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佐鳥姫の憂鬱 〜貞華の愛した幻の桜〜
幻惑の桜 1
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***
400年前、貞華様と吉継様との間に生まれた少年はこの場所にいた。
幻に見た貞華様の記憶。
あの記憶が私に見せたものは、桜を愛する少年の姿。
別れのために植えられた桜は今もなお息づき、400年という時を超えて、私たちの前に姿を残している。
桜の木の元へ現れる吉継様と、虞美人草という仮の姿を得て生まれ変わる貞華様がこの地を離れられないのは、ここに何かあるのではないか。
夜間瀬先生と私はその思いに駆られて、桜の木の前に立つ。
華南、桜の木に眠るのは強い思いかもしれないわね。
桜の木を見たいと言った私に、母はそう言った。
「執念が魂をこの地に引き止めているだけなら、解放した方がいいだろう」
先生は桜の木の肌に触れる。
「解放ですか? それはつまり浄霊とか? 先生はそんなことできるんですか?」
「いや。出来る者がいるのかもわからないな。解放した方がいい。そう思うだけだ」
天に向かって伸びる枝を見上げる先生の横顔は無表情だけれど、心は穏やかだ。
「桜内吉継のしたことは無慈悲だったが、我が子を諦めきれなかった思いだけはあったのだろう。だからここへ戻ってきた」
「それを心配した貞華様も現れた」
先生は小さくうなずき、私の方へ首を傾ける。
「君の産む男の子は利発で、また女の子はさぞかし可愛いだろうね」
「え……?」
「君は佐鳥家当主は女児を一人しか産めない一族だと言ったが、そんなことはなかったと証明された」
「それは……」
桜の木の根元に先生はかがみ込む。
「なぜ、佐鳥くんがそんな誤解をしたのかは知らない。凡子さんもその勘違いを訂正しようとはしなかったのだからね。それが吉継と貞華の間に産まれた子の存在を隠したかったためなのか、それともただ人々のあいまいで不確かな記憶から消えただけか」
「先生?」
先生は枯れた虞美人草の鉢から取り出した土を、掘り起こしたままの穴が空いている中へと戻す。
「吉継と貞華の子は、この桜の木の根元に眠るのだろう。今更、掘り起こして何が出るわけでもないだろうが、思いだけが残っている」
私も先生の隣にしゃがみ込む。
「先生はどうするんですか?」
「どうもしない。貞華にふられた吉継が諦めて消えるのを待つか……」
「諦めるんでしょうか」
400年の思いだ。そう簡単に消えるとは思えない。
「さあね。君にふられても、すぐには諦めないだろうね、俺は」
「私が先生をふるなんて絶対にありません」
「そう。だったら俺たちが別れることはないね」
夜間瀬先生は口元をゆるめて微笑むと、私の髪をそっとなでて、唇を寄せてくる。
「せ、せんせ……」
「あんな状態で止められたら男は苦しい。昨夜の続きはいつになるだろうね」
そう言うと、先生は私に優しく口づけた。
「行こうか」
唇が離れるとすぐに夜間瀬先生はささやくように言う。
「帰るんですか……?」
御簾路を出たら私たちは先生と生徒という立場に戻る。今だってそうだけど、この地はそれを忘れさせてくれる。
「ここにいる理由はないからね。君は佐鳥家の秘密を知りたがっているが、知ろうとせずとも佐鳥の先祖たちは君をここへ導くのかもしれない」
「また来ることになりますか?」
「いたずら好きな先祖たちなら何かを起こすだろうね」
そう言った先生の唇の端にもいたずらな笑みが浮かぶが、彼の指先は優しく私の指に触れて、そっと絡まってくる。
「もう少し一緒にいたいです……」
「君のその思いの何倍も俺はそう思ってるよ」
見つめ合い、互いに寄り添う。
先生の胸に手をあてたら、触れ合った昨夜を思い出してほおが赤らむ。
「続きは必ず……」
そう言った、先生の指がうなじに差し込まれた時、遠くから私を呼ぶ声がする。
「華南ー、お客様よー」
間延びした母、凡子の声だ。
「凡子さんは俺たちの仲を阻む魔力を秘めているのかもしれないね」
くすりと先生が笑うと、母が庭に姿を見せる。その後ろをついてくる女性を目にして、私は小さく息を飲んだ。
「あれは……、名前はなんだったかな」
先生がそう言うから、少々あきれる。本当に興味のないものに対して、彼は無頓着すぎる。
「横土里さんです。横土里湘子さん」
「ああ、そうだったね」
興味なさげに言うと、先生は私から離れて彼女たちへ向かって歩き出した。
400年前、貞華様と吉継様との間に生まれた少年はこの場所にいた。
幻に見た貞華様の記憶。
あの記憶が私に見せたものは、桜を愛する少年の姿。
別れのために植えられた桜は今もなお息づき、400年という時を超えて、私たちの前に姿を残している。
桜の木の元へ現れる吉継様と、虞美人草という仮の姿を得て生まれ変わる貞華様がこの地を離れられないのは、ここに何かあるのではないか。
夜間瀬先生と私はその思いに駆られて、桜の木の前に立つ。
華南、桜の木に眠るのは強い思いかもしれないわね。
桜の木を見たいと言った私に、母はそう言った。
「執念が魂をこの地に引き止めているだけなら、解放した方がいいだろう」
先生は桜の木の肌に触れる。
「解放ですか? それはつまり浄霊とか? 先生はそんなことできるんですか?」
「いや。出来る者がいるのかもわからないな。解放した方がいい。そう思うだけだ」
天に向かって伸びる枝を見上げる先生の横顔は無表情だけれど、心は穏やかだ。
「桜内吉継のしたことは無慈悲だったが、我が子を諦めきれなかった思いだけはあったのだろう。だからここへ戻ってきた」
「それを心配した貞華様も現れた」
先生は小さくうなずき、私の方へ首を傾ける。
「君の産む男の子は利発で、また女の子はさぞかし可愛いだろうね」
「え……?」
「君は佐鳥家当主は女児を一人しか産めない一族だと言ったが、そんなことはなかったと証明された」
「それは……」
桜の木の根元に先生はかがみ込む。
「なぜ、佐鳥くんがそんな誤解をしたのかは知らない。凡子さんもその勘違いを訂正しようとはしなかったのだからね。それが吉継と貞華の間に産まれた子の存在を隠したかったためなのか、それともただ人々のあいまいで不確かな記憶から消えただけか」
「先生?」
先生は枯れた虞美人草の鉢から取り出した土を、掘り起こしたままの穴が空いている中へと戻す。
「吉継と貞華の子は、この桜の木の根元に眠るのだろう。今更、掘り起こして何が出るわけでもないだろうが、思いだけが残っている」
私も先生の隣にしゃがみ込む。
「先生はどうするんですか?」
「どうもしない。貞華にふられた吉継が諦めて消えるのを待つか……」
「諦めるんでしょうか」
400年の思いだ。そう簡単に消えるとは思えない。
「さあね。君にふられても、すぐには諦めないだろうね、俺は」
「私が先生をふるなんて絶対にありません」
「そう。だったら俺たちが別れることはないね」
夜間瀬先生は口元をゆるめて微笑むと、私の髪をそっとなでて、唇を寄せてくる。
「せ、せんせ……」
「あんな状態で止められたら男は苦しい。昨夜の続きはいつになるだろうね」
そう言うと、先生は私に優しく口づけた。
「行こうか」
唇が離れるとすぐに夜間瀬先生はささやくように言う。
「帰るんですか……?」
御簾路を出たら私たちは先生と生徒という立場に戻る。今だってそうだけど、この地はそれを忘れさせてくれる。
「ここにいる理由はないからね。君は佐鳥家の秘密を知りたがっているが、知ろうとせずとも佐鳥の先祖たちは君をここへ導くのかもしれない」
「また来ることになりますか?」
「いたずら好きな先祖たちなら何かを起こすだろうね」
そう言った先生の唇の端にもいたずらな笑みが浮かぶが、彼の指先は優しく私の指に触れて、そっと絡まってくる。
「もう少し一緒にいたいです……」
「君のその思いの何倍も俺はそう思ってるよ」
見つめ合い、互いに寄り添う。
先生の胸に手をあてたら、触れ合った昨夜を思い出してほおが赤らむ。
「続きは必ず……」
そう言った、先生の指がうなじに差し込まれた時、遠くから私を呼ぶ声がする。
「華南ー、お客様よー」
間延びした母、凡子の声だ。
「凡子さんは俺たちの仲を阻む魔力を秘めているのかもしれないね」
くすりと先生が笑うと、母が庭に姿を見せる。その後ろをついてくる女性を目にして、私は小さく息を飲んだ。
「あれは……、名前はなんだったかな」
先生がそう言うから、少々あきれる。本当に興味のないものに対して、彼は無頓着すぎる。
「横土里さんです。横土里湘子さん」
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