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ろまん亭の人々
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ろまん亭を出て横道を進むと小さな家が現れた。木製の表札に、野垣と書かれている。
父の暮らしていた家だろう。ひとり暮らしするにはじゅうぶんな広さの平屋だった。雨戸は閉じられ、ひっそりとしている。
わき目もふらず、砂利道をさらに進むつづみさんについていくと、家の裏手に出た。そこには、家と同じぐらいの広さの庭が広がっている。
隣家との境にある柵のそばに、ぽつんと犬小屋が置かれている。弦さんの家だろう。
つづみさんは弦さんの首輪からリードをはずし、柵に取り付けてあるリードにつけかえた。そのリードの方が長いみたい。
弦さんは水を勢いよく飲んだ後、私の方へ駆けてきて、スカートに手を乗せてつま先立ちした。なでてほしいって言ってるみたい。
「ほんとに人懐こいですね。かわいい」
頭をなでなですると、弦さんは目を細めてうれしそうにする。すごくかわいい。
「弦さんは女好きだからな。女なら誰でも……あ」
何か思い出したように、つづみさんは声をあげる。なつかない女性とかいるのだろうか。
「なんですか?」
「いや、なんでもない。弦さんも好みはあるよな」
「じゃあ、私は大丈夫ってことですね」
「望ちゃんは永朔さんに似た雰囲気持ってるよ」
「やっぱりそうなんですね」
父がどんな人か知らない。それでも、母にはずっと似てないって思ってた。
「やっぱり?」
「母はすごく美人で、全然似てないから」
「望ちゃんはきれいだよ」
さらっと私を褒めるから、どうリアクションしていいのかわからず無言でいると、つづみさんは「じゃあな、弦さん」って声をかけ、私に背を向ける。
「うち、こっちだよ」
そう言いながら、彼は隣家の境目にある鉄製の柵へ向かう。そして、壊れた柵の間を通って隣の家へ入っていく。
「こ、ここからっ?」
「玄関まで回るの面倒だろ? 仕事場、すぐそこだし」
彼が指差す先に、縁側が見える。和室があるみたい。
どんどん進んでいくつづみさんの背中が見えなくなるから、あわてて追いかける。家の中へ入っていく彼の姿を探すように、長い縁側から部屋をのぞいて、「あっ」と声を上げた。
広い和室に、大きな白い紙が広げられ、その横にはすずりと筆があった。そして、壁には書道の掛け軸がかかっている。
「お仕事って、書道教室ですか?」
でも、こんななんにもないような場所で? 近所に子どもたちがたくさん住んでるようにも思えないけれど。
尋ねておきながら、商売になるんだろうかなんて考えていると、つづみさんはクスッと笑った。
「教えてはないけどな」
書道教室をやってるのに、教えてない?
どういう意味だろう。
「これ、俺が書いた」
掛け軸のひとつをはずした彼は、縁側にそれを広げて見せてくる。
「好きに生きろ……?」
力強い文字で、そう書いてある。
「永朔さんがよくそう言ってたよ」
「好きに生きろって、父が?」
父は好きに生きてきた? だから、後悔なんて全然なくて、幸せに生きてきたんだろうか。
ちょっと複雑だった。父が幸せだったならそれでいいような気もするし、不幸だったなら私に会いに来てくれたりもしたのかなって思った。
「それにしても、つづみさんの文字、すごく上手」
「昔からよく言われてる」
「書道の才能があるんですね。すごいです」
手放しで褒めると、彼は縁側に腰を下ろし、ふと正面へ目を向けた。視線の先には、植木があり、さらにその先に父の家がある。彼はまるで父の家を見つめてるみたいな、遠い目をした。
「ここはさ、夢に敗れたやつがくる場所なんだよ」
「え、夢に敗れた……?」
「なんてな」
かたい表情を崩して、彼は掛け軸に目を落とす。
好きに生きろ。
夢に敗れてここを訪れたつづみさんは、父の言葉に励まされ、趣味で書道を続けてるんだろうか。だから、書道は教えてないって言ったのか。
「だ、大丈夫ですよ!」
「は?」
けげんそうにする彼に言う。
「大丈夫です! 私がこんなこと言っても、全然説得力ないですけど、つづみさんの書はすごくお上手です。自信もってくださいっ」
「……あ、ああ」
圧倒されたみたいに目を丸くする彼だけど、すぐに柔らかくほほえんで、私の頭をぽんぽんと叩く。
「望ちゃんってすごくいい子だなぁ。うん、いい子だ。……あ」
つづみさんの視線が後ろに動く。その視線を追うように、彼の手を頭に乗せたまま振り返ると、陽仁さんが庭先に姿を見せたところだった。
「ふたりとも、オムライスできたよ」
あっ、と私はつづみさんの手を離させて、陽仁さんに駆け寄る。
「できたって、私のも?」
「もうお昼だし、お腹すいてないかなと思って」
「ほんとに? ありがとう。お昼ごはんどうするか、全然考えてなかったから」
無鉄砲に出てきてしまったから、行き当たりばったりになるだろうって覚悟はしてたけど、渡りに船とはこのことだ。
「じゃあ、このあと予定ない? よかったら、一緒に美術館に行かない?」
「たきざわ夕市美術館に?」
「いろいろ案内できるよ」
唐突なお誘いに面食らいながらも、ほかに行く宛もない私はすぐにうなずいていた。
父の暮らしていた家だろう。ひとり暮らしするにはじゅうぶんな広さの平屋だった。雨戸は閉じられ、ひっそりとしている。
わき目もふらず、砂利道をさらに進むつづみさんについていくと、家の裏手に出た。そこには、家と同じぐらいの広さの庭が広がっている。
隣家との境にある柵のそばに、ぽつんと犬小屋が置かれている。弦さんの家だろう。
つづみさんは弦さんの首輪からリードをはずし、柵に取り付けてあるリードにつけかえた。そのリードの方が長いみたい。
弦さんは水を勢いよく飲んだ後、私の方へ駆けてきて、スカートに手を乗せてつま先立ちした。なでてほしいって言ってるみたい。
「ほんとに人懐こいですね。かわいい」
頭をなでなですると、弦さんは目を細めてうれしそうにする。すごくかわいい。
「弦さんは女好きだからな。女なら誰でも……あ」
何か思い出したように、つづみさんは声をあげる。なつかない女性とかいるのだろうか。
「なんですか?」
「いや、なんでもない。弦さんも好みはあるよな」
「じゃあ、私は大丈夫ってことですね」
「望ちゃんは永朔さんに似た雰囲気持ってるよ」
「やっぱりそうなんですね」
父がどんな人か知らない。それでも、母にはずっと似てないって思ってた。
「やっぱり?」
「母はすごく美人で、全然似てないから」
「望ちゃんはきれいだよ」
さらっと私を褒めるから、どうリアクションしていいのかわからず無言でいると、つづみさんは「じゃあな、弦さん」って声をかけ、私に背を向ける。
「うち、こっちだよ」
そう言いながら、彼は隣家の境目にある鉄製の柵へ向かう。そして、壊れた柵の間を通って隣の家へ入っていく。
「こ、ここからっ?」
「玄関まで回るの面倒だろ? 仕事場、すぐそこだし」
彼が指差す先に、縁側が見える。和室があるみたい。
どんどん進んでいくつづみさんの背中が見えなくなるから、あわてて追いかける。家の中へ入っていく彼の姿を探すように、長い縁側から部屋をのぞいて、「あっ」と声を上げた。
広い和室に、大きな白い紙が広げられ、その横にはすずりと筆があった。そして、壁には書道の掛け軸がかかっている。
「お仕事って、書道教室ですか?」
でも、こんななんにもないような場所で? 近所に子どもたちがたくさん住んでるようにも思えないけれど。
尋ねておきながら、商売になるんだろうかなんて考えていると、つづみさんはクスッと笑った。
「教えてはないけどな」
書道教室をやってるのに、教えてない?
どういう意味だろう。
「これ、俺が書いた」
掛け軸のひとつをはずした彼は、縁側にそれを広げて見せてくる。
「好きに生きろ……?」
力強い文字で、そう書いてある。
「永朔さんがよくそう言ってたよ」
「好きに生きろって、父が?」
父は好きに生きてきた? だから、後悔なんて全然なくて、幸せに生きてきたんだろうか。
ちょっと複雑だった。父が幸せだったならそれでいいような気もするし、不幸だったなら私に会いに来てくれたりもしたのかなって思った。
「それにしても、つづみさんの文字、すごく上手」
「昔からよく言われてる」
「書道の才能があるんですね。すごいです」
手放しで褒めると、彼は縁側に腰を下ろし、ふと正面へ目を向けた。視線の先には、植木があり、さらにその先に父の家がある。彼はまるで父の家を見つめてるみたいな、遠い目をした。
「ここはさ、夢に敗れたやつがくる場所なんだよ」
「え、夢に敗れた……?」
「なんてな」
かたい表情を崩して、彼は掛け軸に目を落とす。
好きに生きろ。
夢に敗れてここを訪れたつづみさんは、父の言葉に励まされ、趣味で書道を続けてるんだろうか。だから、書道は教えてないって言ったのか。
「だ、大丈夫ですよ!」
「は?」
けげんそうにする彼に言う。
「大丈夫です! 私がこんなこと言っても、全然説得力ないですけど、つづみさんの書はすごくお上手です。自信もってくださいっ」
「……あ、ああ」
圧倒されたみたいに目を丸くする彼だけど、すぐに柔らかくほほえんで、私の頭をぽんぽんと叩く。
「望ちゃんってすごくいい子だなぁ。うん、いい子だ。……あ」
つづみさんの視線が後ろに動く。その視線を追うように、彼の手を頭に乗せたまま振り返ると、陽仁さんが庭先に姿を見せたところだった。
「ふたりとも、オムライスできたよ」
あっ、と私はつづみさんの手を離させて、陽仁さんに駆け寄る。
「できたって、私のも?」
「もうお昼だし、お腹すいてないかなと思って」
「ほんとに? ありがとう。お昼ごはんどうするか、全然考えてなかったから」
無鉄砲に出てきてしまったから、行き当たりばったりになるだろうって覚悟はしてたけど、渡りに船とはこのことだ。
「じゃあ、このあと予定ない? よかったら、一緒に美術館に行かない?」
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