非才の催眠術師

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優しい真実と苦しい選択

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「ミカドは……知ってた?」

 リードにつながり、商店街の道を先に歩くミカドはしっぽをピンと立てている。私の問いに答えるように、右耳をぴくりと動かす。

「そうだよね。ミカドは喫茶店にいたもの。ママとお父さんのことは知ってたよね」

 リードをつかむ左手とは反対の手がそっと握られる。真咲さんの大きな手は温かくて、そして指が絡められるから、どきりとする。

「大丈夫ですか?」
「あ、はい……。ちょっと驚いたけど、まだ実感はないです。先生も驚いたでしょう?」
「真実を知るのはよかったと思っています。悠紀さんが愛されていたことは白日の下にさらされるべきだった」
「もう離さないって、お父さんが言ってくれたのは嬉しかった」

 そう答えて真咲さんを見上げると、彼はなぜだかさみしそうだった。首を傾げる私の頬に手を当てる。

「離さないのは困ります。今すぐにでも連れ出してしまいたいのに」

 真摯な目を向けられたら、全身がほてる。

「あ……、先生は……」
「ええ、住む場所が見つかり次第出ていきます。悠紀さんも連れていきたいのに」
「でもお父さんは一緒に暮らしたいって思ってくれていて……」
「もちろんです。優先するべきことは、これまで離れていた時間を埋めるだけの時間を共に過ごすことです」
「先生とはまだこれからもずっと一緒にいられるから……」
「それはプロポーズですか?」
「えっ!」

 頬がみるみると赤くなる。そんなつもりではなくて。

「俺は一緒にいたいです。これから先ずっと、二人で……いいえ、ミカドくんと、まだ見ぬ俺たちの子どもとずっと、共に生きていきたいです」
「それはプロポーズ……ですか?」

 私も問い返す。

 赤らむ頬に両手を添えて、真咲さんは優しく優しく唇にキスを落とす。

「結婚してください、悠紀さん」
「はい……」

 拒む理由はもうないはず。だから、すんなりとうなずくことができる。真咲さんはどんな事情のある私でも、大きな愛で包んでくれるだろう。

 私たちはますます指をきつく絡め、身を寄せて歩き出す。

「一つわからないことがあるの」
「なんですか?」
「お兄ちゃんのこと。私が会ったお兄ちゃんは確かにお兄ちゃんだったのに。先生が見せてくれた高校時代のお兄ちゃんの写真と瓜ふたつ……」

 私はそこまで言って、一つの矛盾に気づく。

 お兄ちゃんはなぜ高校時代の姿のままだったのだろう。真咲さんと同じ年なのに。

「ミカド……」

 ぽつりとつぶやくと、心なしか小さくミカドが肩を震わせた気がする。

 ミカドだ。

 なんとなく、そう気づいて、納得する私がいる。またリン君にも会える、そんな予感がする。

「ミカドくん……かもしれませんね」

 真咲さんもまたそうつぶやく。

「またお兄ちゃんに会える?」

 誰にともなく尋ねるが、ミカドは知らぬふりで歩き出す。

「古谷先生なら、お兄ちゃんの幻を見せてくれる?」
「それは出来ないですよ。誰にでも催眠術はかけられないんです、俺は。非才ですから」

 真咲さんはそう言って、恥じ入るように笑った。




【完】
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