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償い
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「啓介、出かけるの?」
お風呂に入ろうとリビングを出たとき、仕事部屋から出てきた啓介がバッグを持っているのに気づいて、そう尋ねた。
「ああ、誠也さんと飲んでくるよ」
「またコモンに行くの?」
「誠也さんとはコモンって決めてるからさ。日付が変わる前には帰るよ」
綾に会うと言ってモルドーへ出かけた日から、彼女には会ってないらしい。今日も誠也さんと飲みに行くだけだろう。
だけれど、落ち着かない。それは、啓介を疑ってるとかじゃなくて、私のために綾を調べる彼に、どんなことでもいいから、私にも何か彼のために出来ることがないだろうかと思うからだ。
玄関へ向かおうとする啓介の背中を見ていると、呼び止めなきゃいけない気がして、とっさに声をかける。
「待って。この前、言ってた話は本当? 綾が婚約破棄されたっていう、あの理由……」
「ああ、間違いないよ。それを今、誠也さんと調べてるんだけどさぁ。おいおい話すよ」
「うん。何かわかったら教えて。私も手伝えることがあればやるから」
「そうだな……。あー、そうだ。明日は芹奈とパン教室行くんだろ? 楽しんでこいよ」
少し考え込む様子を見せた啓介だが、不安げな私に気づいたのか、にかっと笑うと、マンションを出ていった。
翌朝ははやく目が覚めた。私の肩に寄り添うようにして鼻をうずめる啓介の寝息が心地よくて、そっと身体を寄せると、無意識の彼が抱きしめてくれる。
ほんのり、お酒の匂いがする。約束通り、日付が変わる前に帰宅した彼は、起きて待っていた私に頼みがあると相談してきた。
私にも啓介のためにできることがあるんだと思ったらうれしくて、任せて、と答えた。
髪をなでても起きない啓介の腕から抜け出して、ベッドを降りる。私を探すみたいにシーツをさぐる彼におかしくなりながら、スマホに届いていた芹奈からのメールを確認し、エプロンの入ったバッグを持って玄関を出た。
「芹奈、おはよう。昨日は遅くにメールしてごめんね」
一見駅で芹奈と合流し、パン教室へと歩いて向かう。
「ううん、全然いいよ。私は大丈夫だからね」
「ありがとう」
「あとさ、啓介、あの手紙出してきた不倫相手のこと、まだ調べてるんだよね?」
「誠也さんもすごく協力してくれてるみたい。啓介ともよく飲みに行ってるよね。のんちゃん預けてばっかりで、申し訳なく思ってるみたい」
「それはいいんだよ。でもね、お母さんの様子がちょっと変なんだー」
芹奈は苦笑いするみたいな息を吐く。
「変って?」
「少し前にね、誠也さんがお母さんに折り入って話があるって呼び出しててね。あれから、お母さん、私に何か言いたそうでさー。のんちゃんと私の関係性っていうの? ちょっと気になってるのかなって……」
「のんちゃんとうまくいってないの?」
「ううん、全然。むしろ、のんちゃんがね、私のこと、ママって呼んだりするから、それを誠也さんが困ってて、お母さんに相談したのかなって思ったりね」
「それは……、複雑だよね」
芹奈は誠也さんに気持ちがあると言っても、のんちゃんの母親である優佳の立場まで奪いたいとは思ってないだろう。
「だよね。誠也さんにも相談してみたんだけど、最近、私がよく預かってるから、のんちゃんもママみたいに思ってるのかもって。お姉ちゃんのことは、『お母さん』って呼ばせてるから、私との区別はついてるから大丈夫だよって言ってた」
「そっかぁ。誠也さんが嫌がってないなら、様子見でいいのかもね。あっ、でもさ、結婚したい人がいるとかって話はどうなってるの?」
誠也さんは再婚を考えてるんじゃなかったのか。
「それがね、全然。最近は何も言わなくなったから、ダメになったのかも。喜んだりしたらいけないよね。なんか、自己嫌悪してる」
「そんなこと言わないでよ、元気出して。子どもがいたら再婚は簡単じゃないと思うし、のんちゃんにとって一番いい形でいるのがいいと思う」
「祥子……、ありがとう。そうだよね。のんちゃんを一番に考えなきゃ」
頼りなげな表情だった彼女も、力強くうなずく。
「今日はどんなパン作るのかなぁ。楽しみだね」
話題を変えると、芹奈が何やら思い出したようだ。
「そうそう、私ね、自宅で近所の人を招いてパン教室やることにしたの。美里先生も応援してくれるって」
「本当?」
「まだまだ趣味みたいなものだけどね、ちょっとずつお仕事になっていけばいいかなって」
そう言うと、芹奈はそっとほほえむ。ようやく生きる希望や居場所を見つけたような、穏やかな笑顔。彼女は誠也さんとの再婚は望んでいないかもしれない。けれど、今以上にお互いを支え合う存在になれたらいいのにと、願わずにはいられなかった。
「啓介、出かけるの?」
お風呂に入ろうとリビングを出たとき、仕事部屋から出てきた啓介がバッグを持っているのに気づいて、そう尋ねた。
「ああ、誠也さんと飲んでくるよ」
「またコモンに行くの?」
「誠也さんとはコモンって決めてるからさ。日付が変わる前には帰るよ」
綾に会うと言ってモルドーへ出かけた日から、彼女には会ってないらしい。今日も誠也さんと飲みに行くだけだろう。
だけれど、落ち着かない。それは、啓介を疑ってるとかじゃなくて、私のために綾を調べる彼に、どんなことでもいいから、私にも何か彼のために出来ることがないだろうかと思うからだ。
玄関へ向かおうとする啓介の背中を見ていると、呼び止めなきゃいけない気がして、とっさに声をかける。
「待って。この前、言ってた話は本当? 綾が婚約破棄されたっていう、あの理由……」
「ああ、間違いないよ。それを今、誠也さんと調べてるんだけどさぁ。おいおい話すよ」
「うん。何かわかったら教えて。私も手伝えることがあればやるから」
「そうだな……。あー、そうだ。明日は芹奈とパン教室行くんだろ? 楽しんでこいよ」
少し考え込む様子を見せた啓介だが、不安げな私に気づいたのか、にかっと笑うと、マンションを出ていった。
翌朝ははやく目が覚めた。私の肩に寄り添うようにして鼻をうずめる啓介の寝息が心地よくて、そっと身体を寄せると、無意識の彼が抱きしめてくれる。
ほんのり、お酒の匂いがする。約束通り、日付が変わる前に帰宅した彼は、起きて待っていた私に頼みがあると相談してきた。
私にも啓介のためにできることがあるんだと思ったらうれしくて、任せて、と答えた。
髪をなでても起きない啓介の腕から抜け出して、ベッドを降りる。私を探すみたいにシーツをさぐる彼におかしくなりながら、スマホに届いていた芹奈からのメールを確認し、エプロンの入ったバッグを持って玄関を出た。
「芹奈、おはよう。昨日は遅くにメールしてごめんね」
一見駅で芹奈と合流し、パン教室へと歩いて向かう。
「ううん、全然いいよ。私は大丈夫だからね」
「ありがとう」
「あとさ、啓介、あの手紙出してきた不倫相手のこと、まだ調べてるんだよね?」
「誠也さんもすごく協力してくれてるみたい。啓介ともよく飲みに行ってるよね。のんちゃん預けてばっかりで、申し訳なく思ってるみたい」
「それはいいんだよ。でもね、お母さんの様子がちょっと変なんだー」
芹奈は苦笑いするみたいな息を吐く。
「変って?」
「少し前にね、誠也さんがお母さんに折り入って話があるって呼び出しててね。あれから、お母さん、私に何か言いたそうでさー。のんちゃんと私の関係性っていうの? ちょっと気になってるのかなって……」
「のんちゃんとうまくいってないの?」
「ううん、全然。むしろ、のんちゃんがね、私のこと、ママって呼んだりするから、それを誠也さんが困ってて、お母さんに相談したのかなって思ったりね」
「それは……、複雑だよね」
芹奈は誠也さんに気持ちがあると言っても、のんちゃんの母親である優佳の立場まで奪いたいとは思ってないだろう。
「だよね。誠也さんにも相談してみたんだけど、最近、私がよく預かってるから、のんちゃんもママみたいに思ってるのかもって。お姉ちゃんのことは、『お母さん』って呼ばせてるから、私との区別はついてるから大丈夫だよって言ってた」
「そっかぁ。誠也さんが嫌がってないなら、様子見でいいのかもね。あっ、でもさ、結婚したい人がいるとかって話はどうなってるの?」
誠也さんは再婚を考えてるんじゃなかったのか。
「それがね、全然。最近は何も言わなくなったから、ダメになったのかも。喜んだりしたらいけないよね。なんか、自己嫌悪してる」
「そんなこと言わないでよ、元気出して。子どもがいたら再婚は簡単じゃないと思うし、のんちゃんにとって一番いい形でいるのがいいと思う」
「祥子……、ありがとう。そうだよね。のんちゃんを一番に考えなきゃ」
頼りなげな表情だった彼女も、力強くうなずく。
「今日はどんなパン作るのかなぁ。楽しみだね」
話題を変えると、芹奈が何やら思い出したようだ。
「そうそう、私ね、自宅で近所の人を招いてパン教室やることにしたの。美里先生も応援してくれるって」
「本当?」
「まだまだ趣味みたいなものだけどね、ちょっとずつお仕事になっていけばいいかなって」
そう言うと、芹奈はそっとほほえむ。ようやく生きる希望や居場所を見つけたような、穏やかな笑顔。彼女は誠也さんとの再婚は望んでいないかもしれない。けれど、今以上にお互いを支え合う存在になれたらいいのにと、願わずにはいられなかった。
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