何万回囁いても

水城ひさぎ

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結衣の声

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***


「で、それは寄りが戻ったってことなの?」

 会社帰りに亜紀を呼び出した私は、佑樹とのことを彼女に話していた。

 ここは亜紀とふたりでよく利用する居酒屋。いつもはたわいのない会話で盛り上がるのに、最近は佑樹の話ばかり。

 あきれる亜紀を見て、自分のふがいなさに落ち込んでしまう。

「そんな暗い顔しないの。佑樹さんが元カノより結衣を選んでくれたってことでしょ」
「違うよ……」
「なんでそう思うの?」
「……」
「結衣は心配しすぎなのよ」

 亜紀は私たちを応援してくれるけれど、それは何も知らないからだ。

 佑樹には元カノに戻れない理由がある。戻れないから、身代わりを抱く。彼女の幻を抱くのだ。

「佑樹の元カノはね、死んでるの」
「……えぇ?」

 亜紀は息を飲み、まばたきを忘れて私を見た。

「声がね……」
「声?」
「うん……」

 出来れば知らないでおきたかった。亜紀に話さずに済むなら、それで良かった。だけどもう苦しくて、この悲しみは一人では受け止められそうにない。

「私の声、元カノにそっくりなの」
「そっくりって……」
「だから佑樹は私を手放したくないだけ。元カノを忘れられないんだよ」

 佑樹の元カノはとても美しい人。私がどれだけおしゃれしたって、どれだけ頑張ったって足元にも及ばない。

 なのに、おんなじ声してる。その事実を知った時、こんな皮肉あるんだろうかって思った。あんなにカッコいい佑樹が、私みたいな普通の女の子を好きになってくれるなんて不思議だった。その理由を突きつけられた気もした。

「結衣……」
「もう身代わりはいやで、いやで……」

 カクテルを一気に飲んだ。涙も苦しみも全部、飲み込んでしまえたらいいのに。あとかたもなく、消えてしまえばいいのに。

「別れたいのに……」

 別れられたら楽になれる。だけど、どうしたって無理なのだ。

 私はおかしくなるくらい佑樹を愛してる。どれだけ愛してるって言ったって、佑樹にとっては元カノからの愛の言葉にしか聞こえないのに。

 届かない気持ちだったからって、私に言わせるなんてズルい。死んでしまうなんて、ズルい。

「ごめん、亜紀。もう帰る」

 一方的に席を立った時、私の背中に声がかかる。

「あれ? 雅也とこないだ一緒にいた子だよね」
「誰?」

 私が振り返るより先に、亜紀の視線は私の後ろに立つ人物をとらえていた。

 いぶかしげな亜紀の横に男性が移動してくる。私の視界に姿を見せたのは、穏やかな茶色の瞳の青年だった。

「芳人さんでしたっけ?」
「覚えててくれたんだ」

 芳人さんはにっこりとした。穏やかなのは瞳だけじゃないみたい。とても温かみのある優しい声で、柔らかい表情をする人だ。

 雅也さんも、佑樹じゃなくて芳人さんを紹介してくれたら良かったのに。気弱になっていた私は、ほんの少しだけそんなことを思ってしまった。

「一緒に飲んでいい?」

 芳人さんはまだ食事中の私たちのテーブルを眺めてそう言う。帰ろうと思ってたけど、帰るなんて言い出せない雰囲気になってしまう。

「芳人さんはひとりですか?」
「うん、そう。ここ、ひとりでよく来るよ。店長と知り合いでさ」

 そう言って、芳人さんは店長と目配せし、ビールを注文した。

 亜紀は私の隣に移動してくると、なんかちょっと怪しくない?といぶかしげに耳打ちしてくる。

「雅也さんの高校時代のお友達なんだって」
「ふーん」

 それでも亜紀は怪訝そうだったけど、彼女の座っていた場所に腰を下ろす芳人さんに何も言わなかった。

「ふたりはどういう関係? あっ、その前に自己紹介だね。俺、松田芳人って言います」

 芳人さんは人見知りしない人みたいだった。簡単なあいさつをすると、亜紀にもにっこりと微笑みかける。

「亜紀です。結衣とは高校の同級生なの」
「へぇ、高校からの友達なんだ」

 亜紀はうなずくだけで、必要以上に話そうとしない。それでも彼は、会話を絶やさないように話しかけてくる。

「亜紀ちゃんは彼氏いるの?」
「募集中ですよ」
「そんなにかわいいのに?」

 亜紀は私から見てもかわいい。恋人選びに慎重になってると言ってたから、今はいないだけだろう。

 それからも、芳人さんはやたらと亜紀に話しかけた。
 私はぼんやりとその様子を見ながら、二杯目のカクテルをチビチビと飲んだ。
 おじゃまかなぁと思っていると、芳人さんの亜紀に向けられていた視線がいきなり私をとらえた。

「結衣ちゃんは杉田さんの彼女だっけ?」
「え……あ、はい」
「杉田さん、かっこいいから彼女もかわいいんだね」
「そんなことないです」

 困惑しながら否定するけど、佑樹の話題を歓迎できる気分ではなくて、素っ気なく言ってしまった。

「佑樹さんのお知り合いですか?」

 亜紀が助け船を出してくれる。

「一度会ったことがあるだけだよ。でもさ、杉田さんって、すごく印象に残る整った顔してるからよく覚えてるよ」

 雅也さんに一緒に飲まないかと誘われて行った居酒屋に、同じように誘われた佑樹がいたと、彼は話した。

 それは一年ぐらい前のことらしい。私と佑樹は、その頃にはもう付き合っていた。

 佑樹から芳人さんの話は聞いたことがないから、それだけの付き合いなのだろう。内心、ほっとする。佑樹を知らない人と一緒にいる方が、今は落ち着く。

「杉田さんさ、あんまり彼女がいるってこと知られたくないみたいだったから、ちょっとわけありな彼女なのかなって思ってたけど、自慢してもいいぐらいかわいい子でびっくりしたよ」

 私と亜紀はその言葉を聞いて目をあわせた。芳人さんはきょとんとする。

「俺、なんかまずいこと言った?」
「佑樹さん、彼女いるの隠してる感じだったんですか?」

 私が聞きたいことを亜紀が代弁してくれる。

「あー、いや……」

 芳人さんはまずいなという顔をあからさまにした。一気に不安になってしまう。

 そこからの亜紀の質問攻めはすさまじかった。困り果てる芳人さんが気の毒になってしまうほど。

 たった一度佑樹に会っただけなのに、その時に話したことを根掘り葉掘り聞かれた芳人さんは、遠い記憶をひねり出すように話してくれた。ただ、彼女がいることを隠しているという話だけは、不思議に思ったから鮮明に覚えていたようだった。

「会社では彼女はいないことになってるらしいよ」

 今さら佑樹に失望するなんて思わなかったけど、まだ私の心は傷つく余地があったみたい。考えてみれば、私は佑樹の友人に会ったことがない。唯一共通の知り合いの雅也さんにも積極的に会わせようということはなかった。

 佑樹の恋人になれて舞い上がってたのは、やっぱり私だけだったみたい。

「なんか……ごめんね」

 頼りなげに眉を下げる芳人さんに、私は首を振ってみせた。

 芳人さんが謝る必要なんてない。それがわかっただけ良かったんだって思う。佑樹を嫌いになれたらいい。そうしないと、きっと別れられない。

 時間を確認するためにスマホを見ると、佑樹からメールが入っていた。

 週末は絶対に来てと言われたけど、行くのはやめよう。佑樹が諦めてくれるのを待とう。そんな思いで、佑樹のメールボックスごと削除した。

 週末、どこかに行こうか。

 その一文を、私は読まなかった。
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