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那波の生まれた場所
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「那波ー、先に行くねっ」
鏡の前に立ち、制服に着替える私の後ろから、寝室のドアを開けた芽依が声をかけてきた。
「今日はいつもよりはやいのね、芽依」
時計を確認する必要もなく私は振り返る。
起床時間から食事の時間も何もかもいつも通りだ。
寸分の狂いない朝の準備に狂いが生じたのだとしたら、芽依の方の動きがいつもと違うのだろう。
「今日から三年生いないからいろいろ大変なの。キャプテンの私がいきなり遅刻したら示しがつかないでしょ?」
「芽依なら大丈夫よ。あまり無理したらダメよ」
「最近優しいね、那波は」
芽依は目を細める。なんだか嬉しそうだ。
「木梨くんが芽依を心配するからよ」
「つまり、凪を心配してるんだね、那波は」
「そこまでのつもりはないわ」
「いいのいいの、照れなくても。那波のために樋野先輩と勝負するって言った凪、かっこ良かったと思うよ」
「照れる……って、よくわからないわ」
首を傾げるが、芽依はにこっと笑うだけだ。
凪が私の心を揺さぶることを芽依は微笑ましく思っている。彼女の笑顔からそんな気持ちが伝わってくる。
最近の私はおかしいのだ。
凪と出会ってから、様々な感情がめまぐるしく浮いては沈んで乱れる。
自分でも対処できないまま、新たな感情がわき出ているようだ。
「じゃあ行ってくるね、那波」
戸惑う私を置き去りに、芽依は軽やかに身をひるがえして部屋を出ていく。
私はまた鏡に向き直り、髪にそっと櫛を通した。
前は当たり前のように無意識にすいていたけれど、今は凪を思い、髪を愛でるように手を動かしている。
凪の前ではいつも綺麗でいたい。
ふと、そんなことを考えている自分に当惑もする。
私が凪に愛されたいのは、何かと。
答えは見つからないが、学校へは行かなくてはならない。
用意した学生カバンを手にすると、いつも通りの時間に家を出た。
通学路で私を認めると少し駆け足になって離れて歩く女生徒にももう慣れた。
一定の距離を置いて学生たちと過ごすのは私にとって日常で、当たり前のことだった。
それなのに、凪は違う。凪は自ら望んで、私に関わろうとするのだ。
学校の校門が見えてくると、人の流れに逆らってこちらへ向かってくる男子生徒に気づいた。
その姿が誰であるかすぐに理解した私の前に、急いで駆けてきた彼が立ち止まる。
「飛流さん、おはよう」
「木梨くん……」
「良かった……、会えて。飛流さんはいつも朝早く来てるみたいだったから、教室まで行くか悩んでたんだ」
校門の前で私が来るのを待っていたらしい凪は、そう言って笑顔を見せた。
「急用かしら? 話があるなら、部活の時でいいのよ」
わざわざいつ来るかもわからない私を待つことなどないのだと申し訳なく思う気持ちから出た言葉に、凪は前髪をくしゃりとつかんで苦笑する。
「急用ってわけじゃないけど、昨日のことまだ不安じゃないかと思って」
「心配してくれてるのね」
凪の行動を意外だと言ったように聞こえたのか、彼はハッとして私を見つめる。
「それはそうだよ。俺が飛流さんを余計に苦しめてるんじゃないかって、ずっと考えてて」
「なぜ?」
「どう考えても樋野先輩に勝てるわけないって誰だって思うのに、飛流さんは信じるって言ってくれたから……」
「今でも信じてるわ。でも、負けてもいいのよ。信じる結果と勝負の結果は必ずしも同じとは限らないわ。だから、木梨くんが心を傷めることなんて何もないの。ただ少しだけ、勝ってくれたら嬉しいと思ってるだけなのよ」
「……飛流さん」
凪は当惑ぎみに眉をひそめる。
感謝の気持ちの伝え方を私は知らない。何を言っても凪を困らせている。しばらく悩んだが、私に言えるのはやはりこれだけだ。
「きっと嬉しかったの。それで充分よ」
凪が輝につかみかかってくれた時や、私のために勝負を受けてくれた時に体の底から湧きあがってきた震えは、決して恐怖のためではなかった。
震えを抑えきれずに両手で顔を覆った時に感じていた思いは喜びだった。
凪が私を守ろうとしてくれたことが重要で、結果は重視することではない。
「どんな結果でもかまわないの。……輝に触れられるのは少し怖いけれど、でも輝は私の心まではけがさないわ」
「そんなことわからないじゃないか。心と体は別物じゃないよ」
「……それは、私にはあてはまらないわ」
「そんなことないよ、飛流さん」
「変ね」
私は首をかしげる。
「何が?」
「まるで木梨くんが負けること前提の話をしているみたい。負けてもいいとは言ったけど、それは木梨くんを恨んだりしないっていうことで、あなたの勝利を諦めてるわけじゃないのよ?」
「飛流さん……、ごめん」
「なぜ謝るの? おかしな人ね」
凪の心は私より複雑に出来ているみたいだ。だからこそ、私は彼に惹かれ、彼の思考に救われているのだろう。
「俺、勝つよ。絶対に勝つから」
凪は力強く言う。彼を勝利へと駆り立てる気持ちは何から来るのか。
「あなたが勝利しても得はないのよ。だから気負うことないわ。あなたらしく頑張ってくれたらそれでいいの」
「勝負するからには勝つよ。少しは自信があるんだ」
ようやく凪の頬がゆるむ。勝算があるのかもしれない。
「何で勝負するか決まったの?」
「俺、弓道やってたって前に話したよね。樋野先輩が俺の得意なスポーツで勝負しようって言ったんだ。だから遠慮なくそうさせてもらう」
「弓道ならうちの弓道場を使うといいわ」
「そうなんだ。それも飛流さんにお願いしようと思ってた」
「私を待ってたのは弓道場を借りたいと言いたかったからなのね。遠慮なく最初からそう言ってくれて良かったのよ。回りくどい話してしまったわ。もう行きましょう?」
少しだけ清々しい気持ちになって颯爽と歩き出す私を、凪は苦笑いしながら追いかけてきた。
「飛流さん、あのさ、一つお願いがあるんだ」
私に追いつくなり、急に口元から笑みを消して生真面目な表情になった凪は、言いにくそうに小さな息をついた。
「何かしら?」
登校してくる生徒の注目を浴びる中、私たちは校門の脇で立ち止まる。
凪は周囲の目を気にすることなく、思い悩む目を私に向ける。
「俺、いろいろ考えてる」
「そう……」
かんばしくない表情の凪に、ゆっくりうなずく。
考えて当然だ。凪のような平凡な生活を送る生徒が私に関わることは苦悩でしかない。
輝との勝負を決めたことも後悔しているかもしれない。私から離れるタイミングを悩んでいてもなんら不思議はないのだ。
「ずっと楽しいことが当たり前のように続いていくんだろうって、今までは高をくくってた」
凪はそう切り出す。これは別れの言葉だろうか。
「でも違ったんだ。飛流さんと一緒にいて、楽しいことだけが続くだろうなんて思ってたのは、俺の甘えだった」
「楽しいことなんてないわよね。木梨くんの悩みはたくさんあるだろうけど、すべてを投げ出しても私は何も責めないわ。部活だって、輝との勝負だってやめてもいいのよ。芽依と一緒にいる方が何倍も楽しいはずよ」
凪は苦しげに眉をひそめる。
「そうじゃないよ、飛流さん」
「気兼ねすることないわ」
「違う。いつも飛流さんは誤解してる。だから俺、ちゃんと気持ちを伝えた方がいいのかって悩んでる」
「心の整理がつくまでは無理に話すことはないわ。もちろん、何を聞かされたって私が傷つくことはないのよ」
さとすように言うが、凪は苦しそうなまま。
「飛流さんを傷つけるつもりはないよ。でも俺が飛流さんのことをもっと知りたいって思うことは、飛流さんにとって迷惑なことかもしれないって考えたりもする」
「私が迷惑するなんてないわ。それこそ誤解よ」
「飛流さんのこと全部理解するなんて無理だとは思う。だけど、その努力だけはしようと思う。それで……、それでもし、俺の気持ちが変わらなかったら……」
凪は、違う、と小さくつぶやいて首を振る。
「結果を知って気持ちが変わるなんて軽薄だよな。ただ触れていいものかどうか悩んでて、その覚悟が今まで足りなくて、だけど樋野先輩が飛流さんに心ないことするから、ゆっくり悩む時間なんてないんじゃないかと思って……」
「つまりどういうことかしら?」
「つまりその、俺は覚悟しようと思ってる」
「まだ悩んでるって顔してるわ」
私を傷つけたくなくて、凪は思い切れない何かを抱えているのだろう。
私には彼を救えない。いつもそう、私ができることは一つだけだ。
「話ならいつでも聞くわ。今すぐでなくても、いつでも」
凪は何度も首を横に振る。私は求められたことを間違えているのだろうか。
「俺、飛流さんの秘密に触れてもいいのかな」
静かに吐息を吐き出す凪。
迷いながらも口に出した言葉に後悔している。この場から逃げ出したくて、消えたくて仕方なさそうに目を伏せる。
無理することないのよ。
そう声をかけようとしたけれど、その言葉を彼が求めているのかどうかの判断がつきかねて、私も口をつぐむ。
「何言ってるんだって話だよな」
しばらく沈黙した後、凪が苦笑する。
「……わからないわ、正直。ただ私が言えることは、私の秘密を知ってもあなたの気持ちが変わらないなら、今の状態でいるよりはとても建設的だと思うの」
「前に進める、かな」
「そう信じたいわね」
これは希望だと思う。そう信じてる。
「俺は飛流さんに苦しい選択を迫るかもしれない」
「どんな選択肢を選んでも、私は後悔しない選択をするから大丈夫よ」
「少し、勇気が出るよ」
「役に立てたかしら?」
「腹をくくったら、飛流さんに俺の気持ちを全部話すから、またその時は聞いて欲しい」
「それがお願い?」
神妙な顔つきで私にお願いがあると言った凪だったのに、今度は少し気まずそうに髪をくしゃくしゃにして目を伏せる。
「写真……」
「写真が何かしら?」
「飛流さんと一緒に写真撮ってもいいかな……」
「え……?」
次から次へと凪はおかしなことを言う。
理解不能だ。だがなぜだか、私はそんな彼を見ていると楽しくなってくるのだ。
それは初めて彼に出会い、初めて彼と話をした時に覚えた感情だ。
「だ、ダメならいいんだ。変な風には受け取らないで欲しいんだけど」
「じゅうぶん変よ。でもいいわ。あなたっていつも変だから、気にすることはやめるわ」
「傷つくよ……。でも嬉しいって思うから変だよな、俺」
「なんとなくその気持ちわかるような気がするわ」
そう言うと、凪はちょっと眉を下げて薄く笑い、早速とばかりに制服のポケットからスマホを取り出した。
「那波ー、先に行くねっ」
鏡の前に立ち、制服に着替える私の後ろから、寝室のドアを開けた芽依が声をかけてきた。
「今日はいつもよりはやいのね、芽依」
時計を確認する必要もなく私は振り返る。
起床時間から食事の時間も何もかもいつも通りだ。
寸分の狂いない朝の準備に狂いが生じたのだとしたら、芽依の方の動きがいつもと違うのだろう。
「今日から三年生いないからいろいろ大変なの。キャプテンの私がいきなり遅刻したら示しがつかないでしょ?」
「芽依なら大丈夫よ。あまり無理したらダメよ」
「最近優しいね、那波は」
芽依は目を細める。なんだか嬉しそうだ。
「木梨くんが芽依を心配するからよ」
「つまり、凪を心配してるんだね、那波は」
「そこまでのつもりはないわ」
「いいのいいの、照れなくても。那波のために樋野先輩と勝負するって言った凪、かっこ良かったと思うよ」
「照れる……って、よくわからないわ」
首を傾げるが、芽依はにこっと笑うだけだ。
凪が私の心を揺さぶることを芽依は微笑ましく思っている。彼女の笑顔からそんな気持ちが伝わってくる。
最近の私はおかしいのだ。
凪と出会ってから、様々な感情がめまぐるしく浮いては沈んで乱れる。
自分でも対処できないまま、新たな感情がわき出ているようだ。
「じゃあ行ってくるね、那波」
戸惑う私を置き去りに、芽依は軽やかに身をひるがえして部屋を出ていく。
私はまた鏡に向き直り、髪にそっと櫛を通した。
前は当たり前のように無意識にすいていたけれど、今は凪を思い、髪を愛でるように手を動かしている。
凪の前ではいつも綺麗でいたい。
ふと、そんなことを考えている自分に当惑もする。
私が凪に愛されたいのは、何かと。
答えは見つからないが、学校へは行かなくてはならない。
用意した学生カバンを手にすると、いつも通りの時間に家を出た。
通学路で私を認めると少し駆け足になって離れて歩く女生徒にももう慣れた。
一定の距離を置いて学生たちと過ごすのは私にとって日常で、当たり前のことだった。
それなのに、凪は違う。凪は自ら望んで、私に関わろうとするのだ。
学校の校門が見えてくると、人の流れに逆らってこちらへ向かってくる男子生徒に気づいた。
その姿が誰であるかすぐに理解した私の前に、急いで駆けてきた彼が立ち止まる。
「飛流さん、おはよう」
「木梨くん……」
「良かった……、会えて。飛流さんはいつも朝早く来てるみたいだったから、教室まで行くか悩んでたんだ」
校門の前で私が来るのを待っていたらしい凪は、そう言って笑顔を見せた。
「急用かしら? 話があるなら、部活の時でいいのよ」
わざわざいつ来るかもわからない私を待つことなどないのだと申し訳なく思う気持ちから出た言葉に、凪は前髪をくしゃりとつかんで苦笑する。
「急用ってわけじゃないけど、昨日のことまだ不安じゃないかと思って」
「心配してくれてるのね」
凪の行動を意外だと言ったように聞こえたのか、彼はハッとして私を見つめる。
「それはそうだよ。俺が飛流さんを余計に苦しめてるんじゃないかって、ずっと考えてて」
「なぜ?」
「どう考えても樋野先輩に勝てるわけないって誰だって思うのに、飛流さんは信じるって言ってくれたから……」
「今でも信じてるわ。でも、負けてもいいのよ。信じる結果と勝負の結果は必ずしも同じとは限らないわ。だから、木梨くんが心を傷めることなんて何もないの。ただ少しだけ、勝ってくれたら嬉しいと思ってるだけなのよ」
「……飛流さん」
凪は当惑ぎみに眉をひそめる。
感謝の気持ちの伝え方を私は知らない。何を言っても凪を困らせている。しばらく悩んだが、私に言えるのはやはりこれだけだ。
「きっと嬉しかったの。それで充分よ」
凪が輝につかみかかってくれた時や、私のために勝負を受けてくれた時に体の底から湧きあがってきた震えは、決して恐怖のためではなかった。
震えを抑えきれずに両手で顔を覆った時に感じていた思いは喜びだった。
凪が私を守ろうとしてくれたことが重要で、結果は重視することではない。
「どんな結果でもかまわないの。……輝に触れられるのは少し怖いけれど、でも輝は私の心まではけがさないわ」
「そんなことわからないじゃないか。心と体は別物じゃないよ」
「……それは、私にはあてはまらないわ」
「そんなことないよ、飛流さん」
「変ね」
私は首をかしげる。
「何が?」
「まるで木梨くんが負けること前提の話をしているみたい。負けてもいいとは言ったけど、それは木梨くんを恨んだりしないっていうことで、あなたの勝利を諦めてるわけじゃないのよ?」
「飛流さん……、ごめん」
「なぜ謝るの? おかしな人ね」
凪の心は私より複雑に出来ているみたいだ。だからこそ、私は彼に惹かれ、彼の思考に救われているのだろう。
「俺、勝つよ。絶対に勝つから」
凪は力強く言う。彼を勝利へと駆り立てる気持ちは何から来るのか。
「あなたが勝利しても得はないのよ。だから気負うことないわ。あなたらしく頑張ってくれたらそれでいいの」
「勝負するからには勝つよ。少しは自信があるんだ」
ようやく凪の頬がゆるむ。勝算があるのかもしれない。
「何で勝負するか決まったの?」
「俺、弓道やってたって前に話したよね。樋野先輩が俺の得意なスポーツで勝負しようって言ったんだ。だから遠慮なくそうさせてもらう」
「弓道ならうちの弓道場を使うといいわ」
「そうなんだ。それも飛流さんにお願いしようと思ってた」
「私を待ってたのは弓道場を借りたいと言いたかったからなのね。遠慮なく最初からそう言ってくれて良かったのよ。回りくどい話してしまったわ。もう行きましょう?」
少しだけ清々しい気持ちになって颯爽と歩き出す私を、凪は苦笑いしながら追いかけてきた。
「飛流さん、あのさ、一つお願いがあるんだ」
私に追いつくなり、急に口元から笑みを消して生真面目な表情になった凪は、言いにくそうに小さな息をついた。
「何かしら?」
登校してくる生徒の注目を浴びる中、私たちは校門の脇で立ち止まる。
凪は周囲の目を気にすることなく、思い悩む目を私に向ける。
「俺、いろいろ考えてる」
「そう……」
かんばしくない表情の凪に、ゆっくりうなずく。
考えて当然だ。凪のような平凡な生活を送る生徒が私に関わることは苦悩でしかない。
輝との勝負を決めたことも後悔しているかもしれない。私から離れるタイミングを悩んでいてもなんら不思議はないのだ。
「ずっと楽しいことが当たり前のように続いていくんだろうって、今までは高をくくってた」
凪はそう切り出す。これは別れの言葉だろうか。
「でも違ったんだ。飛流さんと一緒にいて、楽しいことだけが続くだろうなんて思ってたのは、俺の甘えだった」
「楽しいことなんてないわよね。木梨くんの悩みはたくさんあるだろうけど、すべてを投げ出しても私は何も責めないわ。部活だって、輝との勝負だってやめてもいいのよ。芽依と一緒にいる方が何倍も楽しいはずよ」
凪は苦しげに眉をひそめる。
「そうじゃないよ、飛流さん」
「気兼ねすることないわ」
「違う。いつも飛流さんは誤解してる。だから俺、ちゃんと気持ちを伝えた方がいいのかって悩んでる」
「心の整理がつくまでは無理に話すことはないわ。もちろん、何を聞かされたって私が傷つくことはないのよ」
さとすように言うが、凪は苦しそうなまま。
「飛流さんを傷つけるつもりはないよ。でも俺が飛流さんのことをもっと知りたいって思うことは、飛流さんにとって迷惑なことかもしれないって考えたりもする」
「私が迷惑するなんてないわ。それこそ誤解よ」
「飛流さんのこと全部理解するなんて無理だとは思う。だけど、その努力だけはしようと思う。それで……、それでもし、俺の気持ちが変わらなかったら……」
凪は、違う、と小さくつぶやいて首を振る。
「結果を知って気持ちが変わるなんて軽薄だよな。ただ触れていいものかどうか悩んでて、その覚悟が今まで足りなくて、だけど樋野先輩が飛流さんに心ないことするから、ゆっくり悩む時間なんてないんじゃないかと思って……」
「つまりどういうことかしら?」
「つまりその、俺は覚悟しようと思ってる」
「まだ悩んでるって顔してるわ」
私を傷つけたくなくて、凪は思い切れない何かを抱えているのだろう。
私には彼を救えない。いつもそう、私ができることは一つだけだ。
「話ならいつでも聞くわ。今すぐでなくても、いつでも」
凪は何度も首を横に振る。私は求められたことを間違えているのだろうか。
「俺、飛流さんの秘密に触れてもいいのかな」
静かに吐息を吐き出す凪。
迷いながらも口に出した言葉に後悔している。この場から逃げ出したくて、消えたくて仕方なさそうに目を伏せる。
無理することないのよ。
そう声をかけようとしたけれど、その言葉を彼が求めているのかどうかの判断がつきかねて、私も口をつぐむ。
「何言ってるんだって話だよな」
しばらく沈黙した後、凪が苦笑する。
「……わからないわ、正直。ただ私が言えることは、私の秘密を知ってもあなたの気持ちが変わらないなら、今の状態でいるよりはとても建設的だと思うの」
「前に進める、かな」
「そう信じたいわね」
これは希望だと思う。そう信じてる。
「俺は飛流さんに苦しい選択を迫るかもしれない」
「どんな選択肢を選んでも、私は後悔しない選択をするから大丈夫よ」
「少し、勇気が出るよ」
「役に立てたかしら?」
「腹をくくったら、飛流さんに俺の気持ちを全部話すから、またその時は聞いて欲しい」
「それがお願い?」
神妙な顔つきで私にお願いがあると言った凪だったのに、今度は少し気まずそうに髪をくしゃくしゃにして目を伏せる。
「写真……」
「写真が何かしら?」
「飛流さんと一緒に写真撮ってもいいかな……」
「え……?」
次から次へと凪はおかしなことを言う。
理解不能だ。だがなぜだか、私はそんな彼を見ていると楽しくなってくるのだ。
それは初めて彼に出会い、初めて彼と話をした時に覚えた感情だ。
「だ、ダメならいいんだ。変な風には受け取らないで欲しいんだけど」
「じゅうぶん変よ。でもいいわ。あなたっていつも変だから、気にすることはやめるわ」
「傷つくよ……。でも嬉しいって思うから変だよな、俺」
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