三月一日にさようなら

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タイムリープ経験者

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 地元の小さな美術館は、数えられるほどの観覧者しかいなかった。

 今日は月曜日。通常なら休館日だけど、地元の高校が文化祭の振替休日だから、開館してる。剣持くんは下調べにも余念がないみたい。

 受付でパンフレットをもらった。遅くなった理由を母に聞かれたら、勉強のために美術館へ行ったんだと話せばいい。
 勉強に関することなら、母はたいていのことを許してくれる。

 常設展示の絵画を、順路に沿って眺めていく。壮亮の提案で、薫子ちゃんと剣持くんとは離れて歩いた。

 ふたりは静かにほほえみ合って、時折絵画を指差しては話し合っている。

「楽しいんかな」
「壮亮くんは、退屈?」
「あんま好きじゃないなぁ。音羽は?」
「私は楽しいよ。小学生以来かも」

 中学入学すると同時に塾に通い始めた。家族で出かけることもなくなった。

「勉強ばっかしてんの?」
「……うん。それしかできないから」
「剣持に聞いたけど、いつも2位だって? すげぇよな」
「全然すごくないよ。絶対、剣持くんより勉強してる自信あるのに、全然できないから」
「褒めてもらえねーの?」
「1位じゃないと、ダメだって。私だって、そう思う」

 でももう、ちょっと疲れちゃったな。
 その気持ちは言えなかった。

 もう限界だ。
 そう言って、志望校のレベルを落としてもいいんだよって言ってもらえたら、お友だちと気兼ねなく出かけたりできるのにって思う。

「それで、死にたくなった?」
「え……」

 壮亮は見透かすみたいに、私を見つめる。ちょっとうつむく。心をのぞかれるみたいなのは、いやだった。

「今はそんなこと思ってないよ」
「今は?」
「昔は死にたかったかもしれないけど、今は全然。そんな気がする」
「昔って、タイムリープする前?」
「それはよくわかんないんだけど」

 私はもう高校3年生を何回も繰り返してる。タイムリープする前を昔と感じてるのか、高校生活を振り返ってそう感じてるのか、記憶がごちゃ混ぜになってて、よくわからない。

「死にたくなったら相談しろよ。勉強なんて、ほどほどにできたらいいんだよ」
「そう思えたら、幸せだよね」
「死ぬなよ」
「また壮亮くんがタイムリープしちゃうもんね。うん。死なないよ」

 くすって笑ったら、壮亮は苦しそうに眉を寄せた。

「俺の話なんかしてないよ」
「ありがとう。大丈夫だよ。今度はちゃんと、逃げるから」
「逃げるか。いいな、それ」

 壮亮はにやって笑う。

「壮亮くんにはやく会えてたら、よかったのかな」
「もう会えたから、そんなこと考える必要ねーじゃん?」
「ありがとう。私、もうちょっとしたら行くね」
「もうそんな時間か。先に出てるか」

 壮亮は退屈だったのもあるのか、私より先に率先して、順路をショートカットして出口へ向かった。




 受付前のソファーに座っていると、出口から現れた薫子ちゃんが、ハッとして駆けてきた。

「音羽ちゃん、ごめんね。もう時間?」
「いま帰れば大丈夫だからいいよ」
「私も帰るから、一緒に行こう」
「帰るの?」

 離れた場所にいる壮亮に歩み寄る剣持くんをちらっと見る。

「剣持くんにはいろいろ話したの。返事はもう少し待ってほしいってお願いしたから」
「剣持くんは?」
「わかったって」

 それだけ? って思ったけど、それだけでじゅうぶんだってことは、薫子ちゃんを見てたらわかる。

 わかり合ってるんだ、ふたりは。
 もうずっと、何回も繰り返してる恋の始まりが、彼らの記憶の奥底にあるのかもしれない。

「ねー、音羽ちゃん。私ね、短歌を作ってみたの」
「えっ、短歌?」

 薫子ちゃんが突飛なことを言うから、驚いた。

「お手紙みたいなもの」

 そう言って、かわいらしいポシェットから、ピンクの封筒を取り出す。

「家に帰ったら、見てね。未来が明るくなったらいいなって思って作ったから。私にできることはしてみるつもりだから」
「薫子ちゃん……」

 やっぱり、薫子ちゃんは何か知ってる……って思う。
 確信はないけど、漠然と、そうなんじゃないかって感じる。

「薫子ちゃん、タイムリープって信じる?」

 そう尋ねたら、彼女はちょっと目を細めた。それはきっと肯定だった。でも、何も言わなかった。

 何も言わないことには、何か理由があるのかもしれない。未来を知ってる彼女だからこそ。

 ピンクの封筒をぎゅっと握りしめて、見つめる。

 この中には、薫子ちゃんが私に伝えたい何かがあるのだろう。

 私は何度も自殺してる。
 今は死にたいなんて思ってないのに。これから先、卒業までに何があるのだろう。

 受験に失敗するんだろうか。
 両親にとがめられ、逃げ出すんだろうか、この世から。

 逃げ出したい気持ちはあっても、死にたいなんて思ってない。でも、未来の私はきっと、三月一日にあの屋上へ行くのだろう。
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