佐鳥姫の憂鬱

水城ひさぎ

文字の大きさ
58 / 61
佐鳥姫の憂鬱 〜貞華の愛した幻の桜〜

幻惑の桜 1

しおりを挟む
***


 400年前、貞華様と吉継様との間に生まれた少年はこの場所にいた。

 幻に見た貞華様の記憶。

 あの記憶が私に見せたものは、桜を愛する少年の姿。

 別れのために植えられた桜は今もなお息づき、400年という時を超えて、私たちの前に姿を残している。

 桜の木の元へ現れる吉継様と、虞美人草という仮の姿を得て生まれ変わる貞華様がこの地を離れられないのは、ここに何かあるのではないか。

 夜間瀬先生と私はその思いに駆られて、桜の木の前に立つ。

 華南、桜の木に眠るのは強い思いかもしれないわね。

 桜の木を見たいと言った私に、母はそう言った。

「執念が魂をこの地に引き止めているだけなら、解放した方がいいだろう」

 先生は桜の木の肌に触れる。

「解放ですか? それはつまり浄霊とか? 先生はそんなことできるんですか?」
「いや。出来る者がいるのかもわからないな。解放した方がいい。そう思うだけだ」

 天に向かって伸びる枝を見上げる先生の横顔は無表情だけれど、心は穏やかだ。

「桜内吉継のしたことは無慈悲だったが、我が子を諦めきれなかった思いだけはあったのだろう。だからここへ戻ってきた」
「それを心配した貞華様も現れた」

 先生は小さくうなずき、私の方へ首を傾ける。

「君の産む男の子は利発で、また女の子はさぞかし可愛いだろうね」
「え……?」
「君は佐鳥家当主は女児を一人しか産めない一族だと言ったが、そんなことはなかったと証明された」
「それは……」

 桜の木の根元に先生はかがみ込む。

「なぜ、佐鳥くんがそんな誤解をしたのかは知らない。凡子さんもその勘違いを訂正しようとはしなかったのだからね。それが吉継と貞華の間に産まれた子の存在を隠したかったためなのか、それともただ人々のあいまいで不確かな記憶から消えただけか」
「先生?」

 先生は枯れた虞美人草の鉢から取り出した土を、掘り起こしたままの穴が空いている中へと戻す。

「吉継と貞華の子は、この桜の木の根元に眠るのだろう。今更、掘り起こして何が出るわけでもないだろうが、思いだけが残っている」

 私も先生の隣にしゃがみ込む。

「先生はどうするんですか?」
「どうもしない。貞華にふられた吉継が諦めて消えるのを待つか……」
「諦めるんでしょうか」

 400年の思いだ。そう簡単に消えるとは思えない。

「さあね。君にふられても、すぐには諦めないだろうね、俺は」
「私が先生をふるなんて絶対にありません」
「そう。だったら俺たちが別れることはないね」

 夜間瀬先生は口元をゆるめて微笑むと、私の髪をそっとなでて、唇を寄せてくる。

「せ、せんせ……」
「あんな状態で止められたら男は苦しい。昨夜の続きはいつになるだろうね」

 そう言うと、先生は私に優しく口づけた。

「行こうか」

 唇が離れるとすぐに夜間瀬先生はささやくように言う。

「帰るんですか……?」

 御簾路を出たら私たちは先生と生徒という立場に戻る。今だってそうだけど、この地はそれを忘れさせてくれる。

「ここにいる理由はないからね。君は佐鳥家の秘密を知りたがっているが、知ろうとせずとも佐鳥の先祖たちは君をここへ導くのかもしれない」
「また来ることになりますか?」
「いたずら好きな先祖たちなら何かを起こすだろうね」

 そう言った先生の唇の端にもいたずらな笑みが浮かぶが、彼の指先は優しく私の指に触れて、そっと絡まってくる。

「もう少し一緒にいたいです……」
「君のその思いの何倍も俺はそう思ってるよ」

 見つめ合い、互いに寄り添う。

 先生の胸に手をあてたら、触れ合った昨夜を思い出してほおが赤らむ。

「続きは必ず……」

 そう言った、先生の指がうなじに差し込まれた時、遠くから私を呼ぶ声がする。

「華南ー、お客様よー」

 間延びした母、凡子の声だ。

「凡子さんは俺たちの仲を阻む魔力を秘めているのかもしれないね」

 くすりと先生が笑うと、母が庭に姿を見せる。その後ろをついてくる女性を目にして、私は小さく息を飲んだ。

「あれは……、名前はなんだったかな」

 先生がそう言うから、少々あきれる。本当に興味のないものに対して、彼は無頓着すぎる。

「横土里さんです。横土里湘子さん」

「ああ、そうだったね」

 興味なさげに言うと、先生は私から離れて彼女たちへ向かって歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

やさしいキスの見つけ方

神室さち
恋愛
 諸々の事情から、天涯孤独の高校一年生、完璧な優等生である渡辺夏清(わたなべかすみ)は日々の糧を得るために年齢を偽って某所風俗店でバイトをしながら暮らしていた。  そこへ、現れたのは、天敵に近い存在の数学教師にしてクラス担任、井名里礼良(いなりあきら)。  辞めろ辞めないの押し問答の末に、井名里が持ち出した賭けとは?果たして夏清は平穏な日常を取り戻すことができるのか!?  何て言ってても、どこかにある幸せの結末を求めて突っ走ります。  こちらは2001年初出の自サイトに掲載していた小説です。完結済み。サイト閉鎖に伴い移行。若干の加筆修正は入りますがほぼそのままにしようと思っています。20年近く前に書いた作品なのでいろいろ文明の利器が古かったり常識が若干、今と異なったりしています。 20年くらい前の女子高生はこんな感じだったのかー くらいの視点で見ていただければ幸いです。今はこんなの通用しない! と思われる点も多々あるとは思いますが、大筋の変更はしない予定です。 フィクションなので。 多少不愉快な表現等ありますが、ネタバレになる事前の注意は行いません。この表現ついていけない…と思ったらそっとタグを閉じていただけると幸いです。 当時、だいぶ未来の話として書いていた部分がすでに現代なんで…そのあたりはもしかしたら現代に即した感じになるかもしれない。

王弟が愛した娘 —音に響く運命—

Aster22
恋愛
村で薬師として過ごしていたセラは、 ハープの音に宿る才を王弟レオに見初められる。 その出会いは、静かな日々を終わらせ、 彼女を王宮の闇と陰謀に引き寄せていく。 人の生まれは変えられない。それならばそこから何を望み、何を選び、そしてそれは何を起こしていくのか。 キャラ設定・世界観などはこちら       ↓ https://kakuyomu.jp/my/news/822139840619212578

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...