雪がとける頃に

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 あのあと、困惑する私に気づいた曽野さんは、あわてて否定した。

「綺麗っていうのは、雰囲気が、ってことで、あ、いや、も、もちろん美人だなって意味もあるけど、長谷川さんをそういう目で見ちゃってるわけじゃなくてって話で、あの……、初対面の人に失礼ですよね」

 あんまりテンパるから、私も笑ってしまったことを覚えている。

 あれから一ヶ月、私と曽野さんは休日のたびに、お気に入りのカフェで過ごすようになっていた。
 大学生の青年と話す機会なんて今までになかったから、話題に困ってしまって、話すことといったら夢のことばかり。

 それでも、私たちの見ている夢には共通点ばかりで、雪穂が私の、雅人が曽野さんの前世だと言われたら、そうかもしれない、なんて思うようにはなっていた。

「まだ夢、見ますか?」

 冷え切った指先を温めるように、カフェモカの入ったマグカップを包み込んでいる私に、曽野さんはいつもと同じように話し始める。

「俺はすっかり見なくなって」
「私はもともとあんまり見てなかったから。でも、最後に見たのは一週間前かも」

 そう答えると、曽野さんは、熱量の違いかなって、くすりと笑う。

「もう、雅人は満足したのかもしれないな」
「満足って何を? まだ指輪は見つかってないのに」

 あいかわらず、曽野さんはひまがあるとスコップを持って広場をうろついているようだった。
 50年も前に落ちた指輪なんて、きっと見つからない。あきらめるようには言わなかったけど、彼もきっともうあきらめてる。

 曽野さんは湯気の立つホットコーヒーから視線をずらし、水の入ったグラスをつかむと、グイッと飲み干す。
 そして、深く息を吐き出し、私をまっすぐ見つめる。

「雅人が俺に夢を見させてたのは、指輪を見つけて欲しいからじゃなくて、長谷川さんに出会うためだったのかな、とか思うんです」

 あんまり真剣な眼差しを向けてくるから、私はちょっと戸惑って、目をそらす。すると、マグカップから離れた私の手に、彼の手のひらが重なった。まるで、逃げないで、と言ってるように。

 長谷川さん、と呼ばれて、おずおずと曽野さんを見る。

「付き合ってください。俺、長谷川さんが気になって仕方ないんです」

 曽野さんはカッコいい青年だ。年下の女の子だって射留めることができるだろう。何も、学生でもない年上の私なんかと付き合う必要なんて一つもない。

「そんなこと急に言われても……」
「雅人は来世の雪穂に出会うために、俺に夢を見せてた。こうして出会ったから、雅人の夢は終わったんです」
「だからって、曽野さんと私には関係のない話……」
「今度は俺の番です。長谷川さんとずっと一緒にいたいです」

 重なる手に力が込められて、私の心が揺さぶられる。

 いつだって私は、心惹かれる相手と距離を置いていた。いつかは別れることになる。だったら、付き合う必要すらないんじゃないかって、心のどこかで思ってた。

 失うのが怖い。

 そう思っていたのは、雪穂の記憶が私の中に眠っていたからかもしれない。

「私、まだ……誰ともお付き合いしたことなくて。年上なのに、って期待外れのこともあると思って」

 人を好きになるのが怖かった。だから、幸せになれた経験がないことを告白すると、曽野さんは驚いたように目を大きく開く。

「ごめんなさい」

 頭をさげたら、彼は手を離してくれた。

 すっかり舞い上がっていた恋心が冷めたかもしれない。
 そんな風に思って、曽野さんと目を合わせられなくて窓の外を見たら、雪がちらついていた。

「今年はよく降りますね。少し、積もるかな」

 珍しい、って曽野さんは言うと、席を立つ。

 帰るのだろう。
 気まずくなってしまった。

 曽野さんに会う休日は、ちょっとだけ楽しかったのに、もう終わってしまう。

 レジでお金を払う。
 学生の曽野さんに、おごってもらったこともおごったこともない。
 無意識に私たちは対等だった。

 外に出ると、地面にはうっすら雪が積もっていた。

「俺、もう指輪は探しません」

 それは決別の言葉に聞こえた。

「長谷川さん」

 はっきりと、確かな声で曽野さんは私の名前を呼ぶ。
 顔を上げたら、頼りなげにうっすら口元に笑みを浮かべる彼が私を見つめていた。

 もう会えない。
 そう思ったら、胸が苦しくて、目を伏せようとする私に、彼は言う。

「雪がとける頃にまた会えますか?」

 ふたたび曽野さんを見上げたら、彼は雪空を見上げている。空は明るい。まばらに降る雪は、すぐにやむだろう。

「明日には、とけそうよ」

 大して積もらない。
 それをわかってて、また会いたいって言ってくれた。

「じゃあ、明日には、ごめんなさい以外の返事ください」

 そう言って、照れくさそうに笑う彼を見ていたら、じんわりと胸は熱くなる。

 雪解けの頃には、私のかたくなな心も、とけているだろうか、と。




【完】
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