記憶をなくしても君は忘れない

水城ひさぎ

文字の大きさ
64 / 75
10年後の約束

12

しおりを挟む
***


「帰ってきたら、外食でもしようか」

 ネクタイを絞めながら、拓海が明るい笑顔でそう言う。

 職場復帰して1週間。記憶を失う前のように仕事ができるだろうかと心配していたのは杞憂で、拓海の復帰に前向きな同僚の支えもあり、通常の業務は難なく行えているらしい。

 ただ、得意先の顧客の顔と名前まで忘れてしまっているから、担当が変更になりそうだと、悩みを打ち明けてくれることはあった。とはいえ、拓海は前向きだ。持ち前の明るさと誠実さで、周囲の理解を確実に得られている様子に、光莉はほっとしていた。

「外食なんて、久しぶりだね。ここのところ、ずっと自炊だったしね」
「最近、シオンにも行けてないよなぁ。近いうちに顔出すか」
「そうだね」

 あれから、光莉もシオンへは行っていない。行ったことも、拓海には話していなかった。

「じゃあ、行ってくる。残業はしないから、光莉はここで待ってて」
「うん」

 玄関先で、仕事へ出かける拓海を見送ったあと、光莉もクライアントと会うために身支度を整えるとアパートを出た。

 電車を乗り継いで、東京駅へやってきた光莉が約束のカフェを訪れると、クライアントはすでに先に来て待っていた。

透子とうこさん、お待たせしちゃって、すみません。だいぶ、待ちました?」

 光莉は席につくなり、頭を下げる。

 ショートボブがよく似合う透子は、光莉より8歳年上の雑誌編集長だ。以前、父の紹介で旅行雑誌の写真を担当させてもらい、それがご縁で時々、仕事をもらっている。

「私もさっき、来たところ。私の方こそ、ごめんね。長期休暇中に仕事のお誘いしちゃって」
「長期休暇? 誰に聞いたんですか?」

 いつの間にか、そんな話になっていたようだ。

「本田さんよ」
「父ですか?」
「そう。先週、偶然会って。光莉ちゃんも日本に来てるっていうから、ぜひ、仕事をお願いしたいって言ったら、休暇中だからって」
「そうだったんですか」

 父が気を利かせてそう言ってくれたようだ。納得する光莉を見て、透子が身を乗り出す。

「いつまで休み? ロスに帰る前に仕事してもらえないかなぁって期待してるんだけど」
「全然、大丈夫です。むしろ、やらせてください」
「やった! 特集記事に光莉ちゃんの写真使うと評判いいのよ。詳しくは編集から連絡させるわね」
「わかりました。明日からでも大丈夫ですから、お願いします」
「本当? よかった、連絡して。コーヒー、おごらせて」

 そう言うと、透子は早速、コーヒーを2つ注文する。

「あ、ねぇ、光莉ちゃん。東京湾のニュース、知ってる?」

 唐突に、透子がそう切り出す。

「東京湾って、大きなニュースになってる?」
「そうっ、キャリーバッグのニュース」
「そのニュースがどうかしたんですか?」

 光莉は冷静に尋ねる。

 透子は出版社の人間だ。何をどこまで知っているのかわからない。しかし、彼女のことは信頼している。ただの世間話程度なら答えられることもあるだろうか。

 そう思案していると、透子は意外なことを言う。

「あの事件の被害者に私、会ったことあるのよね」
「え? 本当ですか?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

7歳の侯爵夫人

凛江
恋愛
ある日7歳の公爵令嬢コンスタンスが目覚めると、世界は全く変わっていたー。 自分は現在19歳の侯爵夫人で、23歳の夫がいるというのだ。 どうやら彼女は事故に遭って12年分の記憶を失っているらしい。 目覚める前日、たしかに自分は王太子と婚約したはずだった。 王太子妃になるはずだった自分が何故侯爵夫人になっているのかー? 見知らぬ夫に戸惑う妻(中身は幼女)と、突然幼女になってしまった妻に戸惑う夫。 23歳の夫と7歳の妻の奇妙な関係が始まるー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

雪とともに消えた記憶~冬に起きた奇跡~

梅雨の人
恋愛
記憶が戻らないままだったら…そうつぶやく私にあなたは 「忘れるだけ忘れてしまったままでいい。君は私の指のごつごつした指の感触だけは思い出してくれた。それがすべてだ。」 そういって抱きしめてくれた暖かなあなたのぬくもりが好きよ。 雪と共に、私の夫だった人の記憶も、全て溶けて消えてしまった私はあなたと共に生きていく。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

処理中です...