君の世界は森で華やぐ

水城ひさぎ

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君の世界は森で華やぐ 〜1〜

婚約者の弟と 4

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 この町へ来たのは二日前のことなのに、電車に乗り込むのはひどく久しぶりな気がした。
 ふたりがけの席が向かい合うシートに寛人さんと並んで腰かける。電車が発車すると、少しだけ上げた窓から風が吹き込み、彼の前髪を揺らす。
 その横顔を見上げていると、少しだけ明敬さんに似ている、と思った。あごのラインは寛人さんの方が細いけど、切れ長の瞳は似ている。
 似てるのに、ふたりはまったく違う。
 明敬さんとは何年も一緒に仕事をしてきた仲で、寛人さんとはまだ出会ったばかり。それでも気づいてる。私が私らしく振る舞っているのは、寛人さんと過ごしている時の方。

「ねぇ、寛人さん。どうして一人暮らししてるの?」

 気づいたら尋ねていた。元カノを待ってるからあの町を離れられないんだってうわさ話を、否定して欲しかったのかもしれない。

「出ていく理由もないからね。不便もないし」

 あっさりと彼はそう答えた。都会で暮らす人からしたら、好んで不便な生活をしてるように見えるけれど。

「友だちもいるものね」
「友だちなんていないよ」
「そうなの? ……ほら、言ってたじゃない。室戸さんって人のこと。あなたと同じで、自然の声が聞こえる人がいるって」
「ああ」

 寛人さんは、よくそんな話覚えてたね、と微笑むと、窓のへりに肘をかけてほおづえをついた。

「室戸さんは伯父さんだよ」
「おじさん?」
「母さんのお兄さん。母さんが喫茶店をやめたのは俺が15の時で、そのときに伯父さんが喫茶店を譲り受けたんだ。結局室戸さんは体調崩して喫茶店を閉店させたけど、それが10年前」
「喫茶店をやめたあとはどうしてたの?」
「ずっと室戸さんとあの家に住んでたよ」

 ちょっと想像がつかなくて、さらに尋ねる。

「寛人さんはずっと森の家で暮らしてるのよね?」

 森の家?と彼は私が勝手に呼ぶ通称を笑って、「そうだよ」とうなずく。

「室戸さんが喫茶店をやるようになってから、母さんは父さんや兄さんと今の家で暮らすようになったけど、俺は室戸さんとあの家で暮らしてた」
「寛人さんとお母さんは、社長や明敬さんと離れて暮らしてたのね」
「喫茶店やりたいって母さんの夢、父さんは応援してたから。兄さんはこっちで暮らしたり、父さんと暮らしたり、いろいろ」
「じゃあ、寛人さんはあんまりお父さんと暮らしてないのね」

 春宮社長は今どき珍しいぐらいの仕事人間で、そういう生活が性に合っていたのかもしれないけれど、寛人さんはどう感じていたのだろうと思う。

「父さんは俺に期待してないから、そのぐらいの距離がちょうどいいんだ」

 ちょっと悲しそうに彼は目を伏せる。彼が頼りなく見えるのは自信がないからだ。父親から期待されないことが、彼の自信を奪っている。

「伯父さんが父親がわりになってたのね」

 母親が息子を森の家に残して夫と暮らす決意をしたのは、室戸さんの存在があったからだろう。

「室戸さんはいま、どうしてるの?」
「死んだよ、二年前に。自然からも人からも愛される、すごい人だった」

 そう言った寛人さんの目に輝きが戻る。室戸さんとの信頼関係が強かったことを物語るよう。

「だから離れられないでいるの?」
「考えたこともなかったけど、そうかもしれない。庭にたくさん来る動物は、室戸さんを慕ってる動物たちだよ。室戸さんはなんでもできたし、話上手だった。俺がいまこうしていられるのは全部室戸さんのおかげなんだ」
「室戸さんみたいになりたい?」
「なりたいからなれるものじゃないよ」

 寛人さんはくすっと笑ったが、やっぱりなりたいと願ってるんだろうとは思った。同時に、彼は決してあの町から出ないだろう。あの町で生きていく人だ、とも悟らずにはいられなかった。
 私はいつまで寛人さんの側にいられるだろう。こうして、『紺野ゆかり』として側にいられる日は、あと何日あるのだろう。そんなことばかりが気になった。




「このロングスカートかわいい」

 ハンガーラックから外したネイビーのスカートを鏡の前で腰にあてる。顔を上げると、後ろに立っていた寛人さんと鏡の中で目が合う。

「ね、どう思う?」

 彼はちょっと首をかしげた後、色違いのスカートをいくつか眺めて、赤とベージュを選び取る。そして別の棚から白シャツを取って戻ってきた。

「紺野さんは赤が似合うと思う。白シャツなら昨日のパンツにも合うだろうし」

 そう言って、赤のスカートと白シャツを私にあてがう。スマートなしぐさにどきりとした。女性の扱いになれてる寛人さんなんて想像もつかない。

「でも俺はベージュが好きかな」

 スカートを入れ替える彼と間近で目を合わせたら、ほおが赤らむのを感じた。とっさに鏡を確認したけど、体感ほど赤くなってなくてホッとする。

「兄さんなら赤がいいって言うと思う」

 ふわっと笑う寛人さんは鈍感なのに、妙な気を回すことは心得てる。彼が、兄さん、って言うたびに胸がちくりと痛む。

「赤は、あの町に合わないと思うの」
「派手な人だって言われると思ってるの?」

 そんな時代錯誤な町じゃないよ、と彼は笑う。

「このワンピースでも派手みたい」
「じゃあネイビーに……」
「ううん、ベージュにするわ。シャツもこれで」
「ほんとうに紺野さんって流されやすいんだ」

 寛人さんが好きな色だからなんて言えない。いずれ義弟になる男性に対して、なんでこんなにも必死なんだろうって思ってもいる。

「紺野さんは兄さんが来るまでいる?」
「きっといるわ」
「じゃあもう少し買う?」
「寛人さんの家に毎日行きたいの。昨日も着てたなって思われないようにしたいわ」

 閉鎖された喫茶店にかつての面影はなくて、私が森の家へ行く理由なんてもうない。それでも行きたいと願う真意を、彼はまったく気づかないむじゃきな笑顔を見せる。

「来る途中に会う人、いつも一緒だよね。俺も駅に行くと、羽山さんか佳奈さんには必ず会うし」
「そ、そうなの」

 大和屋からは裏道を通ってくるから、駅なんて行かないんだとは言えなかった。純粋な寛人さんは私の言葉を疑いもしない。

「寛人さんは服、買わないの?」
「俺はシナモンが欲しいだけ」

 彼の返答はあいかわらず。聞かれたら答えるだけで、私になんて興味ないのはバレバレで。

 それから私たちはいくつかの店を回って洋服と靴を購入した。寛人さんはシナモンを買ったら満足して、すぐに帰りたいという。がっかりはしなかった。
 はるか遠くに置き忘れていたような、好きな人と一緒にいられるなら場所なんて関係ないんだって気持ちが、私の中に呼び覚まされていく気がした。
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