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そこに息づくものたちの行方
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しおりを挟む「でも驚いたよ。急すぎるよな」
「そうかしら。木梨くんは弓道に優れているのだから、自然ななりゆきよ。安藤先生も心理学研究部で終わらせるのはもったいないとお考えだったのよ」
「かいかぶりだよ。いろいろ不安だな……」
「大丈夫よ。木梨くんが私にいろいろ教えてくれるように、私もあなたの知りたいこと教えてあげるわ」
「……あ、なんか、まずいな、その言い方は」
ちょっと困って、後ろ頭に手を置く。
「なぜ?」
「いや。なんか、まずい気がしただけ」
「木梨くんって単純そうで複雑ね」
「たぶん、すごく単純だよ」
「私もよ。きっと同じね」
「……那波はかなり複雑そうだけど」
ちょっとおかしくて笑うと、那波は目を細めて微笑む。
こんなに可愛らしい女の子が俺の彼女なのだと思ったら、急にドキドキしてくる。しかし、確認してないのだという思いもある。
那波は俺と付き合ってくれるのだろうか、まだその返事はもらっていない。
「あのさ、那波、確認っていうか……」
「あ、そうね、木梨くん。その用紙、早速貼り出しておくといいわ」
「え、あ、ああ……」
那波は俺の言いかけた言葉を誤解したようだ。
違うんだ、と言おうとする俺から離れた彼女は、下駄箱にある掲示板の前に駆けていく。
「木梨くん、この辺りがいいんじゃないかしら。目立つところがいいわ」
「ああ、そうだね」
無邪気にも見える那波が微笑ましくて、彼女が勧める掲示板の一番真ん中のスペースに、安藤先生から渡された用紙を画びょうで貼り付けた。
弓道部 部員募集
なんだか素っ気ない。それはあの時と同じか。
「あの時、心理学研究部の部員募集の紙を見てなかったら、今頃俺はどうなってたのかな」
心理学研究部の部員募集の貼り紙は、周囲とは異質な雰囲気で、俺は足を止めずにはいられなかったのだろう。
もしかしたら弓道部の貼り紙も、そう見えるのかもしれない。だが、もしこの貼り紙を見つけて、足を止めてくれる人がいるのだとしたら、それは大切にしなくてはならない出会いなのかもしれないと思う。
「それは私も同じよ。あなたはとても迷惑そうだったけれど」
「あ、いや、違うよ。飛流那波って言ったら、転校してきて誰よりも先に知った生徒の名前だったし、その……綺麗すぎて次元が違うっていうか」
「それが今は……」
那波は少し首を傾ける。何かを考えているみたいだ。
「那波……?」
「今は……、私、あなたの何かしらと思ったの」
「え、あ……えっと、何、かな?」
それを口にするのは気恥ずかしくて、頬をぽりぽりと照れ隠しにかくと、那波はやけに悲しげに目を伏せる。
長いまつげが小刻みに震えるから、泣き出すんじゃないかと心配になる。
「誤解だよ。那波はすぐに誤解するけど、違うんだ。俺は那波のこと、彼女であって欲しいと思ってるけど、那波の気持ちは確かめてないから……」
「私だって木梨くんと同じ気持ちなのよ。はっきり言って欲しいこともあるの」
「だったら……、言うよ。那波は俺の彼女だよ。それは、恋愛感情として那波が好きだって話で、時々は抱きしめたいなって思ったりするような関係でいたいって話で……」
俺はいったい何を言ってるんだ。
情けなくて眉を寄せる俺を、それでも那波は嬉しそうに見つめてくれる。
「私も木梨くんとそういう関係でいたいわ」
「那波……、ありがとう」
いいのよ、と那波はうなずき、何かを思い出したように鞄を開く。
「紅茶、1000円あれば買えるかしら?」
鞄から取り出した財布を那波が見せるから、俺は苦笑いする。そんな仕草すら可愛いと思う俺はどうかしている。
「十分だよ。いったいいくらの紅茶買う気だよ」
「芽依はいつもスーパーで買うんですって。値段のことまで聞いてくるの忘れたのよ」
「那波らしくないね。やっぱり少し変わったんだ?」
「こんな私、いや……?」
不安げになるから、俺はすぐに否定する。
「嫌なわけないよ。前より可愛いなって思ってる。ちょっと心配だな」
「心配って?」
「樋野先輩みたいな男がまた現れるよってこと」
那波が笑顔を見せて、温かい手で優しく男に触れたりしたら、心配は絶えなくなるだろう。しかし彼女はそんな心配おかまいなしなのだろうとも思う。
「輝? あ、そうだわ。輝が今日教室まで来たのよ。私と芽依のこと心配してくれてたみたい。輝の目、見たかしら?」
「ああ、治ったみたいだね」
輝の澄んだグレイの両眼を見た時は、那波の怒りがそこに存在していたのだと見せつけられたようで複雑ではあったが、那波の笑顔の前では、そんな嫉妬に似た思いも飛んでいく。
「ええ、輝も少し性格が変わったみたいだって話してたわ」
「まさか。那波の怒りは先輩の目の中にあったんだ。心にあったわけじゃないから、性格は変わらないよ。またそんなこと言って、那波の気を惹きたいだけだよ」
「そうかしら?」
「そうだよ」
断言する俺を不思議そうに那波は見つめてくるが、彼女なりに納得したようで、小さくうなずいた。
油断も隙もない先輩のことだ。このぐらいに大げさに注意しておいた方がいいだろう。
「そうだ、俺さ、また近いうちに影見神社を参拝したいなって思ってるんだ」
先輩の話から気をそらす。
「なに、突然」
「那波は今でも感じる? 先祖の魂のようなもの」
「え、そうね。なんとなく感じてるわ。常に感じてはいるの。強く感じるのは時々よ。でもそれも、そんな気がするだけで、実際には何もないのかもしれないわ」
「そんなことないよ。那波は神に愛されてるんだ。少なくとも、影見神社の神は江井見の血が流れる那波を愛してる」
俺は那波よりもそう信じてるみたいだ。
「なぜそんなことが言えるの?」
「那波の苦しみをどうにかしたくて、今の芽依と那波が生まれたんだ。それが何よりの証拠だと思う。神さまってやっぱりいるんじゃないかな」
「……あなたって、すごく単純で、のうてんきね」
「褒め言葉?」
「え、ええ、そうね」
「ならいいよ。なんでもさ、そこに息づいてるものがある限り、不思議なことは起きるんだって思う」
俺の伝えたいことがわかったのか、那波はハッと息を飲む。
「だから那波も、もう傷つく必要はないんだよ」
「……優しいのね、木梨くん。そうね、街に出れば、私は奇異な目できっと見られるの。でも私が存在することに意味があるなら、乗り越えていけると思うわ」
不思議な存在である那波は、これから先も彼女を理解しない人たちの奇異な目にさらされていくのだろう。
だが、それは俺にも言えることだ。いつか証明できない何かが俺の身に起きるかもしれない可能性はあるのだから。
人は理解できないことに遭遇した時、そのものを排除しようとする。誰もが理解できないことを受け入れていけるわけではない。逆もまたあるだろう。
だからこそ、俺たちは支え合って生きていかなくてはならないのだ。
「意味ならあるよ。少なくとも俺が存在する限り、那波が存在する意味は消えない」
「そんなに私を必要としてくれているの?」
「もちろんだよ」
「それは私も同じよ。いつでも私のみちしるべでいてね、木梨くん」
「那波もだよ。俺だって悩んだり、迷ったりすることもある」
「木梨くん……、私ね、やっぱりわからないことがあるの」
「何?」
「なぜ私の体は冷たくて、涙も流すことができなかったのか……」
彼女はまだそのことに悩むようだ。だが、その答えは俺も想像することしかできない。
「那波……、それはきっと自己防衛だよ。誰だって完璧じゃない。それと同じだよ。完璧であるのは不幸だよ。だから足りない体にしたんだ」
「証明は出来ないのよね?」
「必要ないことだよ。結局、わかってもらえる人にしかわからない話なんだから」
たとえば、野道に咲く花にも存在する価値があるように、こんなちっぽけな俺たちにも生きる意味はあって。
その意義を見出すのは難しいこともあるかもしれないが、不必要なことは何一つ起きないのだと、那波に出会って思うのだ。
彼女の身に起きたことには、すべて意味があった。それで十分じゃないか。
「これからも自分だけ人と違うなんてことが起きるかもしれないけど、それは誰にでも起きることなんだから、悩まなくていいんだ」
「あなたと話してると、ホッとするわ」
俺は優しく那波に微笑みかけて、「行こう」と促す。
彼女は素直に従って、靴を履き替えると、俺の隣に寄り添う。
「紅茶を買ったら、そのままチーズケーキを買いに行かない?」
「時間はいいんだ?」
「一時間までと決められているけれど、いいの。木梨くんと一緒にいる時間を延ばしたいから……」
ほんのり頬を染める那波の横顔が綺麗で、こつんと触れた彼女の指先にそっと指をからめる。
重なり合う指は遠慮がちにつながれて。
「大丈夫。一時間もあれば、両方とも買いに行けるよ。だから、チーズケーキも一緒に食べよう」
「……嬉しいわ、木梨くん」
「凪って、言ってよ」
「凪……、ありがとう」
那波が赤くなって、ためらいがちに小さな声でそうつぶやくから、愛おしい気持ちを伝えたくて彼女の手を優しく握りしめた。
【完】
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