プラトニックな事実婚から始めませんか?

水城ひさぎ

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接近

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 バスルームに入ると、洗濯機の上にベージュのコートが置かれているのに気づいた。昨夜、誠也さんと飲みに行ってくると出かけた啓介が着ていたものだ。

 酔って帰って、片付けも忘れて、すぐにお風呂に入って寝てしまったのだろう。

「やだっ、何この汚れ」

 ハンガーにかけようとコートを持ち上げて、大きなシミに驚く。

 薄茶色に広がるシミは、コーヒーに見える。バーへ飲みに行くと言っていたけれど、コーヒーも出してもらえるようなバーだったのだろうか。

「クリーニングに出さなきゃ」

 コートを片手にリビングへ戻り、キャビネットから紙袋を取り出す。

 何か入っているといけないからと、ポケットを探った私は、指先に触れた柔らかい布を引っ張り出して、思わず息を飲んだ。

 その布はハンカチだった。花柄がかわいらしい、ピンクのハンカチ。どう見ても、啓介のものではない。広げてみると、茶色のシミがついている。コーヒーを拭いたのだろうか。

「女の人とバーに行ったのかな……」

 ぽつりとつぶやく。誠也さんと行くって言っていたのに。

 芹奈に聞いてみれば、何かわかるだろうか。早速、テーブルの上のスマホを手に取り、「明日、仕事休み。会える?」と、文字を打ち込み、送信する。

「何やってるんだろ」

 送ってから、すぐに後悔する。

 啓介は将司とは違う。ちゃんと聞けばいい。将司みたいにはぐらかさない人だって信じてるんだから。

『明日ね! いいよ。パン教室行く日だから、一緒に行こっ』

 すぐに芹奈から返信がある。そのとき、寝室の扉が開いて、寝ぼけ眼の啓介が出てくる。彼はボーッとしながらキッチンへ入ると、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを口に含む。

「おはよう。今日は早起きだね」

 そう言うと、彼は目をこする。

「のどが渇いてさ。もうちょっと寝るよ」

 半分ほど減ったペットボトルを持って寝室に戻ろうとする啓介の背中に、私はさりげなく声をかける。

「コートのポケットにハンカチ入ってたよ」

 啓介は首をかしげながら振り返ると、テーブルに広げられたコートに視線を移す。

「左のポケットに入ってた。啓介のじゃないよね?」

 ピンクのハンカチを差し出すと、彼は眉をひそめる。そうして、いくらか目覚めてきたのか、近くまでやってくると私からハンカチを取り上げる。

「いつの間に……」

 ぽつりと、彼はつぶやく。

「女の人と会ってたの? それならそうと言ってくれたらいいのに。女の人に会うからって嫌がったりしないから」

 それよりも、嘘をつかれる方が嫌だ。やましいと認めているようなものだし、こうやって事実関係を追求するのはもう疲れた。

 啓介はしばらくハンカチを見つめて黙っていたが、こちらに目を向けると頼りなげな顔をする。

「そんな泣きそうな顔するなよ。誠也さんと飲みに行くって言っただろ? これは、帰りに知らない人とぶつかってさ、コーヒーぶちまけられたから拭くのに借りたやつ」
「借りたって……。知らない人にどうやって返すの?」
「だよなぁ。困ったよ」

 啓介は後ろ頭に手をあてると、はねた髪をくしゃくしゃとかき乱す。

「どこでぶつかったの?」
「マンションの前だよ。コンビニ帰りみたいだったから、近くの人かもな」
「どんな人?」
「白いマフラーした……なんか、派手な感じの人だったよ。たぶん、年下かな」
「若い女の子なんだね」
「若いって言っても、学生じゃなさそうだったけど。まあ、とりあえずさ、俺が持っておくよ」

 そう言って、啓介がパジャマについた小さな胸ポケットにハンカチをねじ込もうとするから、私は手のひらを出す。

「洗濯して、アイロンかけておくね」

 啓介の妻でもないのに、私の方が立場は上なんだって、張り合うように言ってしまう。きっと嫉妬してるんだ。見ず知らずの女に。

「……悪いな。祥子、ほんとにさ、昨日は誠也さんと飲みに行っただけだから」
「わかってる。気にしてないよ」

 そんなの嘘。すごく気になってる。言い訳なんていくらでもできるんだから、疑心暗鬼になるぐらいなら、何も聞かなきゃよかった。

 啓介からハンカチを受け取り、すぐさまバスルームへ向かうと、彼の小さなため息が聞こえた。
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