たとえ一緒になれなくても

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冗談で?

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「す、菅原さん、すみませんっ。いきなりそんな風に呼んだら失礼ですよね」

 ぺこりと頭を下げると、菅原さんは気まずそうに髪をかきあげる。その仕草すら憎らしいほどに優雅だ。

「いや、郁でいいよ。どんな心境の変化かなと驚いたけどね。ようやく仁と並べたのかと嬉しいよ」
「並べるとかよくわかりませんけど、あの、女子社員はみんな、郁さんって呼びたいと思うので」
「ふぅん。まるで君が先陣を切らないと女子社員が遠慮して行動できないような言いようだね」

 その通りです、と思ったが、この話題は深く掘り下げない方がいいと勘が働く。

 私をじっと眺める菅原さんから目を離し、「じゃあ、打ち合わせお願いします」と、ボールペンをカチリと鳴らした。




「このあと予定は?」

 打ち合わせを終え、おつかれさまです、と下げかけた頭が止まる。

「え?」
「夕飯でも一緒にどう?」

 郁さんは……、結局、前言撤回はならず、郁さんと呼ぶはめになったが、私を軽く誘う。

「ランチもごちそうになったので、今日は」

 正直お腹はあまり空いていない。仮に空いていたとしても、郁さんと食事に行くつもりもなかった。

「そう。それは残念」

 心底残念そうにするから申し訳なくて心揺らぎそうになるのは、郁さんの営業手腕がなせる技だろうか。

「ほかの女子社員をお誘いになったらどうですか? 郁さんと食事したい子、たくさんいるでしょう」
「そういう常套句は聞きたくないね。君と食事したいと俺は言ってるんだよ」
「だから、そこの意味があまり……」

 上司に気に入られるのは悪い気がしない。今思えば、入社当時は仁さんとよく飲みに行って仕事談義をしたこともある。

 けれど、郁さんと目を合わせると落ち着かなくて、どうしても抵抗を覚える。

「一緒にいたいと思うことに理由はいるか?」
「……はっ?」
「隣の芝生は青く見えるものだが、君はそうでなくても綺麗だと思うよ」
「……」

 ぽかんと口を開けると、郁さんはくすりと笑う。そして、私の肩にそっと手のひらを乗せ、さりげなく言う。

「おつかれさま、茉莉」
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