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償い
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「今日はメロンパン作ろうと思うわ。祥子さんはお菓子作りが得意だって言ってたし、クッキー生地の作り方は教えなくてもいいかしらと思って、もう作ってあるの。その代わりって言ったらなんだけど、バターロールも作らない?」
長い髪を束ね、エプロンをつけながら美里さんがそう提案すると、芹奈がうれしげに手を合わせる。
「わあ、いいですね。先生のバターロールって、バターの香りが濃厚なんですよね。私、紅茶を持ってきたので、あとでパンと一緒に頂きませんか?」
「紅茶って、いつかのオリジナルブレンド? 芹奈ちゃんの選ぶ紅茶は本当においしいから好き」
美里さんが喜ぶと、まんざらでもなさそうな笑顔で、芹奈がこちらを見る。
「祥子も飲んでみて。デパートにオリジナルブレンド作ってもらえる紅茶専門店があって、よく買いに行くの」
「うん、飲みたい。作る前から、食べるの楽しみになってきちゃった」
パン教室へ来るのは、今日で3回目。
親しみやすい美里さんとは、もうずっと前からの知り合いのような関係性を築けている。初対面のときからプライベートな話はしていたし、私の方から聞きにくい質問をしても気分を害さないでくれるだろうと思うぐらいには仲良くなれてると思ってる。
パン作りは計量から始まり、難しい工程は美里さんが私につきっきりで教えてくれ、時間内に出来上がるように芹奈がフォローしてくれる。
今日は美里さんに大事な話がある。どうやって切り出そう。そればかり考えていたら、手元が止まっていたようだ。オーブンの温度を確認する美里さんが、私を見て首をかしげる。
「何かわからないことあった?」
手元をのぞいてこようとする彼女に、私は勇気を出して言う。
「美里さん、前にバツイチだって言ってましたよね」
「なーに、またその話? 祥子さんも同じだって言ってたわよね」
多少は不快な顔をされるかと覚悟していたが、意外にも笑顔を絶やさずに話に乗ってくれる。
「同じ境遇の友人とかいなくて、いきなり、こんな話してごめんなさい。美里さんもやっぱり、いろいろ考えたりしますか?」
芹奈がちらりとこちらを見るが、美里さんに何を聞いても黙って見守っていてほしいと、昨夜のメールでお願いした通り、彼女は黙々と成形したパン生地にクッキー生地を乗せていく。
「全然いいのよ。祥子さんは離婚したこと、後悔してたりするの?」
「たまに、思い出すんです。離婚してなかったら、どんな人生だったのかなって」
「そうねぇ。私も考えないこともないわね」
「ですよね。離婚したから、芹奈とこうやってパン教室に来て、美里さんにもお会いできたんだなって思ったりはするんですけど、離婚自体が良かったことだとは思ってなくて」
今は啓介がいてくれるから、離婚してよかったんだって思えてるけど、できることなら離婚なんて経験はしたくなかったとは思う。
「祥子さんはどうして離婚されたの? あっ、聞いてよかった?」
「全然。実は……、不倫が原因で前の夫とは別れたんです。まさか、結婚するときは不倫されるなんて思ってもなかったです」
美里さんは表情を曇らせ、痛ましそうに私を見つめる。
「そうだったの……。それはそうよね。誰だってそうよ。私だって、夫が不倫したって知ったときは、何も考えられないぐらい頭の中が真っ白になったわ。夫が? って信じられない気持ちと、どうして? ってわけがわからなくて」
「美里さんも?」
「そう。私の夫も不倫してた。ショックよね」
「前のご主人のこと、愛してたんですね」
「そうね。すごく好きだった。私の方が好きすぎたのかな」
遠い目をする彼女を少しだけ羨ましいと思ってしまう。
「私はそうでもなかったのかもしれないです。私の気持ちがないように思えて、不倫されたのかもしれないって思ってます」
「どんな関係だったにしろ、不倫することに正当な理由はないわよね。私たちは堂々と生きればいいのよ。何も悪いことなんてしてない」
「今でも、愛してますか? ご主人のこと」
再婚してないのは、愛してるからじゃないのだろうか。しかし、美里さんの返事は期待したものではなかった。
「もう愛なんてないわ」
「……そうなんですね」
「でも、執着はしてる」
「執着って?」
驚いた顔をしたからか、美里さんはくすっと笑う。けれど、その目には強い光が宿っている。その光の正体が執着なんだろうか。
「許せない気持ちはずっとあるの。私たちはどこにでもいるような普通の幸せな夫婦だったから、あの女が夫に近づかなければって何度も思ったわ。今でも夢に見るぐらい、あの女が憎くて仕方ない」
「ご主人への恨みもありますか?」
「今はどうかな。当時はどうしてあんな女になんか、って腹が立ったけど、取り入るのが上手な女だったから、姑息に夫へすり寄ったんだろうなって……、あんな小娘に夢中になるなんてバカな人って思ったら、急激に夫への興味がなくなっちゃった」
「今日はメロンパン作ろうと思うわ。祥子さんはお菓子作りが得意だって言ってたし、クッキー生地の作り方は教えなくてもいいかしらと思って、もう作ってあるの。その代わりって言ったらなんだけど、バターロールも作らない?」
長い髪を束ね、エプロンをつけながら美里さんがそう提案すると、芹奈がうれしげに手を合わせる。
「わあ、いいですね。先生のバターロールって、バターの香りが濃厚なんですよね。私、紅茶を持ってきたので、あとでパンと一緒に頂きませんか?」
「紅茶って、いつかのオリジナルブレンド? 芹奈ちゃんの選ぶ紅茶は本当においしいから好き」
美里さんが喜ぶと、まんざらでもなさそうな笑顔で、芹奈がこちらを見る。
「祥子も飲んでみて。デパートにオリジナルブレンド作ってもらえる紅茶専門店があって、よく買いに行くの」
「うん、飲みたい。作る前から、食べるの楽しみになってきちゃった」
パン教室へ来るのは、今日で3回目。
親しみやすい美里さんとは、もうずっと前からの知り合いのような関係性を築けている。初対面のときからプライベートな話はしていたし、私の方から聞きにくい質問をしても気分を害さないでくれるだろうと思うぐらいには仲良くなれてると思ってる。
パン作りは計量から始まり、難しい工程は美里さんが私につきっきりで教えてくれ、時間内に出来上がるように芹奈がフォローしてくれる。
今日は美里さんに大事な話がある。どうやって切り出そう。そればかり考えていたら、手元が止まっていたようだ。オーブンの温度を確認する美里さんが、私を見て首をかしげる。
「何かわからないことあった?」
手元をのぞいてこようとする彼女に、私は勇気を出して言う。
「美里さん、前にバツイチだって言ってましたよね」
「なーに、またその話? 祥子さんも同じだって言ってたわよね」
多少は不快な顔をされるかと覚悟していたが、意外にも笑顔を絶やさずに話に乗ってくれる。
「同じ境遇の友人とかいなくて、いきなり、こんな話してごめんなさい。美里さんもやっぱり、いろいろ考えたりしますか?」
芹奈がちらりとこちらを見るが、美里さんに何を聞いても黙って見守っていてほしいと、昨夜のメールでお願いした通り、彼女は黙々と成形したパン生地にクッキー生地を乗せていく。
「全然いいのよ。祥子さんは離婚したこと、後悔してたりするの?」
「たまに、思い出すんです。離婚してなかったら、どんな人生だったのかなって」
「そうねぇ。私も考えないこともないわね」
「ですよね。離婚したから、芹奈とこうやってパン教室に来て、美里さんにもお会いできたんだなって思ったりはするんですけど、離婚自体が良かったことだとは思ってなくて」
今は啓介がいてくれるから、離婚してよかったんだって思えてるけど、できることなら離婚なんて経験はしたくなかったとは思う。
「祥子さんはどうして離婚されたの? あっ、聞いてよかった?」
「全然。実は……、不倫が原因で前の夫とは別れたんです。まさか、結婚するときは不倫されるなんて思ってもなかったです」
美里さんは表情を曇らせ、痛ましそうに私を見つめる。
「そうだったの……。それはそうよね。誰だってそうよ。私だって、夫が不倫したって知ったときは、何も考えられないぐらい頭の中が真っ白になったわ。夫が? って信じられない気持ちと、どうして? ってわけがわからなくて」
「美里さんも?」
「そう。私の夫も不倫してた。ショックよね」
「前のご主人のこと、愛してたんですね」
「そうね。すごく好きだった。私の方が好きすぎたのかな」
遠い目をする彼女を少しだけ羨ましいと思ってしまう。
「私はそうでもなかったのかもしれないです。私の気持ちがないように思えて、不倫されたのかもしれないって思ってます」
「どんな関係だったにしろ、不倫することに正当な理由はないわよね。私たちは堂々と生きればいいのよ。何も悪いことなんてしてない」
「今でも、愛してますか? ご主人のこと」
再婚してないのは、愛してるからじゃないのだろうか。しかし、美里さんの返事は期待したものではなかった。
「もう愛なんてないわ」
「……そうなんですね」
「でも、執着はしてる」
「執着って?」
驚いた顔をしたからか、美里さんはくすっと笑う。けれど、その目には強い光が宿っている。その光の正体が執着なんだろうか。
「許せない気持ちはずっとあるの。私たちはどこにでもいるような普通の幸せな夫婦だったから、あの女が夫に近づかなければって何度も思ったわ。今でも夢に見るぐらい、あの女が憎くて仕方ない」
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