非才の催眠術師

水城ひさぎ

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まわり始める運命の時計

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「古谷先生のクリニックでアルバイトを雇う予定だって聞きました。まだ決まってないなら私を雇ってくれませんか?」

 唐突に彼女はそう求める。

「仕事はまだ?」
「いくつかチャレンジしてみたけど、なかなかうまくいかなくて。でも古谷先生が側にいてくれるなら頑張れます」
「ああ、そうか。君も頑張っているね。そうだな……、申し訳ないけど、アルバイトの件はもう決まっているんだ。知り合いのクリニックなら紹介できるけど、君の条件に合うかは……」

 いよいよ困り切った様子で真咲さんは譲歩にも似た態度を取るが、彼女は納得行かないのか言葉をかぶせる。

「私は先生のクリニックで働きたいんです。その決まってる方も、いつ気が変わるかわからないし、開業が決まるまでは連絡待ってます」

 一方的に言うと、彼女はセカンドバッグから小さなメモ用紙を取り出し、ボールペンで連絡先を走り書きすると、真咲さんに突き出す。

 彼は仕方なくそれを受け取ったように見えたが、彼女は満足げだ。

「じゃあまた、連絡待ってますね」

 そう言って、彼女は黒髪を跳ねあげて振り返る。そしてその時、ようやく真咲さんの隣にいる私に気づき、眉を上げる。

 何か物言いたげな表情をしたが、彼女はそのままライバル心むき出しにふんっと顔をそらして、高いヒールをカツカツ言わせながら立ち去った。

「じゃあ、行こうか」

 黒髪の女性の姿が見えなくなると、心ここに在らずの足取りで真咲さんは歩き出す。

「古谷さん、お味噌の店はあっちです」
「あ、ああ、ごめん。ちょっと驚いてね」

 恥じるように彼は言う。動揺しているみたいだ。

「患者さん、ですか?」
「ああ、そうだよ。もう一年ぐらい会ってなかったけど、相変わらずというか……」

 苦々しくだけれど真咲さんが笑うから、周囲に満ちていた緊張感が解けて、私もつい尋ねてしまう。

「彼女、古谷さんのこと好きみたいですね」
「え、……ああ、まあ、そんなこともあったかな。思い込みの激しい人だから」
「思い込みじゃないと思います。綺麗な人だし、古谷さんのために真面目に働きそうな人ですね」

 彼女になんの問題があるのか、と思う。男女の関係になるかならないかは真咲さんの気持ち次第だし、夫婦でクリニックを経営しているなんていうのも珍しくはない。
 彼の信頼を裏切らない女性、という点においては彼女は適任だろう。
 そう思って言ったのだが、真咲さんは少しばかり慌てる。

「俺は悠紀さんに働いて欲しいと思ってます。彼女じゃ無理だ」
「古谷さんのことが好きだからですか?」
「……まあ、それもある。いや、その前に彼女は患者だから」
「だからって嘘をつかなくても。恋愛対象にならない人を働かせたいって思ってるなら、私もなんとなく納得できますけど」
「悠紀さん……、それはちょっと論点が違います」
「そうですね。信頼できるかどうかでしたね。それなら私だって……」
「信頼できますよ。悠紀さんは信頼できる。だから俺は……」
「私は古屋遼の妹かもしれないけど、古谷さんが知ってる私と今の私は全然違ってて……、何も知らないのに簡単に信頼できるなんて言わないでください」

 気持ちが高ぶる。私は遼の妹なんかじゃないのだ。そう言えない気持ちが私を苦しめる。信頼してるなんて簡単に言うから余計に。

「どうしたら引き受けてくれますか。悠紀さんにならクリニックを任せたい。そう直感した思いに理由はないです。悠紀さんがいいと思った。その思いだけでは足りませんか」

 真咲さんはおかしなほど真剣だ。私じゃないといけない理由もないくせに。

「俺はどちらかというと、恋愛において淡白で……」
「は……?」

 いきなりなに? と私は唐突な告白に驚く。もう一度その言葉をかみ砕いたら、ほおがほんのり上気した。妙な想像をしてしまった私が恥ずかしい。その思いが伝わったからか、真咲さんはますます慌てる。

「淡白というのは、その、違います。そういうことではなくて、去る者追わずというか……、あ、それも違う。だから……、こんなにも悠紀さんでないとと思う気持ちに正直戸惑っているという話で」

 こんなにもうろたえる真咲さんを見るのは初めてだ。あまりに慌てているから、私の方が冷静になれる。終わらない会話を終わらせるためには私が言わなくてはいけない。

「私、看護師として腕があるわけでもないです」
「悠紀さん……」
「でも看護師だから私を選んでくれてるなら、さっきの女性よりは働けるかもしれないです」
「それは、もう」
「試用期間を設けてくれるなら……、前向きに」

 そう言ったら、後悔でため息が出た。いつも繰り返しだ。やれると思う自分と、やれないかもしれないと思う自分が交互に顔を出す。
 この発言に後悔した私の人生が巻き戻る日は来るだろうか。

「じゅうぶんです。悠紀さんに合わせますから、俺の側にいて、俺を支えてください」

 それはやはり、いつかどこかで聞いたプロポーズのようだった。

「あまり先のことは考えられなくて……。この話はまた今度にしてください」

 今は思考が止まっている。何も考えたくないと、真咲さんを拒絶している。

 気分が悪くなって私はその場にうずくまる。

「悠紀さんっ」

 真咲さんが屈んで私の肩に手をかけた途端、私の足元で心配そうに座るミカドの姿が傾く。

 あっ、倒れる。そう思った瞬間には、彼の腕が私を支える。強く引き寄せられる。

「……古谷さん」

 私の鼻先が彼の胸にうずまる。冷えたブルゾンは冷たいけれど、背中に回された両腕が私を優しく抱きしめるから、次第に体ごと、心まで温まるような感覚に襲われる。

 これは安心だ、と気づく。私は彼に抱きしめられて、ひどく安心している。

「大丈夫ですか? 悠紀さん」
「すみません……。たまにこうなることがあって。あの、もう大丈夫ですから……」

 取り返しのつかないことをしたと後悔した時は、時間が巻き戻るような感覚に襲われる。そんな時は気を失って、時間の感覚が狂う。

 そうして穏やかな日々を失ってきた私を彼は理解できないだろう。いくら気を失ったって時間が戻るはずはないのに。それでも戻したいと願う私の体に起きる異変は誰にも理解されない。

「ほんとに、もう……」

 離れようとすると、彼の腕はゆるまるが、すぐには解放してくれなかった。

 彼の腕の中で見上げる空に、彼の優しく微笑む唇が見える。その唇が動く形を追う。

「俺も、支えますから。だからずっと俺の側にいてください。俺に守らせてください」

 お互いに助け合い、支え合う存在になろうと言っただけなのに、彼の言葉はやはりプロポーズのようだった。

「そんな綺麗事……、誰が信じるの……」

 彼の唇が悲しげに歪むが、私は自ら彼の胸に顔をうずめた。助けてと悲鳴をあげる心がそうさせた。彼の胸は温かくて、私の背中をそっと撫でる手が優しくて、涙が出そうなぐらい嬉しかった。
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