何万回囁いても

水城ひさぎ

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結衣の声

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***


 最近、会社の喫煙ルームが憩いの場になっている。そのためか、タバコの本数も増えた。結衣のためにやめなければと思っていたが、当分無理そうだ。

「週末、旅行に行く?」

 まったくタバコをやめる気のない雅也が驚いた顔で俺を見る。

「急だな」
「昨日、ネットで予約したんだ」

 結衣が疲れているというから、気晴らしに出掛けようと計画した。

 結衣にはまだ、詳しい旅行の計画は話してないけど、週末は必ず来てと伝えておいたからきっと来てくれるだろう。

 少しずつ、結衣が元気になってくれればいい。以前の結衣に戻ってくれればいい。そのためなら、どれほどの時間がかかってもかまわない。辛抱強く待とうと、涙する結衣を見て決意した。

「悩みがなんだったのかはわかったのか?」
「なかなか言わないんだ。無理に聞くのはかわいそうだから、やめにしたんだ」
「お盆に何かあったんだろうな。まさかおまえ、結衣ちゃんがいないうちに浮気したんじゃないだろうな」
「まさか」
「だよな」

 疑った雅也でさえ、俺のひとことですぐに納得してしまう。

 俺は結衣にべたぼれだ。雅也もよく知ってる。

「で、旅行ってどこに行くんだよ」
「結衣とはじめて旅行した場所だよ」
「昔を思い出させようって魂胆か」

 見透かされている。

「雅也にはかなわないな」

 雅也の想像通り、俺は一からやり直したってかまわないという気持ちでいる。

 二年前、結衣と旅行に行った場所は、はじめて結ばれた場所。そこへ行けば、幸せだった頃を思い出してくれるだろう。緊張してうまく話せなかった頃が懐かしく思えるだろう。

 あの頃の結衣は無口だった。今の無口な結衣とは意味合いが違うかもしれないが、そんな結衣もかわいいと思った。

 俺と目をあわせるだけで真っ赤になり、キスをすればガチガチになった。はじめて結ばれた時は、緊張で気を失うんじゃないかと心配したぐらいだ。そんな結衣が懐かしい。

 あの時の彼女は、俺だけを見て、俺だけを愛してくれた。結衣に愛してると囁かれると、心が豊かになれた。

 いつか昔みたいに愛してるといってもらいたい。結衣が側にいてくれるだけで優しい気持ちになれる。愛してる、なんて言葉では足りないほどの愛情を結衣からもらった。

 結衣が俺を大事に想ってくれたから、俺も結衣を裏切るようなことは一度もしなかった。

 この気持ちをわかってもらいたい。そのためには、二人きりになる時間が必要なのだ。

「そういえばさ」

 雅也は何気に言い出したが、俺にはタイミングを見計らったように感じた。

「彼女、帰国したらしいよ」
「知ってるよ。メールもらったから」
「まだ連絡取り合ってるのか?」
「違うよ。もう10年、会ってない」
「ならいいけど。今は会うなよ。結衣ちゃんに知られたら、いよいよやばいだろ」
「……いつかは話すよ」

 結衣に隠し事をしてはいけないとはわかっている。だけど、今は話せない。変に誤解されたくないから、結衣を彼女に会わせられない。

「なんで今さら、日本に来るかね?」
「すぐにアメリカに戻るってさ。本の出版がらみの仕事で来るだけなんだよ」
「そんなに売れてるか?」
「知らない。興味ないし」
「まあ、確かに。詩集なんて、読むたまじゃないよな、俺たち」

 雅也は苦々しく笑って、タバコを灰皿に押し付けると、スマホを取り出した。

「ちょっと面白いもん見つけたんだよ」

 そう言って、雅也は某動画サイトの画面を俺に見せてきた。

「彼女が帰国するっていうから、ちょっとサイトで調べてみたんだ」

 画面をのぞきこみ、顔をしかめる。そこには、忘れたい元カノの過去が写し出されていた。

「これ、自分でアップしたんだぜ、きっと」
「本の宣伝だろうな」
「ああ。これ観たファンは泣くな。彼女、死んでると思うぜ」
「まあ……、まったくの嘘じゃないし」

 かばうわけじゃないけど、彼女がこのとき病で苦しんでいたのは事実だった。売名行為だと思うのも忍びなかっただけだ。

「寄り、戻すなよ。おまえには結衣ちゃんがいるんだから」
「もうそんなんじゃないよ」
「三年も付き合ってて?」
「あいつが俺をふったんだぜ」

 思い出したくもない過去だ。今さら彼女とどうこうなることなんてない。結衣を不安にさせることもない。

「結衣が落ち着いたら話すよ。それまでは雅也も黙っておいてくれないか」

 いたずらに結衣を動揺させたくない。

 雅也もそう思ったのだろう。反論せず、無言でうなずいた。

 まずは結衣との関係を回復したい。俺の願いはそれだけだった。
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