お仕事女子のふつつかな恋愛事情

水城ひさぎ

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初めてをもらってもらえませんか?

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「本当にいいの?」

 エレベーターに乗り込むなり、腰に腕を回してきたれんは、甘い声音で優しくささやいた。

 それは、禁断の果実を食せとそそのかす、悪魔のささやきのようであり、酒に酔っていた私は、甘えるように彼の胸に頭をもたげていた。

「うん……」

 ……こんな感じで大丈夫だろうか。

 半分覚醒してる私の意識は、ちゃんと理性をとどめている。

 蓮は何も言わず、私の髪を後ろに流し、耳にかける。大ぶりのフープピアスをいじるのは、ほんの少し邪魔に感じてるからかもしれない。

 こういうとき、ピアスをはずすタイミングもよく知らない私が耳たぶに手を伸ばすと、「今は外さなくていいよ」と蓮が優しく言う。

 ますます密接する体と、ピアスごと耳たぶに触れてくる柔らかな唇と吐息に情熱を感じて、呼吸が浅くなる。

 経験値の違いを、はやくも見せつけられたみたい。

 男性に甘えるなんていう大胆な経験は、これまで私の人生でたったの一度もなかった。

 それでも慣れてるように見せかけたくて、シャツをキュッと握って、上目遣いで彼を見上げる。

 お酒の入る赤ら顔と緊張でうるむ目は、効果てきめんだったみたい。そっと笑んで前屈みになった彼が唇を重ねてくる。

 待って待って。
 私って、キスの経験もないんですけど。

 覚悟してたつもりなのに、慣れてる演技ができなくて、ビクッと体を震わせてしまう。それなのに、蓮はかまわずキスを続けてくる。

 何度かソフトに触れてきた唇は、次第に深くなって、私の息を乱す。

 薄く開いた唇の間から生温かな舌が滑り込み、荒々しく口内をおかしていく。

 なに……、この感覚。

 蓮の唇がとろけるように柔らかい。気持ちよくて離れられない。

 普段なら酒クサいと感じる息さえも、なぜか愛おしい。それは彼のキスがうまいからなのか、本能が私を狂わせているからなのか……。

「れ、ん……っ」

 息が上手に吸えなくて、思わず声をあげたら、「色っぽいですね」って、甘い声が頭上から降ってくる。

「だっていきなりするんだもの……」

 たった一つのキスで、思考力を奪われるなんて知らなかった。

 緊張感と解放感がないまぜになってる私は、減らず口を叩きながらも、蓮とつないだ手を離せないでいる。

 戸惑ってるひまはなくて、ゆっくり開いたエレベーターの外へと、何かに急かされるように飛び出す彼についていく。

 私の手を引く蓮の、清潔感のあるシャツから感じる背中は、細身だけど筋肉質。キレイな体をしてると思う。

 彼になら全部捧げられるだろう。

 さわやかな見た目も凛々しい体躯も、私好みの条件をクリアしてる。

 彼ならいい。
 後悔しない。

 はやく済まして、脱処女の称号を手にしたい。

 こんなときでも、一度決めたら成果を出すまで突っ走る、生真面目な性格が顔を出してしまうみたい。

 蓮はポケットからキーホルダーを取り出すと、シックな黒塗りのドアを開いた。

 彼の背中越しに、室内へと目を向ける。

 真っ白な廊下の奥に、黒の扉がある。生活感のない、その扉の向こうには、きっとメーキングされたベッドがあるのだろう。

 初めて訪れる男の部屋を妄想したら、これから蓮と過ごす夜まで想像してしまって、心臓が破裂しそうだった。

 彼はいったいどんなテクニックを持ってるのだろう。そのうちのいくつを私にしてくれるのだろう。

 蓮は下駄箱の上に鍵を投げ出すと、私を玄関に引き込んだ。

 後ろでガチャリと音がして、堅牢な箱に閉じ込められたみたいに戦慄する。もう逃げられないんだって覚悟を決めさせられた気がする。

 靴を脱いだら、無言で手を引かれて、黒い扉の奥へと連れていかれた。

 一人暮らしにはじゅうぶんなキッチンとテーブルの横に、想像通り、きちんと整えられたベッドがあった。

 シャツのボタンを外しながら私を振り返る彼は、お気に入りのワンピースをゆっくり眺めてくる。

 ワンピースに隠された体を想像されてるみたい。恥ずかしくなって目を伏せたら、蓮はちょっと笑って歩み寄ってくる。

「緊張してる?」
「あ、ううん……」

 言ってから、緊張してるって答えた方がかわいかったかもしれないって後悔した。

 ぎゅっと胸もとで手を握る私の背に、彼の腕が回される。あっけなくファスナーが下げられて、ワンピースが足もとに落ちていく。

 やっぱりすごく慣れてるみたい。彼が今まで出会ってきた女の子たちに比べて、私の体はどうだろう。

 急に抱きたくないなんて言い出されたら、困る。

「蓮くん……」

 彼の顔が見れない。目を合わせたら、やっぱりやめようなんて言われてしまう気がした。

「想像以上にキレイです」
「え……」

 合格点もらえた?

 そう思ったのもつかの間、ベッドに組み敷かれてしまう。

 ほおをなで、首筋を通って鎖骨に触れる。ブラジャーの上から胸のふくらみをなでていく彼の息がわずかにあがる。

 欲情してる。
 下腹部に押し付けられた彼の情熱が、それを伝えてくる。

 かろうじて身を守る鎧と信じていたブラジャーは、待ちきれないとばかりに素早くはずされてしまった。

 女性経験が豊富であろう彼が焦ってる。

 そうしたいほどに、私の体に魅力を感じてくれたのだろうか。そう自信を持ってみるが、蓮の真剣なまなざしが上半身を注視してると知るや否や、全身が硬直してしまう。

 初めてだから、優しくしてほしい。

 そう言った方がいいのだろうけど、初めてだなんて知られたくない。

 処女が一夜のお遊びに向かないってことぐらい、私だって知ってる。

 ジッと息をこらす私の胸の先端を、舌で押し付けるようにして口の中へ含む蓮から目をそらし、白い天井を見上げる。

 時折、甘い息を吐く彼が、夢中になって胸をまさぐっていく。

 これは、処女を喪失するための前準備とわかりながらも、私の素肌の至るところに吸いついていく弾力のある唇に、どう反応したらいいのかわからない。

 おへその辺りがヒヤッとした。だんだん唇がさがっていく。ショーツに触れた指にびくりとし、逃げるように腰を引いてしまう。

 腕をついて、わずかに上半身を起こしたら、蓮と目が合った。

 いやがったと思われたかもしれない。困惑する私の顔をのぞき込み、彼は言う。

「初めてなの?」

 その言葉に、私は思い切り息を飲んだ。

 花村はなむら佳澄かすみ28歳。ヘルスケア関連企業、株式会社サク美の企画部所属。仕事一辺倒の甲斐あって、グループリーダーである主任を任されている。

 順風満帆な会社員の道を歩んできた私だが、わけあって、さっき知り合ったばかりの男と一夜をともにしようとしていたのだけど、はやくも計画倒れの予感。

「……うっ」
「図星?」

 蓮は淡々と言う。

 怒ってるのか、興醒めしたのかわからないけど、バレバレだったみたい。

 ベッドの上でされるがままだったんだから、バレるのは時間の問題だったんだろう。

「やっぱり、処女はいや?」

 観念して、そう尋ねた。

「ん、まあ。めんどくさいし」
「めんどくさいの……?」

 ワンナイトラブと割り切ってるからこそ、そんな言葉が出たんだろう。

 好きな女の子を抱くわけじゃないんだから、やっぱりそうなのか。

「だって俺、気持ちよくなれないじゃん」

 嘆く蓮はベッドの上であぐらをかくと、クシャクシャと髪をかく。

 彼の名前は黒瀬くろせ蓮。たぶん、年下。名前しか知らない。つまり、行きずりの男である。

「やめるの?」
「後悔するよ、佳澄かすみさん。初めては好きな男に捧げた方がいいよ」
「えっ」

 硬派なセリフに驚いてしまう。

 なんて真面目なことを言うのだろう。ちゃらちゃらした遊び人だと思ってたのに。

 初めてを捧げる男にふさわしいんじゃないか。この好機を逃すわけにはいかない。

 脱ぎ捨てたシャツを拾い上げる彼の腕に、とっさにしがみつく。

「待ってっ。今度もう一回させてあげるから、ねっ、お願い」

 蓮は目を丸くする。

 一夜限りのお遊びだからと心に決めて彼の部屋へやってきたんだけど、次の約束までしちゃうなんて必死すぎると思われたかもしれない。

「へえ、そんなに俺とヤリたいんだ?」

 すぐににやついて、彼はふーんと鼻を鳴らす。

「そ、そう。そうよ」

 本当のところは全然そういうわけじゃないんだけど。

 相手が蓮なのは、成り行き。今日を逃したら、処女喪失とは縁がなかったんだと、あきらめようと思ってる。

 これは最後の悪あがき。

「なんで?」
「なんでって……」
「理由によっては抱いてあげてもいいよ」

 まじまじと裸を眺められて、ハッとする。冷静になって見つめられることほど恥ずかしいことはない。

「こ、これは仕事っていうか……」

 無意識に胸もとの前で腕を交差させると、蓮はふたたび私の上へとかぶさってくる。

「仕事? 知らない男とヤる?」
「そうじゃなくて。こ、こういう経験がないと困るっていうか……」

 顔をそらしながら言うけど、蓮の唇はかまわず耳の端をなぞっていく。

「処女じゃできない仕事なんだ? 面白そうな仕事してるんだね。まあいいよ」

 投げやりとも取れる言い方だったけど、この際、背に腹は変えられない。

「いいの……?」

 おずおずと尋ねると、蓮はたしかにうなずいた。

「その代わり、さっきの約束忘れないで」
「約束?」
「今度、もう一回させてよ。楽しませてやれないなんて、不本意だ」
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