君の世界は森で華やぐ

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君の世界は森で華やぐ 〜1〜

婚約者の弟と 5

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「わあ、喫茶店みたいっ」

 真っ白なプレートの真ん中に、なめらかな生クリームが添えられたフレンチトーストがふたつ。サラダ、ゆでたまごにホットミルク。
 それだけでも、まるでおしゃれなカフェに来たかのような、ぜいたくなランチになる。

「シナモンかける?」
「もちろん」

 仕上げに寛人さんがフレンチトーストにシナモンをふりかける。ふわっと香るシナモンで高級感が増す。

「寛人さん、カフェやればいいのに」
「無理だよ」

 彼は苦笑いして、向かいに座るとコーヒーカップを口に運ぶ。

「いつまでこうして生活するの?」
「ずっといるよ」
「結婚してもここで暮らすの?」
「そういう日が来たら考えるよ」
「じゃあ結婚願望はあるのね」
「何が聞きたいの?」

 くすくす笑う彼と目を合わせたらどきりとする。

「なんとなく聞いてみただけよ」
 
 その気持ちに嘘はない。寛人さんのことをなんとなくいろいろ聞いてみたいだけ。

「結婚相手の弟が変人じゃ、不安になるよね」
「変人だなんて思ってないわ」
「でもみんな、ちょっと変わってるって思ってるよ」
「そんなことないわよ。こ、恋人だっていたんでしょう?」

 噛んだりして恥ずかしい。なんとなく聞きたいことの一つだったから、意識してしまった。

「そんなことも紺野さんの耳に入るんだね」
「あ、別に聞いて回ってるわけじゃないのよ」
「いいよ。調べられて困ることなんてない」
「そんなつもりで聞いてるわけじゃないの」

 目を伏せたら、「いいよ」と優しくさとすように寛人さんが言う。知らず知らずのうちに私の言動は彼を傷つけてるみたい。

「紺野さんの気の済むまで聞いたらいいよ。義姉になる人に恋人の話するとか、変な気分だけどね」

 肩をすくめた彼はその視線を庭へ向ける。その横顔はどこか憂いている。周囲を拒絶するときはきっとそんな表情を見せる人だ。

「聞きたくなったら聞くわ」

 もう聞かないなんて言えなくて、そんな風にごまかす私はあきらめが悪い。まるであきらめなきゃいけないことがあるみたい。

「ねぇ、食べて。すごく美味しい。ほんとうに寛人さん、料理が上手」
「パンが美味しいんだよ。設備もあるし」

 謙虚な彼の焼いたフレンチトーストは、中までしっかり火が通ってふわふわしてる。

「ボワのパン、買いに行ってみようかしら」
「ランチもやってるよ」
「そうなの? じゃあ明日のお昼、一緒に食べに行かない?」

 ちょっと目を丸くした寛人さんは、息も漏らさずに笑うだけで何も言わない。それは承諾したととらえていいのか。
 明敬さんに会うまでは寛人さんとできる限りの時間を過ごしたいなんて欲があふれてくる。彼にとって私は『義姉になる人』でしかないのに。

「ほんとに、美味しい……」

 じわっと口の中に広がる甘みがなんだか切ない。

「そんな涙目で言うほど?」

 どうかしてる、とまた笑った寛人さんが不意に立ち上がる。なにごとかと彼の視線の先を追えば、リビングの窓から見える庭先に立つ青年にたどり着く。
 年の頃は私たちと同じぐらいの青年。好青年そうな黒髪には清潔感があるが、毛先を遊ばせてるところは垢抜けていて、彼はこの町の青年ではないんじゃないかと思わせた。

「知り合い?」

 そう尋ねたが、寛人さんは無言でリビングを出ていく。私もフキンで口元をぬぐうとすぐに立ち上がり、彼を追う。
 縁側に立つ寛人さんに駆け寄ると、黒髪の青年もこちらに気づいて、きょろきょろしながら近づいてくる。そして青年は、私たちを交互に見ると言う。

「あのー、ここって室戸さんのお宅ですか?」

 ちらりと寛人さんへ目をやると、彼は無表情で黒髪の青年を見ているだけ。

「あ、えっ、あー、違うのかな」

 寛人さんの独特な雰囲気に気圧された青年は、困った様子であたまをかく。

「確かここ、前にボワがあった場所だって聞いたんだけどな……。おかしいなぁ」
「ボワがあった場所?」

 思わず声をあげると、首をかしげて森の家を眺める青年が、パッと表情を明るくして私を見る。

「ボワ、知ってます?」
「駅にあるカフェ・ド・ボワのこと?」
「そうですそうです。昔、ここにあった喫茶店が駅前に移転したって聞いたんです」
「ほんとう? 寛人さん」

 喫茶店の名前までは覚えてなかった。寛人さんのお母さんから喫茶店を譲り受けた室戸さんが、体調不良を理由に喫茶店を閉鎖したのは10年前。駅前のカフェ・ド・ボワが開店したのも10年前。移転したということでも、つじつまは合う。

「室戸さんに何の用事ですか?」

 ようやく口を開いたかと思ったら、寛人さんは私の質問にすら答えないで、青年にそう問う。

「ボワで働いてる方のことで聞きたいことがあるんです」
「誰のことですか?」

 無表情ではあるが、青年の話を聞こうとしている寛人さんはやっぱり優しい。そんな姿を見ると、私に対して表情豊かに接してくれる彼は、すっかり気を許してくれてたんだって気づく。

「ボワの佳奈さんのことです。俺、2年前までボワに通ってて。ちょっと事情があってしばらく来れなかったんですけど、久しぶりに来たら佳奈さんが佳奈さんじゃなくて」
「佳奈さんが佳奈さんじゃない?」

 どういう意味だろうと口をはさんでしまうが、寛人さんは興味なさげに沈黙したまま。

「佳奈さんとはどういうご関係なの?」

 さらに私が尋ねると、黒髪の青年の真っ白なほおがサッと赤らんだ。
 あ、好きなんだ。なんてすぐに察してしまう。

「2年も経ってるなら、変わってることもあるんじゃないかしら?」
「でも俺、毎週通ってたんです。必ず決まって、金曜日の2時に。佳奈さんが教えてくれたんです。ここに室戸さんって人が住んでることも、室戸さんのカフェで働いてた佳奈さんのお母さんが、ボワを閉店するなんてもったいないって、駅前に移転させたことも」
「佳奈さんと仲が良かったのね」
「そう思ってました。だから俺、留学が決まって、しばらく来れないけどまた来るからって約束してて」

 のどをつまらせた青年は、情けなさそうに髪をくしゃりとつかむ。

「久しぶりに来たら、佳奈さん、俺のこと忘れてて。留学から戻ったらここで暮らそうって決めてたんですけど」
「あー、それは……」

 勝手に舞い上がっちゃってたのね、なんて言えなくて、寛人さんに助けを求めて視線を向けてみる。でも無駄だった。彼はうっすら笑みさえ浮かべるような目で青年を眺めている。
 青年の悩みなんて、寛人さんには興味のないことだ。

「それで、室戸さんに会ってどうしたかったの?」

 ハッと青年はうつむけていた顔を上げる。

「佳奈さんが俺を忘れてるなんてありえないって思って。だったらどういうことだろうって考えたんです。俺の仮説が正しいなら、室戸さんが何か知ってるんじゃないかと思うんです」
「仮説って?」

 まるで謎解きみたいに言う。恋は盲目で、自分の世界に浸っちゃってるみたい。

「佳奈さんが別人だってことです。誰かが佳奈さんになりすまして働いてるんですよ。俺、佳奈さんが今どうしてるのかって心配で」
「本気で言ってるの?」
「あたりまえです。でもそんなこと、佳奈さんのお母さんには聞けないでしょう?」
「まあ、……そうね」

 心配なのはメルヘンな頭のあなたの方。そう思ったけれど、何も言えずに困っていると、寛人さんがふらっと歩き出す。そしてそのままリビングに戻っていってしまうから、私はあぜんとするしかなかった。
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