お仕事女子のふつつかな恋愛事情

水城ひさぎ

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愛なんてなくてもいい

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 ふたたび部屋を訪ねてきた伊達さんは、レストランへ行こうと、何もなかったように私を誘った。

 食事中も、食事を終えて部屋へ戻ってきた時も、彼は紳士だった。

 気のある素振りは一切見せず、翌朝ホテルを出発した後は、寄り道せずにまっすぐ帰宅した。

「ありがとう。じゃあ」

 彼は別れ際、お礼を言う私にそう言った。次の約束はなかった。

 ふられたんだ。

 そう気づいたのは、彼の車を見送った時だったかもしれない。

 以前、私が部屋に入るまで見守ってくれていた彼はもう、存在していなかった。

「やだ、紀子。笑わないでよ」
「ごめん、ごめんね。だって、深刻な話だと思ってたら、一方的に告白されて、一方的にふられたって言うから」

 午後2時、私は紀子の実家を訪ねていた。

 伊達さんとのいきさつを話し終えると、紀子は珍しく楽しそうに声を立てて笑った。

 彼女が明るく笑うのを見るのは久しぶりで、彼に対するもやもやがまたたく間に晴れていく。

 無邪気だった学生時代に戻ったみたい。恋の話を紀子とするなんて、当時ですら想像もつかなかったけれど。

「本当に恋愛運がないみたい。私には合わないなぁって思ってたし、次がなくてよかったのかも」

 また会いたい、って言われてたら、断る勇気があったかどうかわからない。結局、流されてた可能性もある。

「そうなの? 笑っちゃったけど、後悔してない?」
「後悔はないよ。何回か会ってみて、違うなぁってわかってよかったんだと思う」
「ないならいいけど。佳澄を気づかって身を引いた感じにも聞こえたし。大学時代に好きだった人なんだよね?」

 昔好きだった人と数年ぶりに再会して、ふたたび恋に落ちるパターンなんて、まれなケースだと思う。今となっては、それを実感してる。

「うん。すごく優しくて紳士的で、それこそ、白馬の王子様って感じの人なんだけど、強引だったり、主導権を握りたがるっていうか……もちろん、頼りになるんだけどね。私には違うかなぁって感じ」
「佳澄、しっかり者だもんね。決めてもらうより、相談して決めたいタイプなのかな」
「そうかも。でもね、どんなにいい人でも、ダメだったと思うの」
「ダメって?」

 どういうこと? って首をひねる紀子に見守られながら、意を決して口を開く。

「私ね、好きな人がいるみたい」
「わあ、そうなの? 手応えありそうな感じなの?」

 紀子は、今日何度目かの驚きの声を上げた。

「あ、ううん。彼もダメなの。彼、好きな人がいて。元カノが忘れられなくて、誰とも付き合う気はないみたい」
「そうなんだー。複雑だね。でも、佳澄はかわいいし、いい出会いは探せばあると思うよ」

 なぐさめに、しみじみとうなずく。

「そう、それ。探せば、だよね。お見合いしようかなぁって思ってるの。お見合いもダメだったら、あきらめようと思って」
「あきらめる必要なんてないと思うけど、彼氏探しから離れるのはいいかもね。気を抜いた途端にいい出会いがあるかもしれないし」
「紀子はすごいよね。若いうちに運命の人に出会えたんだもの」

 コーヒーカップを口に運びながら、庭先へ視線を移す。

 紀子の実家は庭付きの一軒家だった。

 田んぼに囲まれた広めの土地に、家族の人数よりも多い部屋数のある、和風家屋。田んぼも紀子の実家の土地なのだそう。

 彼女は世間一般よりは上質な家のお嬢さまだと思う。

 苦労知らずって言葉がよく似合うと、高校時代のクラスメイトに言われ、恥じるようにしていた紀子のことは今でもよく覚えている。

「駿くん、大きくなったね」

 おじいちゃんおばあちゃんと一緒にサッカーボールで遊ぶ駿くんは、きれいに整った芝生の上を元気よく走り回っている。

「でしょ。この頃、急に大人びた顔になって。ついこの間まで赤ちゃんだったのに。過ぎてみると、あっという間」
「紀子似でイケメンくん」
「うん、そう。私似だよね。だからかなぁ、お姑さんは駿に優しくないの」
「そうなの?」

 少し驚いて、紀子に目を戻す。

 彼女の口から、お姑さんに対するグチめいたものを聞いたことがなかったから、意外だった。

 紀子もコーヒーをひと口飲んで、そっとカップをテーブルの上に戻した。

「駿の悪いところは全部、嫁に似たんだって言うの。歯並びとか、そういうのも。前は二人目が欲しいなぁって思ったりもしたけど、いろいろあって、そういう気持ちもなくなっちゃった」

 肩をすくめてはかなそうに笑った彼女は、私が眉をひそめたからか、「ごめんね」とあやまった。

「私、幸せな結婚したんだって思ってたよ。佳澄の言うように、ゆうくんは運命の人だって思ってた。それは今でも変わらないはずなのに、お姑さんが関わってきた途端に別のものになっちゃった」

 紀子の夫、米原優一ゆういちに会ったのは、結婚式の時だった。優しそうな印象の、好青年。彼のご両親も、どちらかというと明るい印象の持ち主だった。

 紀子は誰が見ても幸せな花嫁だった。数年後に、泣き出しそうな顔をして家族の話をするなんて、想像もしてなかった。

「でも、お姑さんに何言われても仕方ないよね。働く前に結婚して、生活費は助けてもらってたし。優くんはがんばって仕事してくれてる。疲れて帰ってきて、母親のグチなんて聞きたくなかっただろうし」
「紀子?」
「私ね、もう限界だったんだ」
「紀子……」

 いきなり両手で顔を覆った紀子の手首をとっさにつかむ。

 片手で目もとを隠したまま、彼女は私の手を握り返した。

「お姑さん、何にもやらない人なの。家のことも町内のことも全部、私ひとりでやってきたんだ。そうするのが当たり前だって思ってやってきたんだけど、心ないことたくさん言われてるうちに、自己肯定感がなくなっちゃったみたい。お姑さんがいれば、駿は育つんだもの。私なんていらないって、毎日思うようになって……」
「紀子は必要だよ。そんな風に思わないで」
「ありがとう、佳澄。うん、大丈夫。今は大丈夫なの。仕事始めて、家も出たから」
「家、出たの?」

 目もとをぬぐった紀子は、驚く私の手を握りしめたまま、笑顔でうなずいた。

「泣いたりしてごめんね。佳澄に話したら、ほっとしちゃって。佳澄なら、私を否定しないってわかってるから、甘えちゃった」
「そんなのいいの。気にしないで。家出たって、旦那さまは?」
「優くんはついてこなかったよ。別居中。頭を冷やしたら、すぐに戻ってくるって思ってるんだと思う」
「そんなぁ」

 胸が痛む。きっと紀子は、ついてきてくれるって信じて、家を出る決意をしたと思ったから。

「今は職場の近くにアパート借りて駿と暮らしてるけど、ほとんど実家に入り浸りだから、両親はここで暮らせばいいって言ってくれてる」
「ご両親が側にいてくれてよかった」
「うん。でもね、結局、誰かに甘えてないと生きられないなら、結婚なんてしたらいけなかったよね。でもここまで来たら、仕方ないよね。開き直って、両親には甘えてる。家事をしなくなった分、駿と過ごす時間を前より大切にできてるよ」

 いつの間にか、駿くんが縁側に身を乗り出し、こっちを見てにこにこ笑っている。

 人懐こいけど、照れ屋でもあるのだろう。私と目が合うと、おばあちゃんの方へ駆けていった。

「駿くんはお父さんに会えなくてさみしがってない?」
「駿はお父さんがいなくても気にしてないの。仕事ばっかりの優くんは、休みの日も駿を連れて遊びに行くなんてなかったし。私が家事してる間に祖父母と遊ぶ駿を見てるのが、夫として、父親としての役割だと思って満足してたみたい」

 ずいぶんと、紀子から聞いていた優一さん像が違う気がする。

「そっか……。あ、もしかして、前にランチしたとき……」
「うん。ごめんね、嘘ついたの。あの日は両親に駿を預かってもらってた。鉄道博物館に駿を連れていってくれたのは、両親なの」
「そうだったんだね。私こそ、ごめんね。全然、気づけなかった」

 紀子が結婚生活を積極的に話さなかった本当の理由を、私は何もわかってなかった。

「ううん。気づかれないようにしてたんだもの。佳澄が謝るようなことないよ。ねー、佳澄」
「うん」
「優くんさ、浮気したわけじゃないんだよ。仕事だってまじめにやってる。それなのに、お姑さんが私から母親の役割奪って、優くんをいつまでも子ども扱いしてるだけで、私たちの家族は壊れちゃうんだよ。誰も悪いことしてないのにね、なんで離婚を考えなきゃいけなかったんだろうね」
「離婚……するの?」

 紀子は、離婚しないとも、わからないとも取れるようなしぐさで、首を振った。

 彼女が我慢していれば、米原家の家族の形は壊れずに続いていたのだろう。でも、我慢しきれずに家を飛び出した。

 落ち着きを取り戻した今、紀子は我慢が足りなかったと自分を責めているのかもしれない。

「私は優くんと結婚したの後悔してないし、結婚したときは本当に幸せだったよ。今は、駿がいてくれてよかったって思ってる。本当に、そう思ってるの」

 私は無言でうなずいた。

 紀子の告白は、まるで夫である優一さんに聞かせる最後の言葉のようだった。

 胸に引っかかっていた思いをすべてを話し終えたのか、彼女はすっきりした表情で、私の手を離した。

「私はこんな風になっちゃったけど、世界で一番好きな人と結婚してよかったなって思ってるよ」

 だから、佳澄も一番好きな人と結ばれてね。

 紀子はそう言いたかったのだと思う。

 無力さを思い知らされながら、「いつでも連絡してね。私もするから」と言った。

 私は紀子の側にいることしかできない。
 だけど、側にいることすらしない優一さんの気持ちはどこに向いてるのだろう。

 考えても、答えは見つからない気がした。

 私には蓮の心が見えない。それと同じで、本心は聞いてみなければ、誰にもわからないのだと思った。
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