月夢亭へようこそ

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ろまん亭の人々

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 陽仁さんの運転する車で、たきざわ夕市美術館へとやってきた。

 つづみさんは昼寝するからと、オムライスを食べ終わるとすぐに帰っていた。自由気ままな生活をしてるらしい。趣味で書道しながら、弦さんとたわむれて、陽仁さんの作る料理にご満悦な毎日をすごしてるなんて、すごく変わった人なのは間違いないだろう。

 だから今は、陽仁さんとふたりきりで美術館に来ている。

 森の中に建てられた美術館は、レンガ造りの洋館のようで、絵本の中へ迷い込んだみたいなかわいらしい建物だった。今は庭にコスモスが咲いている。四季折々に咲き変わる庭の花たちは、いつも来場者を優しく迎えてくれるのだろう。

 長いアーチを進む陽仁さんについていく。美術館の隣に彼の暮らす実家があるという。勝手知ったる庭なのだろう。確かな足取りで入り口へ向かう。

「ここへ来るのははじめてなんだっけ」

 彼は尋ねるでもなく、そうつぶやいた。

 ここへ来たのは、はじめて?
 彼はろまん亭を訪れた私にそう尋ねたんだった。

 私はその問いに答えていなかった。それを思い出したけど、やっぱり黙っていた。

「ろまん亭があった場所、今は地元の学生たちが制作した展示物を置いてるんだ」

 入り口を入って右手の奥に、売店があった。その隣のスペースに、統一感のない展示物が並んでいる。

 狭いスペースだけど、小休憩するにはじゅうぶんな広さがある。今は喫茶店の代わりに、自動販売機とソファーが置かれているだけのようだった。

「近くに、工芸高校がありますよね」

 地元の学生たち、と聞いて、私はそれを思い出していた。

「よく知ってるね。高校生の卒業制作の作品とか置いてあるよ」

 ガラス張りの棚には、県立工芸高校のプレートのついた作品が多く並んでいた。

「ろまん亭はいつ移転したんですか?」

 棚のはしっこに、ひっそりと置かれている花瓶の前へ移動した私は、そう尋ねた。プレートには、『太陽の受け皿 レプリカ』と書かれている。

 それはまるで、さんさんと降り注ぐ太陽の光を両手を広げて受け止めているかのような、花びらを広げたあさがおみたいな形をした花瓶だった。

「確か、移転してすぐに弦さんが来て、つづみさんが引っ越してきたから……8年ぐらい前だったかな」

 花瓶から、陽仁さんへ目を移す。

「8年。そうなんですね。それからですか? ろまん亭が夢に敗れた人が集まるようになったのは」
「つづみさんがそう言ってた?」

 そう尋ねた彼は、レプリカの花瓶へと目を落とすと、私の返事を待たずに「そうかもしれないね」と肯定した。

「この作品、レプリカなんですね」

 瑞々みずみずしい青色の花瓶は、陶器でできている。よくよく見ると、荒削りなところもあって、本物とは似て非なるものなのだと思う。

「そうだね。人間国宝の作品がこんなところにあるわけないよ」
真乃屋和雄まのやかずおの作品ですよね」
「知ってるの?」

 意外そうに彼は言う。

「実は私、ここへ来たのは3回目なんです」

 ようやく話す気になって、口を開いた。レプリカの花瓶を見たら、誰でもいいから話を聞いてもらいたくなったのかもしれない。

「3回も来てくれてたんだ」

 純粋な笑顔を見せる陽仁さんを見ていると、彼だから話したくなったのかもしれないって思う。だからか、すんなりと言葉が出た。

「はじめて来たのは中学生のときです」
「……ずいぶん前だね」
「母が亡くなって、祖父母と一緒にここへ。当時は旅行だと思ってたんですけど、祖父母はろまん亭へ父に会いに来てたんですね。私はずっと祖父母が戻るまで受付の前にいて……、そう、あの時はこのレプリカ、受付の横に飾ってありましたよね」
「そうだったかな」

 よく覚えてないと、陽仁さんは言う。
 でも、私の記憶は鮮明だった。間違いない。レプリカは、受付横のガラスケースに入っていた。あの時はまだ、レプリカのプレートなんてついてなくて、高校生がすごい作品を作ったんだと思っていた。

「永朔さんには会わなかったの?」
「はい。祖父母は父に私を引き取ってくれないか頼みに来たんだろうけど、ダメだったみたいで、そのまま美術館を回って帰りました」
「中学生っていうと、12年ぐらい前?」
「そのぐらいだと思います」
「そっか。たぶん、あの頃は永朔さんも余裕がなかったのかもしれないね。美術館の改修工事計画があったのもその頃で、ろまん亭は閉鎖しようって話が出てたんだ」

 はじめて聞く話に驚くと、彼はゆっくりうなずいた。仕方なかったんだよってなぐさめてくれたみたいだった。

 そんな同情必要ないのにって思いながら、私はふたたび、レプリカへ目を戻した。

「2回目は、父が亡くなったと聞かされた後です。半年ぐらい前になるのかな。ろまん亭を訪ねてみようって思ったんですけど、なんとなく気が進まなくて美術館に来ちゃいました」
「美術館を気に入ってくれたなら、それはそれでうれしいけど」
「私、このレプリカも見てみたかったんです」

 レプリカだなんて知らずに来たけれど。半年前、ここへ来てはじめて、『太陽の受け皿 レプリカ』と書かれたプレートを見て、花瓶が真乃屋和雄の作品のレプリカだと知った。

「この作品、好きなの?」

 そう聞かれると、どう答えたらいいのだろうと返事に困る。

「なんとなく、見てみたくなったんです。それだけです」
「そうなんだ。なんとなく」

 陽仁さんはおかしそうに笑って、私の顔をひょいっとのぞき込む。

「じゃあ、今日が3回目だね。4回目はある?」
「え? 4回目?」
「そう。4回目。また望ちゃんに会えたらうれしいなって思って」

 そう言ってほほえんだ彼の笑顔は、太陽みたいにまぶしかった。
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