三月一日にさようなら

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和歌と告白と選択

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 文化祭で盛り上がる校庭を、二階の廊下から見下ろす。いくつかのテントが並ぶ中に、三年四組の看板が見える。

 四組は、みたらしだんごの販売をしてる。華やかなクラスメイトの女の子たちが、楽しそうにテントに集まって、男の子たちと談笑してる。私はポップ作り担当だったから、当日の担当はない。

 ちょっと息をついて、誰もいない教室に戻ると、窓際の自分の席に座った。

 机の上に置きっぱなしになっていた文化祭のパンフレットをパラパラとめくって、そっと閉じる。

 かばんから和歌集を取り出し、お気に入りのページを眺めた。こうしてる時間が一番好き。遥か遠い過去の時代を想像しながら、恋のかけひきを思い浮かべる。

 昔も今も、人が人に恋する気持ちはきっと変わらない。でも、私はずっと誰とも恋しないと思う。せめて、本を読んでるときだけでも、恋してる気分になりたい。

 本から目線をさげて、手首を見つめた。

 上神田壮亮という男の子の顔が浮かんだ。彼につかまれた感触が、まだ手首に残ってるみたい。
 あんな風に、私のために胸を痛めてくれた他人に出会ったのは、はじめてだった。ううん。家族だって、私の心配なんてしない。

「音羽ちゃん、どっか見に行かないの?」

 いつの間にか教室に戻ってきていた薫子ちゃんが、話しかけてきた。

 なんで私にかまうんだろう。そう思ったけど、悪い気はしなかった。

「ひとりで回っても、楽しくないから」

 気恥ずかしく思いながらも、彼女なら笑わない気がして、そう答えた。

「私も」

 薫子ちゃんはにっこり笑って、私の前の席に腰を下ろす。

 言われてみると、彼女はいつもひとりのような気がする。男の子たちの視線を集めてるから、たくさんの人に囲まれてるようにも見えてたけど。

「文化祭って、苦手。文化祭だけじゃないよ? 体育祭も、みんなで何かやるのって苦手」
「同じ。話しかけてくれる子はいるけど、お友だちっていないから」
「私もだよ。ね、音羽ちゃん、私たち、友だちになれる?」
「え……」

 何かの冗談かな?
 かわいい薫子ちゃんと並んで歩く自分を想像したら、全然現実的じゃない気がする。気後れしちゃう。

「だめ?」

 いたずらっ子みたいな笑顔で薫子ちゃんは言うけど、ふんわりと優しい雰囲気が、からかってない気持ちを伝えてくれる。

「だめじゃないけど……」
「じゃあ、今日から仲良くしよ」
「う、うん……。ありがとう」

 にこっとする彼女のかわいい笑顔に、照れくさくなる。変な気分。薫子ちゃんがお友だちだなんて。

「私も、うれしい。音羽ちゃんって頭いいし、優しいし、ほんとは憧れてたの」

 ゆっくり目を見開いて、ぽかんとしちゃう。驚くと、声も出ないみたい。

「みんなもそう思ってると思うよ。音羽ちゃんと友だちになりたいけど、高嶺の花だと思ってて近寄りがたいのかも」
「それは、薫子ちゃんのことだよ」

 半分あきれてそう言った。彼女も自覚があるのか、ふふって笑う。

「ね、音羽ちゃん、和歌集見せて」
「いいよ」

 スーッと差し出す和歌集を、薫子ちゃんは大切そうにそっと両手で持ち上げる。

「私もね、いろんな和歌を見てみたんだよ。音羽ちゃんが大好きな和歌教えてくれたから、私も教えるね」

 そう言って、索引ページを確認して、パラパラとページをめくる。

「あ、あった。これ」

 本を開いて見せてくれるそのページには、有名な和歌が載っていた。

_______


 梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを 


※現代語訳

 あなたが私の心を引こうが引くまいが、昔から私の心はあなたに傾いておりましたのに。

_______

「私も、この歌好きだよ」
「ほんと? 歌の意味、考えるの面白いよね」
「うん、そうだね。これは、ちょっと悲しい歌かもしれないけど、一途な気持ちはいいよね」

 これは、伊勢物語に出てくる和歌。恋人を残して都へ出かけた男が、三年も帰らず、残された恋人が待ちくたびれて他の男の人と結婚しようとした日に帰ってきて詠んだ歌に対する返歌。

「私がこの和歌を好きだってこと、覚えていてね」

 薫子ちゃんは笑顔だけど、やけに神妙な目をしてそう言った。

「あ、うん。忘れないよ」

 覚えててって、変なの。
 きょとんとする私に、薫子ちゃんは新たな提案をする。

「音羽ちゃん、明日の文化祭、一緒に回ろう。一日中、ずっと一緒にいよう」
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