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約束の場所で待ってる

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 クリスマスカラーのネオンに彩られるラルゴを横目に、薄暗い脇道に飛び込んだ。

 細くせまい路地を歩く人を追い越しながら、三叉路を右に曲がる。先にある線路を走って渡り、足を止めた。

 店の入り口に置かれたクリスマスツリーを飾る光が、JIUの看板を優しく照らしている。

「蓮くんっ」

 ジウへ入っていこうとする青年の背中に向かって、私は叫んだ。そして、驚いて振り返る彼に駆け寄る。

「走ってきたの?」

 そう言って、蓮は乱れた私の前髪に触れようとして、ちゅうちょした。

 触れてくれたっていいのに。そう思うけど、そうさせなくしたのは、私だ。

「先に帰ったって聞いたから」
「急がなくても待ってたのに」
「蓮くんにはやく会いたかっただけ」

 すんなりと、素直な気持ちが口に出た。

 蓮は驚いたように眉をピクリとあげた。しかし、すぐに真顔になって私の手を握りしめると、ジウの扉を開ける。

 予約席に通された私たちは、無言で隣り合って腰かけた。飲み物を注文する間も、彼は手を離さなかった。まるで、離したら私がいなくなると思ってるみたいに。

「奈緒さんの手紙、読んだよ」

 ワイングラスを合わせた直後には、ふさわしくない名前を口にした。

 蓮は「そう」と素っ気なく返すだけ。彼は中を見てないのだろうか。

「私、奈緒さんが好きなんだと思ってた」
「違うよ」
「うん。違うんだって気づいてからは、蓮くんは誰も好きにならないんだって思ってた」

 だから、驚いた。私を好きだなんて言うから。

「佳澄さんをもてあそんでるって思ってたんだ。それじゃあ、俺を好きになるわけないよね」

 蓮は苦笑いして、ため息をつく。

 何かに後悔してるみたい。後悔してるなら、私もそう。もっと違う形で彼と出会っていたかったと思う。

「私たち、最低な出会い方だったと思う」
「最低ってさ……、そうでもないよ。俺がイヤイヤ佳澄さんを抱いたと思ってるなら、違うよ。好みの人だったから、ジウに誘導したんだし」
「誘導?」

 驚くと、ようやく蓮は笑顔を見せた。

「佳澄さんって単純だよね。道案内してるつもりだったかもしれないけど、簡単についてきて、俺の思い通りになった」
「最初から……そのつもりだったって言うの?」
「初めてだったのは驚いたけど。でもさ、俺しか知らないんだって思うと、今でも興奮してくるよ」
「やめて」

 恥ずかしくなってうつむくと、握った手に顔を寄せてくる。

「佳澄さんに触れてたい。どこでもいいから、触ってたい」

 そう言って、強ばる手の甲に唇をつける。いつだって彼は積極的だ。

「蓮くんっ」
「いいでしょ? ここに来たってことは、佳澄さんもそのつもりなんだよね」

 また抱けるって思ってるんだろう。

「あ、三浦さんとのお見合いは、まだ正式にお断りしてなくて。そういうの、きちんと……」
「いいよ、そんなの。三浦さんだってわかってる。俺、12月いっぱいでサク美やめるから、気まずくもないよ」
「やめる? 3月までいないの?」

 もしかしたら、とは思ってたけど、その事実を突きつけられると動揺してしまう。

「兄さんのクリニックで働くから、最初から12月までの契約だった。企画が押すようなら、3月までって。押すどころか、きっちり納期守って、第三企画は有能だね」
「有能じゃなきゃ、もっと蓮くんと一緒にいられたみたいな言い方するんだね」

 年内に企画書が完成しなかったら、蓮は3月までいてくれたのだろう。

「ずっと一緒にいるよ。会社やめたって、一緒にいる」
「ほんとう?」

 蓮は嘘なんてつかないのに、そう尋ねてしまうのは、私に自信がないからだ。

 世の中にはいろんな恋があって、どんなに好きでもすれ違ってしまうこともあれば、想像以上の愛情をくれる人に出会えることもある。

 蓮はきっと、私が思うより、私を好きでいてくれる。それを私が素直に受け入れてないだけ。

「本当だよ」

 彼は優しく言う。

「今日、ジウを選んだのは、好きな人と初めて行った場所からやり直したいって思ったからなんだ。俺はいろいろ間違えて、佳澄さんが別の男と付き合うんじゃないかって、気をもんでばかりいた」

 私たちの関係はジウから始まったと、彼は言う。あの日から、私たちはすれ違ったり、交わったりしてた。

「そんなことない。蓮くんはずっと私に正直な気持ちを伝えてくれてた。私が、気づかなかっただけ」
「俺がハッキリ言えなかったから」
「でも、もう言ってくれた」

 私を好きだって、伝えてくれた。

「佳澄さんも教えてよ、正直な気持ち」

 ほんの少し、彼は不安そうだった。

「私は……」

 じっと見つめ合う。

 蓮の綺麗な顔立ちと穏やかな息遣いが、私を落ち着かせたり、真逆の感情を与えたりもする。

 でも、私が望むのは、ずっと同じなのだと思う。

「蓮くんの、特別な人になりたい」
「なってるよ、もう」

 彼はゆるりと私の髪をなでて、ささやく。

「恋人になってくれる?」
「なりたい」
「俺も」

 照れくさそうな蓮の顔を下からのぞき込む。

 手を握りあって、見つめ合う。手を伸ばせば届く彼に触れたくてたまらない。

 私を抱いた彼の行為や、唇に残る感触が思い出されて、もう一度刺激を求めてる。

 きっと彼も同じこと、考えてる。

「キスしていい?」
「私も……はやくキスしたい、蓮くんと」

 蓮に触れたい。触れられたい。
 気持ちが通じた今は、それ以外を望むものなんてない。

 蓮の顔が近づく。そっと重なりあった唇は、すぐに貪欲になった。

 つい立てに隠れていけないことしてるみたい。背徳感と快感で気分が高揚してる。小さく漏れる吐息が恥ずかしい。だけど、彼から離れられない。離れたくない。

 ますます深まるキスに身を投じようとしたとき、近づく足音に気づいて、お互いにハッと離れた。

 まだ食べきれてない前菜の横にスープが置かれる。

「ごゆっくり、どうぞ」

 笑顔の店員の決まり文句すら意味深に聞こえて、私たちは顔を見合わせて笑う。

「はやく食べて出ようか」
「そうだね」
「俺んちに来る?」
「あ……、うん」

 戸惑って、うつむく。

 勢いで抱かれていた頃と違って、明確にお互いの気持ちを確かめたあとは恥ずかしさが先に立つ。

「照れてる佳澄さんはかわいいよね。焦らされた時もよかったけど、素直なのもかわいいよ」
「……焦らしたっけ?」
「焦らしたよ」
「緊張してただけだと思う」

 記憶はまったくないけれど、きっと緊張してて、せいいっぱい男慣れした女性を演じたのだと思う。

「まあ、そうだよね。そんなテクニック持ってないしね」
「て、テク……」
「恋が苦手なのはよくわかったからさ、ひとつだけ、お願いしていい?」
「お願い?」

 首をかしげたら、蓮は楽しそうに目を細めた。

「好きって言ってよ」
「え……」
「はやく」
「あ……、好き」
「聞こえない」
「好きだよ、蓮くん」
「俺も好き」

 ほんのりほおを染める彼をぽかんと見つめる。

 何、これ。かわいい学生の恋みたい。
 私には青春と呼べるものなんて何もなかったのに、蓮はたくさんの恋をくれるみたい。

 私の人生ぜんぶ、取り返してくれる恋があるなら、それが今なのだと思う。

「蓮くん、一緒に幸せになろうね」
「そうだね。佳澄さんとなら自信あるよ」
「私だって」

 蓮に負けないぐらい自信たっぷりに言うと、彼はふんわりと優しい笑みを浮かべた。








【完】
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