非才の催眠術師

水城ひさぎ

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かからない魔法とめざめる奇跡

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「たくさん買い物しましたね。疲れてませんか?」

 真咲さんは車の後部座席に両手いっぱいの紙袋を乗せると、そう言いながら助手席のドアを開けた。

「食事もおいしかったですね」
「古谷さんのおかげです」

 彼の後ろに控えていた私は一歩足を踏み出す。

 夜景を見ながらの食事は素敵だった。食事をおいしいと思いながら食べるのも久しぶりだった。

 お互いのことは語らず、今日一日にあったたわいのない話しかしなかったけれど、彼と過ごす時間は穏やかで、言葉なんていらないぐらい貴重な時間だった。

 その一日がもうすぐ終わる。

 帰りたくないなんてわがままを言う必要は無い。私たちはこれから同じ家に帰る。明日も彼は私の側にいてくれる。

 一歩、二歩と歩んだら、足がぐらついた。飲みすぎたかもしれない。最近ワインなんて口にしていなかったから、酔いのまわりが早いのかもしれない。

「悠紀さん……っ、大丈夫ですか?」

 真咲さんがとっさに私の脇を抱える。なんだか変だ。ぐらぐらする。急激に訪れた変調についていけず崩れ落ちそうになる。

 ドアに手をかけ、彼から離れようとした瞬間、腕を強く引かれた。腰に腕がしっかりと回る。気づくと彼の腕の中に包まれていた。

「……え」
「悠紀さんは危なっかしくて見ていられない」
「あの……」

 真咲さんの上着をつかむが力が入らない。彼は私の腰を抱き寄せて、髪に顔をうずめてくる。

「私……、大丈夫ですから」

 頭はぼんやりとしているが、意識はちゃんとある。彼が私を抱きしめているなんて変だ。その思いは確かにある。

「悠紀さん……」

 ため息交じりに真咲さんは私の名を呼ぶ。私の背中に回した腕でさらに優しく包む込む。

「俺に守らせてくれませんか……」

 のどの奥からしぼりだすように彼は言う。

「悠紀さんも同じ気持ちではありませんか」

 ぽつりぽつりと吐き出すたびに私を抱きしめる腕に力がこもる。

 今日は手をつないで歩いた。恋人でもないのに、恋人のように過ごした。財布もカバンも彼と選んで購入した。アクセサリーを買ってくれるというから遠慮した。その時に彼が見せた表情は悲しげで、私が悪いことをしているような気分にもさせられた。だからやっぱり欲しいと言った。すると彼は無邪気に微笑んで、指輪を買ってくれた。

 彼が私を大切にしようとしてくれるから、私はその思いに甘えてはいけないと思いながら甘えていた。

 誤解、させただろうか。
 でも彼が私を大切にする思いの理由を私は誤解したつもりはなかった。

 私はいつだって彼の前では古屋遼の妹で、古屋悠紀という一人の女性として存在したことはなかったはずだ。

「悠紀さん……、俺の、俺だけの大切な人になってくれませんか……」

 それは告白だった。確かな。私を特別扱いしようとする告白。

「古谷さん……」

 私を抱きしめていた腕がゆるむ。彼を見上げたら、切なげな眼差しが降り注いでくる。なぜこんなに苦しげなのだろう。

「待つ、つもりでしたが……」

 その言葉が苦しげな表情の理由なのだろうか。本意ではないことを口にしたから、だから……。

「気持ちを歪めてまで、そんな優しさ見せなくてもいいのに」

 気を遣ってくれなくても私は大丈夫。彼に心配をかけさせる私に非がある。私がちゃんとしていたら、彼はこんな告白しなかっただろう。

「歪めてなど……」
「ごめんなさい。そんなに心配しないでください。古谷さんにはよくしてもらって、感謝してます……」

 酔っているのに言葉がするりと出る。気は確かだ。真咲さんは雰囲気に流されているけれど、私は大丈夫だ。

 一歩後ずさる。ふわっと足元がふらつくけど、彼とつながれた手が私を支えている。

「帰りませんか……?」

 そう問うと、真咲さんは眉をひそめたまま私の頬に手を当て、髪をそっとすくう。

「今は無理でも、俺はそのつもりですから、考えてくれませんか」

 彼はいつも多少強引だし、諦めが悪い。こんな時でもそうなのだろうか。恋愛は淡白だと言っていたのに。

「古谷さんは……ダメです」

 私は目をそらす。絶望にも似た目をする彼を見ていられない。

「なぜ……」
「それは……」

 躊躇するが、彼は私に詰め寄る。

「大切な人がいますか? 大切に思い合う人が」

 彼は焦っている。私たちは出会ったばかりではないか。恋人として意識し合う時間などなかったのに。

 私は彼の胸をそっと押す。

「そうじゃなくて。そうじゃなくて……。古谷さんはお医者様だから……」
「え……?」
「お医者様とは、付き合えません。他に理由はないです……」

 変な勘ぐりはいらない。真咲さんは素敵な人だから拒む理由もない。理由があるとしたら、そのことだけだ。そしてそれは二人の努力では乗り越えられないものだと私は知っている。

 私は手をだらりと下げる真咲さんから逃れて助手席に乗り込んだ。彼はしばらく立ち尽くしていたが、程なくして運転席へと姿を現し、私の方を見ないまま無言でエンジンをかけた。
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