佐鳥姫の憂鬱

水城ひさぎ

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佐鳥姫の憂鬱 〜貞華の愛した幻の桜〜

あなたを知りたい人 7

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***


 キーホルダーに足された夜間瀬先生の部屋の合鍵を握りながら、私の視線は先程から薬学自主研究ゼミナール研究室の窓際に釘付け。

 複雑な心境に戸惑うことは慣れたものの、やはり複雑で。

 大きな茶色のリボンで髪をまとめた女性が、先生に美容エキスの話を持ちかけている。

 話の内容も気になるが、彼女がさりげなく彼に身を寄せていることが一番穏やかではない心境にさせている。

「華南、顔に出てるよ」
「出てるって?」

 組んだ指の上にあごを乗せた深春が、デスクにうつぶせるようにして私の顔を覗き込んでいる。

「独占欲」
「そんなことないわ。先生は博学だもの。いろんな学生が相談に来るのはいつものことよ」

 そう言ってみたものの、語気がやや強くなったのは感じた。

「あ、華南がムキになるって珍しい。だってあの人、この間先生と一緒にいた彼女でしょ?先生目当てってバレバレだよー」
「それを言い出したらキリがないわ」
「でしょ。だからやめておきなよって。華南の気持ち知ってて、目の前で他の女といちゃいちゃするダメ男なんて最低だよ?」
「先生としての領分はわきまえてるわ」

 夜間瀬先生の心の声は穏やかだ。女生徒の話に興味はそそられているようだが、やましい気持ちなんて少しも聞こえない。

 突然研究室のドアがノックされる。入室許可の返事がないと知っている者はすぐにドアを開けて顔を覗かせる。

「遅くなりました。……って、あ、この間先生と一緒にいた……」

 七五三田柚樹くんは遅刻を詫びるなり、窓際で寄り添う夜間瀬先生と茶髪の女生徒に気づく。

「最近あからさまだよな……」

 以前はゼミの受講生がいる時は女生徒と研究室で過ごしたりはしなかったのに、と柚樹くんはぼやきながら私に物言いたげな視線を送る。

 彼は深春と同様に、いまだに私と先生の仲を快く思っていないようだ。

「ああ、そろったようだ」

 柚樹くんが席に着くと同時に、先生が窓際から離れる。

 女生徒もまるで磁石で引かれたように彼と共に私たちの前へと歩んでくる。

「紹介する。四年の横土里湘子よこどりしょうこくんだ。今日からゼミのメンバーになる」

 先生が唐突にそう言うと、深春や柚樹くんは動揺を隠せないまま顔を見合わせる。

 私は先生を見上げるが、彼は無表情のまま、用件は済んだとばかりに窓際のソファーへ戻っていく。

 視線を感じてそちらへ向けば、湘子さんがにこりと作り笑顔で笑う。

「横土里湘子です。あなたたちのことはだいたい知ってるわ。佐鳥華南さん、あなたとは先日お会いしたわね。よろしくね、石灰深春さんに七五三田柚樹くん」

 どうやら先日テラスストリートで出会ったことは忘れていないようだ。

 彼女は私にばかり視線を注ぐと、「隣いい?」と隣の席へ腰を下ろした。
湘子さんはほおづえをついて私を眺める。

 その様子を興味津々に眺めるのは深春で、柚樹くんはやや心配そうに眉をひそめている。

「夜間瀬先生って素敵よね?」

 単刀直入に問われ、資料に目を落とそうとしていた私は首をかしげて彼女へ視線を移す。

「同意を求めてるんですか?」
「ライバルになりえるなら、あなただけだと思って」
「ライバルになるとは思えないです」

 湘子さんを改めて観察する。

 派手めのメイクがもったいないほど、育ちの良さが透けて見える品のある美女。手や足は私よりも白くて華奢だ。

 彼女を見ているうちにわずかに胸に浮かぶ思いは不安だろう。

 先生が彼女に本気になるとは思っていないけれど、それにしても湘子さんがまとう空気感はどことなくあの人に似ている。

「そうね、それはそう。佐鳥さんがキャンパス一の美女だってことは認める。でもそれだけだものね?」

 湘子さんの疑問符は断定的で、眉をひそめずにはいられない。

「横土里さんは先生が好きなタイプですね」
「どういう意味?」
「あなたに似た人を先生が好きだったことは知ってます」
「先生に好きな人が?」

 初耳とばかりに目を見開く湘子さんは、伊江内灯華さんのことを知らないようだ。

「気の強そうなところは瓜二つです」

 彼女はきょとんとするが、すぐに口元に皮肉げな笑みを浮かべる。

 気が強そうだ、と言われたことは言われ慣れてでもいるのだろうか、気にしていないようだ。

「じゃあ一歩、あなたよりも優位ね」

 清々しいまでに自信家の彼女は胸を張る。

 夜間瀬先生ほどに才能のある男性を射止めるにはある一定の自信が必要だろうとは思う。その自信を得る方法に私は気づいているが、ただ得られないだけだ。

「優位かどうかはわかりませんが、どうしてこんなに不安なのかはわかります」
「不安?」

 意外な言葉を聞いたとばかりに、湘子さんは首をかしげる。

「ええ、そう」

 窓際へ視線を移せば、先生はこちらの会話に興味がなさそうに参考書を眺めている。その横顔を見つめながら、私はぽつりとつぶやく。

「自信を持てないのは、まだ先生に抱いてもらってないからね」
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