彼がフィリス教皇だろう。

 フィリス教皇は簡単に人を寄せ付けない厳格な雰囲気をまとい、感情をさとらせない顔つきをしていた。しかし、セリオスは迷わずまっすぐ彼に向かっていく。レオナはあとに続いた。

「教皇猊下、お目にかかれて光栄です。エルアルム国王子、セリオス・ダムハートと申します」

 セリオスは軽く頭をさげたあと、レオナへと目を向ける。レオナはスカートをつまもうとしたが、チュニック姿だったことに気づき、胸に手をあててお辞儀する。

「妻のレオナです。本日は保護してくださり、ありがとうございました。感謝申し上げます」

 レオナが顔をあげると、フィリスの目元がわずかに和らいだ。しかし、セリオスへ視線を向けた途端、そのまなざしは冷ややかなものになる。

「よくぞ参られた、セリオス殿。15年前に連れ去られたレオナが、あなたの手によって戻ったことは喜ばしい。ご苦労であった」

 まるで、レオナがセリオスと出会い、ユーラスへ戻ることが必然であったかのように、フィリスはセリオスをねぎらった。セリオスは自身が利用されたと感じたのか、わずかに顔色を変えた。

「レオナが連れ去られたとおっしゃいましたか? ロデリックからは、レオナの母であるエレノアに託されて預かったと聞いています」

 言いたいことはほかにもあっただろう。しかし、すべてを飲み込んで、セリオスは確かめるように尋ねた。

「それは事実。しかし、私は引きとめた。ステラサンクタの血を引くものは、ユーラスを出て暮らすことはできない戒律がある。ロデリック・ベネットはそれを知りながら、レオナを連れ去った。いかなる理由があろうとも、決して許されぬことだ」
「恐縮ですが、申し上げます。グレイシル領主であるストークス伯爵家には、ステラサンクタが嫁いだ記録があります。そんな戒律は存在していないはずです」

 レオナは驚いて、セリオスを見上げた。その顔には、苦々しい表情が浮かんでいた。

「一度は許した。しかし、あのステラサンクタは短い人生を遂げ、子孫に禍根を残した。あのときに戒律としたのだ」
「……都合のいい話ではありませんか」

 セリオスは怒りを抑えるように一瞬沈黙したが、昂りを隠せずに声を震わせた。しかし、フィリスは冷静に言をつむぐ。

「ステラサンクタを守るために戒律は存在する。エレノアのときも譲歩した。しかし、私は間違っていた。ステラサンクタはステラサンクタと結婚し、ユーラスで生きるべき存在だ」

 戒律、短命、禍根……。ステラサンクタがステラサンクタ以外と結婚し、楽園の外で暮らすことの危うさをフィリスは語る。何もかもが初めて聞く話だった。ストークス家にステラサンクタが嫁いでいた話も知らなかった。だから、アメリアは言ったのだ。貴族と結婚したステラサンクタを知っていると。

「お母さまのときに何を譲歩したのですか?」

 おそらく、エレノアは戒律を破る真似をしたのだろう。だから、フィリスは譲歩したのだ。そうとしか考えられなくて、レオナは尋ねた。

 フィリスは、うむ、とゆっくりうなずき、口を開く。

「まだユーラスが開かれていたころ、ひとりの若者がここを訪れた。その若者は言った。リーヴァでエレノアに出会い、心惹かれていると。エレノアもまた、その若者を好いていた」
「その若者というのは……、私のお父さまですか?」
「そうだ。ふたりは結婚し、王都で暮らしたいと言い出した」
「王都で……? お父さまは王都に暮らす人だったのですか? ステラサンクタの剣士だとばかり……」
「ステラサンクタに剣士などおりはせぬ」
「そうなのですか? お父さまは剣士だと聞いていて……」

 レオナは素直に驚いた。その様子を見て、フィリスはすべてを察したかのような顔をした。

「ロデリックは何も話していないのだな」
「はい……。公爵のお父さまは私に何不自由ない生活を送らせてくださいましたけれど、ユーラスに関することはあまり……」
「では今、私が伝えよう。レオナの父であるサイラスは、ロデリックの弟である。ロデリックは弟の残した忘れ形見を連れ去ったのだ」

 レオナが息を飲む横で、セリオスはつぶやく。

「ロデリックの弟は流行病で亡くなったと聞いていたが……まさか」

 フィリスは目を細め、話を続けた。

「ふたりは結婚を望んだが、戒律を破るわけにはいかないとさとすと、サイラスはすべてを捨ててユーラスへ来た。その覚悟には心を動かされたが、それが間違いであった。私は二度も間違えた。ふたりの結婚を認めたがために天罰はくだり、ユーラスは襲われ、多くの血を流し、エレノアもサイラスも死んだ。神はお許しにならなかったのだ」
「ユーラスにステラサンクタ以外を住まわせたから戦争が起きた。本気でそれを言うのか」

 セリオスはあきれ顔をした。しかし、フィリスはしかつめらしい表情を崩さない。

「ステラサンクタたちは穏やかに暮らさねばならぬ。災いを招く者を二度と住まわせるわけにはいかない」
「つまりそれは、レオナを王都へ行かせることも、俺がここに暮らすことも許さない。そういうことか」

 フィリスとセリオスの対立はすでにあからさまになっていた。静かに怒りを見せるセリオスを意に介さず、フィリスは戸惑うレオナに穏やかに語りかける。

「15年が過ぎ、ユーラスは安全な地となった。レオナはここに残り、幸せに暮らしなさい」
「私だけここに残りなさいと言うのですか?」

 ハッとして、レオナが悲愴な声をあげると、フィリスはあわれむ目をするが、その口から出るのは非情な言葉だった。

「今夜は別れを決意しなさい」

 絶句するレオナから目を離し、フィリスはロエルへと視線を移した。

「ふたりを下がらせなさい」
「かしこまりました。捕らえた者たちはどういたしましょうか」

 ロエルがそう言う。

「セリオス殿とともに帰らせなさい」

 それを聞いて、レオナはあわてた。

「ま、待ってくださいっ。レイヴンは自身のお父さまを探しています。15年前のあの日、ここを訪れていたノクシスの民がいたはずです。教皇様ならご存知ありませんか?」

 フィリスはじっとレオナを見つめ、何やら思案しているように黙り込んだ。辛抱強く待つように、レオナもフィリスの目を見つめ返していると、根負けしたように彼は言う。

「明日の朝、またここに来なさい。犠牲者の石碑へ案内しよう」
「石碑には犠牲者の名が刻まれているのですよね?」

 やはり、石碑はあったのだ。

「還れなかった者たちは丁寧に弔った。あの日、ユーラスを訪れていたなら見つかるであろう」

 フィリス教皇は慈悲深い。レイヴンは父とともに必ず、ノクシスへ帰れるだろうと期待が高まる。

「……私の両親はどこにいますか?」

 レオナは祈るように尋ねる。会いたかった。本当の両親に。その気持ちを汲むように、フィリスは優しく答える。

「エレノアとサイラスの墓石もある。今夜は遅い。明日まで待つが良い」
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