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なんとなく
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「そうなんだー、退社するの。その、染谷って人の代わりに新しい人が来るの? 良かったじゃない、茉莉には」
9月最後の金曜日の夜、すでに恒例となっている萌乃香との雑談会。
空になりかけたお皿におつまみのあられを追加する萌乃香に、グラスに注いだレモンチューハイを差し出す。
萌乃香はグラスを受け取りながら、10月からやってくるのだろう私の平穏を喜んでくれた。
「結局染谷さん、一度も出社しなかったなー。私がいない時に荷物は取りに来たみたいだけど」
「あいさつはしたかったね。でもさ、転勤なんていくらでもあるし、まして半年一緒に仕事しただけでしょ? 退社するなら尚更、すぐ忘れるって」
「そうだね。だからこそちゃんとあいさつしたかった気もするけど」
染谷さんは仁さんの言う通り、転職のために退社した。
人生は不思議だ。ずっと続いていくものだと思っていたことがある日突然180度変わってしまうこともある。
「まあまあ、忘れよ? それよりさ、彼氏さんとはどうなの? えっと、夏也さんだっけ?」
しんみりとした空気を払拭しようと話を変えた萌乃香は、私の情けないだろう顔を見ると、口元に傾けていたグラスをさげる。
「そっちも問題あり?」
「問題はないよー。今まで通りって感じ」
クッションを抱きしめて、ローソファーにもたれる。
夏也とは変わりない。
びっくりするぐらい何も変わらない。
欲しがってた腕時計も結局買ったようだし、私の誕生日は高級レストランを予約したと張り切っていた。
夏也はおしゃれだから、友人からもカッコいい彼氏だねと羨ましがられる。マメだし、大事にしてくれるし、彼氏としては最高の存在だろう。
「うまくいってないように見えるよ?」
「んー。気持ちの問題かも」
ちょっと落ち込んでるんだと思う。萌乃香にうまく言えない気持ちがもどかしい。
「気持ちって一番大事な問題じゃない?」
萌乃香も心配そうに眉をひそめる。
「結婚したいって言ってみたの」
大きく吸い込んだ息を吐き出しながら、思い切って告白する。
「言ったんだ、茉莉。それで?」
「結婚願望はないし、これからも恋人のままでいいって」
「そっかぁ。今がタイミングじゃなかったのかな? 彼氏さんは」
萌乃香もなんだか申し訳なさそうにする。
「萌乃香に言われたからプロポーズしたわけじゃないよ。逃げようとしてた私が悪いの。でも……」
「でも?」
私はますますぎゅっとクッションを抱きしめて、柔らかなそこへほおをうずめる。
「夏也とこのまま付き合ってていいのかなって思っちゃって。結婚はゴールじゃないけど、結婚しないなら何を目指してるのかなって」
「茉莉ー、それはさ……」
「うん、わかってるよ。わかってる、萌乃香。好きだから一緒にいるんだよ。一緒にいて楽しいから。結婚するために一緒にいるんじゃない」
じゃあ、いつまでこんな風に付き合っていくの?
そんな風に思う私がいるのも事実だった。
今が結婚のタイミングじゃないならそれでいい。だったらせめて、時期が来たら結婚してくれるんだって思わせてくれる言葉が欲しかったのかもしれない。
「長く付き合ってると、欲深でわがままになっちゃうね」
夏也は私を束縛したりしないのに、私はそれではもう満足できなくなってるのだ。
「茉莉は彼氏さんがほんとに好きなんだね。仕事のことがなくても、茉莉は今が結婚のタイミングだったのかもね」
「結婚、したかったのかな……。それももうわからなくなってるみたい」
今度は小さなため息を吐き出す。
明日は夏也に会う。毎週必ず土曜日は会うようにしてるから。
会えば浮かない顔をしてしまいそうで会いたくない。だけど会いたくない、なんて連絡したら余計に心配をかけてしまうだろう。
「茉莉、今夜は泊まっていっていいよ。ひとりでいると余計なこと考えちゃうでしょ?」
「萌乃香……、ありがとう。そうする」
「いいって。茉莉と過ごすの、私、結構好きなんだから」
萌乃香はひらひらと手のひらを振りながら笑って、ようやくレモンチューハイを口に運んだ。
「そうなんだー、退社するの。その、染谷って人の代わりに新しい人が来るの? 良かったじゃない、茉莉には」
9月最後の金曜日の夜、すでに恒例となっている萌乃香との雑談会。
空になりかけたお皿におつまみのあられを追加する萌乃香に、グラスに注いだレモンチューハイを差し出す。
萌乃香はグラスを受け取りながら、10月からやってくるのだろう私の平穏を喜んでくれた。
「結局染谷さん、一度も出社しなかったなー。私がいない時に荷物は取りに来たみたいだけど」
「あいさつはしたかったね。でもさ、転勤なんていくらでもあるし、まして半年一緒に仕事しただけでしょ? 退社するなら尚更、すぐ忘れるって」
「そうだね。だからこそちゃんとあいさつしたかった気もするけど」
染谷さんは仁さんの言う通り、転職のために退社した。
人生は不思議だ。ずっと続いていくものだと思っていたことがある日突然180度変わってしまうこともある。
「まあまあ、忘れよ? それよりさ、彼氏さんとはどうなの? えっと、夏也さんだっけ?」
しんみりとした空気を払拭しようと話を変えた萌乃香は、私の情けないだろう顔を見ると、口元に傾けていたグラスをさげる。
「そっちも問題あり?」
「問題はないよー。今まで通りって感じ」
クッションを抱きしめて、ローソファーにもたれる。
夏也とは変わりない。
びっくりするぐらい何も変わらない。
欲しがってた腕時計も結局買ったようだし、私の誕生日は高級レストランを予約したと張り切っていた。
夏也はおしゃれだから、友人からもカッコいい彼氏だねと羨ましがられる。マメだし、大事にしてくれるし、彼氏としては最高の存在だろう。
「うまくいってないように見えるよ?」
「んー。気持ちの問題かも」
ちょっと落ち込んでるんだと思う。萌乃香にうまく言えない気持ちがもどかしい。
「気持ちって一番大事な問題じゃない?」
萌乃香も心配そうに眉をひそめる。
「結婚したいって言ってみたの」
大きく吸い込んだ息を吐き出しながら、思い切って告白する。
「言ったんだ、茉莉。それで?」
「結婚願望はないし、これからも恋人のままでいいって」
「そっかぁ。今がタイミングじゃなかったのかな? 彼氏さんは」
萌乃香もなんだか申し訳なさそうにする。
「萌乃香に言われたからプロポーズしたわけじゃないよ。逃げようとしてた私が悪いの。でも……」
「でも?」
私はますますぎゅっとクッションを抱きしめて、柔らかなそこへほおをうずめる。
「夏也とこのまま付き合ってていいのかなって思っちゃって。結婚はゴールじゃないけど、結婚しないなら何を目指してるのかなって」
「茉莉ー、それはさ……」
「うん、わかってるよ。わかってる、萌乃香。好きだから一緒にいるんだよ。一緒にいて楽しいから。結婚するために一緒にいるんじゃない」
じゃあ、いつまでこんな風に付き合っていくの?
そんな風に思う私がいるのも事実だった。
今が結婚のタイミングじゃないならそれでいい。だったらせめて、時期が来たら結婚してくれるんだって思わせてくれる言葉が欲しかったのかもしれない。
「長く付き合ってると、欲深でわがままになっちゃうね」
夏也は私を束縛したりしないのに、私はそれではもう満足できなくなってるのだ。
「茉莉は彼氏さんがほんとに好きなんだね。仕事のことがなくても、茉莉は今が結婚のタイミングだったのかもね」
「結婚、したかったのかな……。それももうわからなくなってるみたい」
今度は小さなため息を吐き出す。
明日は夏也に会う。毎週必ず土曜日は会うようにしてるから。
会えば浮かない顔をしてしまいそうで会いたくない。だけど会いたくない、なんて連絡したら余計に心配をかけてしまうだろう。
「茉莉、今夜は泊まっていっていいよ。ひとりでいると余計なこと考えちゃうでしょ?」
「萌乃香……、ありがとう。そうする」
「いいって。茉莉と過ごすの、私、結構好きなんだから」
萌乃香はひらひらと手のひらを振りながら笑って、ようやくレモンチューハイを口に運んだ。
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