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佐鳥姫の憂鬱 〜朝日を羨む夜の月〜
声の聞こえる相手でいたい 5
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「先生、私ずっと、この能力がある意味を考えていました」
墓石の前に座る先生の背中に向かって、私はそう切り出す。
「でもそれは無意味だったのかもしれません。この能力が与えてくれるのは、ほんの小さな勇気です。悔いのない人生を送るためのほんの小さな……」
夜間瀬先生はうつむく私を見上げ、わずかに眉を下げる。
「人はもともと非力なものだ。君はほんの少し人より優れた能力があるだけで、それを損と取るか得と取るかは佐鳥くんの考え方ひとつ。君は何かをする時に意味を考えすぎるところがあるようだから余計な混乱を招いているのかもしれないね」
「先生も私に出会った意味を探しにここへ来られたのでしょう?」
意味を探すのは先生も同じだ。そう問えば、彼はゆっくりうなずく。
「ああ、そうだ。俺も非力だよ」
素直に認める彼はやけに頼りなくて。
「先生がすべて正しい答えを教えてくれるのだとばかり思っていました」
「それはひどい思い過ごしだ。人の心が聞こえることに意味などないように、意味を探すことに意味はない。ここはそれを教えてくれる場所だ。佐鳥尚秀は、生きてきた後に意味が生まれる人生を送るようにと伝えたかったんじゃないだろうか」
夜間瀬先生はそう言って、朝日様の墓石の周りに置かれた花々に指を触れさせる。
それはきっと珍しい品種の花たちで。
ここには佐鳥尚秀の生きてきた痕跡が残されている。だからこそ先生は今、優しい表情で花を愛でるのだ。
愛を伝える花は人の心を癒やす力がある。
尚秀様が後世に遺したものは、人を思いやる気持ち。それが彼の生きた証。
「私、先生のことがもっと知りたいです」
これは最後の告白だ。
「だから話してくれませんか。先生の心が壊れてしまった理由……」
夜間瀬先生は沈黙して、じっと私を見つめるが、程なくして息を吐く。
「それを知って君に何ができる?」
「私には治す力はないけれど、寄り添うことはできます」
先生の側にいることはできる。そう伝えたら、彼は立ち上がり、私の目の前にやってくる。
「今も俺の心の声が聞こえるか?」
「……はい、聞こえます」
「なんて?」
「泣いています。救いを求めるように、泣いています……」
さっきまでは柔らかだった心が、私が彼を知りたいと告白した時に暗く沈む黒となった。
悲しませているのは私。先生の心を泣かせたのは私……。
「そうか」
小さくつぶやいて、先生は苦しげにまぶたを閉じる。
「俺には好きな女がいる」
それが、先生の告白のはじまりの言葉だった。
「あの人ですか? 灯華さんっていう、あの綺麗な人……」
夜間瀬先生のまなざしは暗く、私を見ているようで見ていない。
彼女のことを綺麗だと思っているから、私の言葉をただの主観だと否定しない。彼はいつだって目の前にいない灯華さんという女性を見ているのだと気づく。
「印象に残る人っていうのはいるだろう? 何かしら自分の人生に影響を与える人物が……」
覇気なくつぶやく先生は痛々しい。
「私にとってそれは夜間瀬先生です」
私は主張してしまう。私を見てほしくて。だけど、先生の視線は宙をさまようばかりだ。
「俺にとっては彼女だった。君が言うような恋じゃないかもしれないが、俺の中にずっといて出ていかない……」
「それを恋というのでしょう?」
目を伏せた先生は胸に手を置く。
「彼女といると胸がざわつく。もう二度と会いたくないと嫌悪さえする。彼女にどんどん蝕まれていく心を止めることができない」
「今でも好きだからですね……」
「……」
うつろな目をする彼がはたと視線をからませてくる。
「私、二番目でもかまいません。夜月様のように、いつか愛してもらえる日を待つことができます」
「佐鳥くん……、それは……」
「先生が泣きたくなったら側にいます。朝日様を亡くされて、悲しみに暮れる尚秀様を救ったのは夜月様の愛です」
「違うっ! 佐鳥くん、それはちがうっ……」
先生は間合いをつめてくると、私の手首をつかむ。
「違わないです。先生が教えてくれたんです。尚秀様はちゃんと夜月様を愛して……」
朝日様が佐鳥家の繁栄を望んでいないなんて嘘だった。朝日様と尚秀様は今でもずっと愛し合っている。
朝日様を亡くした悲しみを背負い切れなかった尚秀様を受け入れた夜月様のように、私も夜間瀬先生を受け止められる。
「そうじゃないっ。そんな話をしてるんじゃないっ。……俺はもう灯華を好きじゃない……。好きだったのかどうかもわからない……彼女のことで苦しむことはもう、したくない……」
頭を抱えてひざを折る先生の苦しみの声が、黒い波となって押し寄せてくる。
先生はどれほど傷つけられたのだろう。その痛みを理解することはできない。それでも共有したいと思うことはできる。
ひざを崩す彼の前へしゃがみ、震える肩を抱きしめる。
私の胸にすがる彼はまるで子供のようで、だめな人……。
「君が……」
先生はのどを詰まらせ、苦しげに吐き出す。
「先生……?」
「君がいると……、不思議と穏やかになれる。七五三田くんといる君を見るのは不快だ。それを恋と言わないならば、俺は誰も好きにならないだろう」
「……私が、好きですか?」
遠回しの告白がもどかしい。
顔を上げた彼の目には涙が浮かんで。頼りない彼もまた愛おしく思える。
「君と俺は、学生と講師だ」
「遊びでなら触れられるのに、本気は無理と言ったんですか?」
「心のない行動になら責任を持てるというのは、無責任だな……」
ちょっと笑う彼はいつもの彼だ。自尊心を取り戻した彼の目には嘲笑も浮かぶ。
「卒業まで、待てます」
「まだあと三年もある」
「三年も一緒にいられます。今まで通り、先生のお部屋へ行ってもいいですか?」
私はその答えを知っている。
先生は何も変わらないから。思わせぶりな態度ばかりして、私を束縛しないずるい人。
「君の好きなように……」
夜間瀬先生の手に、そっと指をからませる。
「先生も、好きにして……」
そう言ったら、彼の指が強く私の指をからめ取り、その力強さに反するほどに優しいキスが降ってくる。
唇に触れた温かな口づけは、言葉にできない彼の本心を乗せて、優しく優しく私を包み込む。
ポピーが揺らぐ。私たちを優しく癒すように、さわさわとそよぐ風に身をまかせるように。
朝日様が私たちを見守ってくれているみたい。
夜間瀬先生を抱きしめながら、聞こえないとわかっているのに心で語りかける。
先生の心が癒されたら、ちゃんと言葉であなたの声が聞こえますか?
私を愛してるって。
傷ついて壊れて、言葉を失った心を癒せる女性が私であるといい。
キスは言葉にならない、できない思いを伝えるけれど、それでも私はその言葉を聞きたい。
その時が来るまで先生に寄り添おうと思う。私と寄り添う先生からはいつもとても穏やかな声が聞こえているから、いつかきっと聞かせてもらえると信じている。
「いまも俺の心が聞こえるか?」
「はい」
確かめるように問う先生がおかしい。
彼の胸にほおを寄せて目を閉じる。同じリズムで刻む心音はとても心地がいい。
「どんな声が聞こえているんだろうね」
「言葉にはできない声です」
見つめ合い、そっと微笑み合う。
私たちの心が一つになった時に聞こえる先生の心の声はいつだって、穏やかで静謐な黒___
【佐鳥姫の憂鬱 ~朝日を羨む夜の月~ 完】
墓石の前に座る先生の背中に向かって、私はそう切り出す。
「でもそれは無意味だったのかもしれません。この能力が与えてくれるのは、ほんの小さな勇気です。悔いのない人生を送るためのほんの小さな……」
夜間瀬先生はうつむく私を見上げ、わずかに眉を下げる。
「人はもともと非力なものだ。君はほんの少し人より優れた能力があるだけで、それを損と取るか得と取るかは佐鳥くんの考え方ひとつ。君は何かをする時に意味を考えすぎるところがあるようだから余計な混乱を招いているのかもしれないね」
「先生も私に出会った意味を探しにここへ来られたのでしょう?」
意味を探すのは先生も同じだ。そう問えば、彼はゆっくりうなずく。
「ああ、そうだ。俺も非力だよ」
素直に認める彼はやけに頼りなくて。
「先生がすべて正しい答えを教えてくれるのだとばかり思っていました」
「それはひどい思い過ごしだ。人の心が聞こえることに意味などないように、意味を探すことに意味はない。ここはそれを教えてくれる場所だ。佐鳥尚秀は、生きてきた後に意味が生まれる人生を送るようにと伝えたかったんじゃないだろうか」
夜間瀬先生はそう言って、朝日様の墓石の周りに置かれた花々に指を触れさせる。
それはきっと珍しい品種の花たちで。
ここには佐鳥尚秀の生きてきた痕跡が残されている。だからこそ先生は今、優しい表情で花を愛でるのだ。
愛を伝える花は人の心を癒やす力がある。
尚秀様が後世に遺したものは、人を思いやる気持ち。それが彼の生きた証。
「私、先生のことがもっと知りたいです」
これは最後の告白だ。
「だから話してくれませんか。先生の心が壊れてしまった理由……」
夜間瀬先生は沈黙して、じっと私を見つめるが、程なくして息を吐く。
「それを知って君に何ができる?」
「私には治す力はないけれど、寄り添うことはできます」
先生の側にいることはできる。そう伝えたら、彼は立ち上がり、私の目の前にやってくる。
「今も俺の心の声が聞こえるか?」
「……はい、聞こえます」
「なんて?」
「泣いています。救いを求めるように、泣いています……」
さっきまでは柔らかだった心が、私が彼を知りたいと告白した時に暗く沈む黒となった。
悲しませているのは私。先生の心を泣かせたのは私……。
「そうか」
小さくつぶやいて、先生は苦しげにまぶたを閉じる。
「俺には好きな女がいる」
それが、先生の告白のはじまりの言葉だった。
「あの人ですか? 灯華さんっていう、あの綺麗な人……」
夜間瀬先生のまなざしは暗く、私を見ているようで見ていない。
彼女のことを綺麗だと思っているから、私の言葉をただの主観だと否定しない。彼はいつだって目の前にいない灯華さんという女性を見ているのだと気づく。
「印象に残る人っていうのはいるだろう? 何かしら自分の人生に影響を与える人物が……」
覇気なくつぶやく先生は痛々しい。
「私にとってそれは夜間瀬先生です」
私は主張してしまう。私を見てほしくて。だけど、先生の視線は宙をさまようばかりだ。
「俺にとっては彼女だった。君が言うような恋じゃないかもしれないが、俺の中にずっといて出ていかない……」
「それを恋というのでしょう?」
目を伏せた先生は胸に手を置く。
「彼女といると胸がざわつく。もう二度と会いたくないと嫌悪さえする。彼女にどんどん蝕まれていく心を止めることができない」
「今でも好きだからですね……」
「……」
うつろな目をする彼がはたと視線をからませてくる。
「私、二番目でもかまいません。夜月様のように、いつか愛してもらえる日を待つことができます」
「佐鳥くん……、それは……」
「先生が泣きたくなったら側にいます。朝日様を亡くされて、悲しみに暮れる尚秀様を救ったのは夜月様の愛です」
「違うっ! 佐鳥くん、それはちがうっ……」
先生は間合いをつめてくると、私の手首をつかむ。
「違わないです。先生が教えてくれたんです。尚秀様はちゃんと夜月様を愛して……」
朝日様が佐鳥家の繁栄を望んでいないなんて嘘だった。朝日様と尚秀様は今でもずっと愛し合っている。
朝日様を亡くした悲しみを背負い切れなかった尚秀様を受け入れた夜月様のように、私も夜間瀬先生を受け止められる。
「そうじゃないっ。そんな話をしてるんじゃないっ。……俺はもう灯華を好きじゃない……。好きだったのかどうかもわからない……彼女のことで苦しむことはもう、したくない……」
頭を抱えてひざを折る先生の苦しみの声が、黒い波となって押し寄せてくる。
先生はどれほど傷つけられたのだろう。その痛みを理解することはできない。それでも共有したいと思うことはできる。
ひざを崩す彼の前へしゃがみ、震える肩を抱きしめる。
私の胸にすがる彼はまるで子供のようで、だめな人……。
「君が……」
先生はのどを詰まらせ、苦しげに吐き出す。
「先生……?」
「君がいると……、不思議と穏やかになれる。七五三田くんといる君を見るのは不快だ。それを恋と言わないならば、俺は誰も好きにならないだろう」
「……私が、好きですか?」
遠回しの告白がもどかしい。
顔を上げた彼の目には涙が浮かんで。頼りない彼もまた愛おしく思える。
「君と俺は、学生と講師だ」
「遊びでなら触れられるのに、本気は無理と言ったんですか?」
「心のない行動になら責任を持てるというのは、無責任だな……」
ちょっと笑う彼はいつもの彼だ。自尊心を取り戻した彼の目には嘲笑も浮かぶ。
「卒業まで、待てます」
「まだあと三年もある」
「三年も一緒にいられます。今まで通り、先生のお部屋へ行ってもいいですか?」
私はその答えを知っている。
先生は何も変わらないから。思わせぶりな態度ばかりして、私を束縛しないずるい人。
「君の好きなように……」
夜間瀬先生の手に、そっと指をからませる。
「先生も、好きにして……」
そう言ったら、彼の指が強く私の指をからめ取り、その力強さに反するほどに優しいキスが降ってくる。
唇に触れた温かな口づけは、言葉にできない彼の本心を乗せて、優しく優しく私を包み込む。
ポピーが揺らぐ。私たちを優しく癒すように、さわさわとそよぐ風に身をまかせるように。
朝日様が私たちを見守ってくれているみたい。
夜間瀬先生を抱きしめながら、聞こえないとわかっているのに心で語りかける。
先生の心が癒されたら、ちゃんと言葉であなたの声が聞こえますか?
私を愛してるって。
傷ついて壊れて、言葉を失った心を癒せる女性が私であるといい。
キスは言葉にならない、できない思いを伝えるけれど、それでも私はその言葉を聞きたい。
その時が来るまで先生に寄り添おうと思う。私と寄り添う先生からはいつもとても穏やかな声が聞こえているから、いつかきっと聞かせてもらえると信じている。
「いまも俺の心が聞こえるか?」
「はい」
確かめるように問う先生がおかしい。
彼の胸にほおを寄せて目を閉じる。同じリズムで刻む心音はとても心地がいい。
「どんな声が聞こえているんだろうね」
「言葉にはできない声です」
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