お仕事女子のふつつかな恋愛事情

水城ひさぎ

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愛なんてなくてもいい

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「どうしたの?」

 心を落ち着かせながら電話に出ると、蓮はためらいがちに口を開いた。ずいぶん迷って電話してきたのだろう。

「この間、なに言いかけたのかなって、ずっと気になっててさ」
「え、何の話?」

 真っ白な頭のまま、問う。思ったより、突然の電話に動揺していたのだろう。蓮が何を言い出したのか、すぐに想像がつかなかった。

「何って……。何か言いかけてたよね? 奈緒が来て、話聞かないままだったから」
「あ……っ」

 と、息を飲む。
 思い出した? と蓮は笑う。

「あ、あれは、なんでもないの」

 奈緒さんが来て、言わずじまいだったけど、告白しようとしてただなんて、今さら言えない。

「なんでもない? そんな感じじゃなかったけど。電話じゃ、話しにくいこと?」
「ほんとに、なんでもないの」
「……今から会える? アパートに行くよ」

 あわてて否定する私の様子があきらかにおかしいと思ったのか、蓮はしばらく押し黙ったあと、とんでもない提案をした。

「今日はだめ」
「用事?」

 こんな時間に? と、彼が時計を確認するしぐさは想像できても、ごまかす言葉が浮かんでこない。

「それが、その、いま出かけてて」

 言ってから、もう遅いから会えない、って言えばよかったと思った。なんて私は馬鹿正直なんだろう。

「そうなんだ。何時ぐらいに帰る?」
「遠くに来てるから、今日は帰らないの」

 今さらごまかしても、すぐに嘘はバレるだろうと観念する。

「旅行? ……ああ、そっか。あの人と一緒なんだ」

 どうしてこうも蓮は勘がいいのか。隠し通せるものなら隠しておきたかったのに、嘘どころか、真実まですぐにバレてしまった。

「一緒だけど、一緒じゃないの」
「何、それ?」

 蓮は笑う。でもどこか、冷めた笑いだ。

「旅行のつもりはないの。出かけるのは、前から決まってたから」

 焦りを覚えて、早口で言う。誤解されるのはいやだった。

「へえ。じゃあ、遠出したら帰りたくなくなったんだ?」

 蓮の言い草に、ちょっとムッとしてしまう。妙な勘ぐりは、誤解のもとだ。

「どうしてそんなひねくれた言い方するの? 高速道路で事故があって、帰るに帰れないだけ」
「事故? 巻き込まれたとかじゃないよね?」

 心配げな彼の声音にほっとする。なんだかんだ言っても、蓮は優しい。

「うん、それは大丈夫。今日はホテルで一泊して、明日の朝帰るの」
「そっか。災難だったね。じゃあ、明日は会える?」
「明日は……、あっ、友だちに会う予定があるの」

 紀子の実家に遊びに行く予定があったのを思い出す。

「じゃあ、来週は?」
「スケジュール帳がないからわからないけど、いつもそんなに予定はないから」

 食い下がってくる蓮に戸惑いつつ、そう答えた。彼はなんとしてでも私に会いたいらしい。

 会いたい理由なんて一つだけだ。
 理由をつけて私を呼び出し、抱きたいのだと思う。

 奈緒さんを好きなくせに、恋愛感情のない間柄の女で欲求不満を解消しようとしてる。

 わかっていながら、蓮に会いたいと願う私は愚かだろう。

 ほかの女性をあたってよ、と言えないのも、惚れた弱みかもしれない。

 これまで彼と関係を持ってきた女性たちは、私と同じようなむなしさを抱えながら、彼に抱かれていたのだろうか。

「そっか。じゃあ、来週また連絡するよ。それで、今はあの人いないの?」

 さんざん会話しておいて、今さらだ。

「いないわ。部屋は一緒じゃないもの」
「別々の部屋にしたんだ。ふーん」
「ふーん、って当然じゃない。付き合ってるわけじゃないんだから」
「付き合ってるかどうかなんて関係ないよ。あの人は佳澄さんが好きなんだから。だいたい、部屋が違うからって安心してる佳澄さんは隙だらけだよ」

 まるで、お説教するみたいに言う。

「彼の部屋に入ったりしないから大丈夫よ」
「大丈夫って、何を根拠に? あっちが来たら拒めないよね。ねぇ、佳澄さん」

 あきれた彼は、急に押し黙る。

「何?」
「……あの人に抱かれないでよ。佳澄さんが誰かに抱かれてるんじゃないかって考えるだけでむしゃくしゃするんだ」

 蓮はため息をつく。言おうか悩んだのだろう。声に出したら、駄々っ子みたいで情けなくなったようだった。

「おもちゃを盗られて怒ってる子どもみたい」
「佳澄さんをおもちゃにしたつもりなんてないよ」
「わかってる。あれは、私が無理に頼んだんだから」
「無理ってさ……」
「あ、彼が来たみたい」

 ノックされたドアへ視線を移し、蓮の言葉をさえぎる。

 彼の言いたいことは、聞かなくてもわかった。あの一夜のあやまちは、私たちの合意の上でのことだった。

「これから夕食、食べに行くの。じゃあ、切るね」
「佳澄さ……」

 ふたたびドアがノックされるから、「ごめんね」と言って、まだ何か言おうとする蓮の電話を一方的に切った。

 肩にかけたバッグにスマホを放り込んで、ドアに駆け寄る。

 念のため、ドアスコープをのぞくと、腕時計を眺めている伊達さんがいた。すぐにドアを開けると、彼はあんどしたように笑む。

「よかった。いないのかと思った」
「気づくのが遅くなっちゃって、ごめんなさい」
「いいよ。夕食だけどさ、ホテルのレストランで食べてもいいかなと思ってね。部屋に、レストランの案内があったよね」
「え……」

 伊達さんが部屋に足を踏み込んでくる。

 そんな案内あっただろうか。

 後ろに身を引きつつ振り返ると、確かにドレッサーの上にインフォメーションブックらしきものが乗っている。それを一緒に見ようというのだろう。

「すぐに持ってきますっ」

 そう言って、ドアから離れようとしたとき、手首をぐいっとつかまれた。驚いて振り返ると同時に、彼の胸にほおがあたる。

 抱きしめてくるわけではないけど、そばから離してくれそうにもない。戸惑いながら、彼を見上げる。

「あ、あの……」
「誰かと話してた?」

 茶化すようではない、冷静な声だった。だから私も、どこか落ち着いていられた。

「誰かって?」
「いや、なんでもないよ。聞いてみただけ」

 なんでもないなんて、嘘。
 蓮と電話してた声が、もしかしたら隣の部屋に漏れていたのかもしれない。

 伊達さんは断りもなく、部屋の中を進んだ。インフォメーションブックを開き、ようやく私の手を離してくれる。

「ホテルの最上階のレストラン、ここに行こう」

 彼の差し出すレストランの案内をのぞき込む。

 格安ホテルだから、あまり期待していなかったけど、美味しそうなコース料理が並んでいる。

「よさそうですね。予約なしで大丈夫でしょうか?」
「ああ、予約なしでいいみたいだよ。……佳澄ちゃん、あのさ、ごめん。俺、何か勘違いしてたかもしれない」

 案内をしげしげと眺めていると、伊達さんが深刻そうに話しかけてきた。

「勘違いって、何をですか?」
「佳澄ちゃんは俺が好きなんだと思ってた」
「えっ!」

 真剣な眼差しでじっと見つめられたら、ほおが熱くなってくる。

 恋愛の話は苦手だ。こういう雰囲気になるだけで緊張してしまう。

「ほら、そうやって勘違いさせる。デートに誘えば断らないし、俺だって期待しちゃうよ。でも一緒の部屋は嫌だって言うし、俺の勘違いか、って気づいた」
「えっと、その、なんて言ったらいいのか。伊達さんに会うのは楽しいから、断る理由なんてなかったんですけど……」
「好きな男がいるの?」

 単刀直入に尋ねてくる。

「あ、それは、その……」
「即答できないってことは、彼氏ではないよね? 俺さ、今すごく悪い気持ちになってるよ。好きな男なだけだったら、佳澄ちゃんを振り向かせられるって思ってる」
「どういう……」
「いまここで、ベッドに押し倒すのは簡単だよ」

 思いがけない告白に驚いて、目を見開くと同時に彼の手が伸びてくる。

 この手につかまったら、ダメだ。

 そう思って、後ずさりしようとした時には腕をつかまれていた。

「あ……、伊達さん……」
「好きな男がいるなら、終わらせてほしい」

 真摯な願いをぶつけられた気がした。

「急にそんな……」
「俺に抱かれたら、忘れられると思う」

 忘れられるって、何を?

 私を優しく抱いてくれた蓮の行為が上書きされるっていうのだろうか。

「試してから決めるのも悪くないと思うよ。話は終わってからにしよう」

 話し合う必要なんてないって言われたみたいだった。

 体を重ねたら、わかるから。

 彼の言うこともわかる気がする。だって私はそうだったじゃないか。

 蓮に抱かれて、彼を好きになった。

 蓮の匂いやぬくもりに包まれて、愛おしく思った気持ちはまだ心にある。

 あのとき、蓮がもし、好きだってささやいてくれたら、私はくどき落とされていた。

 蓮とはそういう関係にならなかったけど、きっと、伊達さんは落ち着いた低い声音で、色っぽくささやいてくれる。

 私を抱きながら、好きだって、愛してるって言ってくれる。

 唐突に、下半身がジンっとした。

 蓮が何度も優しく入り込んだ下腹部に、伊達さんが入りたいと言う。

 そうなったとき、蓮の与えてくれた感覚はどうなってしまうのだろう。

「佳澄ちゃん、おいで」

 伊達さんはそう言うけれど、私に近づくなり抱き寄せようとしてくるから、身を引く。

「ごめん。戸惑うよね」

 小さくうなずく私の手を優しく握ってくる。

「こんな風に焦ったのは、佳澄ちゃんがはじめてなんだよ」
「……焦るだなんて」
「俺を見てほしいって言うのは、間違ってるのかな?」

 間違ってるかどうかなんてわからない。

 私だって蓮に、私だけ見てほしい、って思ってる。その気持ちが間違ってるなんて、思いたくない。

 うつむく私を引き寄せて、彼はささやく。

「佳澄ちゃんの全部を俺のものにしたいんだけど」
「えっと……」
「キスしていい?」

 この間は断りなくキスしたのに。

 同意の上でのキスなら、そのまま私を奪えると思ってるのだろう。その実、あらがえる自信がない。いざとなったら、男性の力に勝てるはずはないのだ。

 私の顔色をうかがいつつも、決して身を引く気のない彼の指が、こめかみにうずまってくる。

 顔を近づけてくる彼を見ながら、胸もとをぎゅっと握りしめた。

 蓮は忠告してくれたのに。

 私はいつも隙だらけだから、気をつけてって。抱かれないで、って言ってくれたのに。

 まぶたを閉じたら、蓮の笑顔が浮かんで、涙が目尻から流れ落ちた。

「佳澄ちゃん」
「ごめんなさい。私、伊達さんじゃ……」

 伊達さんじゃ、ダメなのだ。
 どんなに愛してくれても、誰よりも愛してくれても、私が求めてるのは、伊達さんじゃない。

「泣かないで、佳澄ちゃん」
「私こそ、子どもみたいに……ごめんなさい」

 これでは、蓮と変わらないじゃないか。
 思うようにならなくて、すねてるだけ。泣いたりして、みっともない。

「佳澄ちゃんは見た目が変わっても、中身は昔のままだったのにね」

 男性経験のない、伊達先輩の知る花村佳澄のままだと見抜かれた。

 伊達さんは面倒くさく感じただろう。

 私なんか、全然魅力的じゃないって気づいたのだと思う。

「ごめん。頭、冷やしてくる」

 申し訳なさそうに謝った彼は、部屋を出ていった。
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