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冗談で?
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玄関を上がると、すでに郁さんはリビングの中央に立ち、ぐるりと部屋を見回している。
「あ、あんまり見ないでくださいっ」
脱ぎ捨ててあるパジャマをあわてて拾い上げると、ベッドルームの中へ入れてドアを閉める。
「男っ気のない部屋だな」
郁さんはローテーブルの上にサンドイッチを置くと、その前に腰を下ろす。本当に帰らないようだ。
「彼は来ませんから」
「いつも彼氏に会いに行くのか」
「なんとなくそうなってるだけで、彼が来てくれないわけじゃないです」
「なんとなくが多いね。ああ、飲み物がないな。ちょっと買ってくるよ」
郁さんが立ち上がろうとするから、スティックコーヒーを棚から取り出す。
「サンドイッチの代わりにはなりませんけど、コーヒーならありますから」
「なんだ。そのまま帰れって言われるかと思ったよ。では、お言葉に甘えよう。君はソファーに座ってなさい」
しまった!と思ったが、あとの祭り。
郁さんはすぐにキッチンに立つと、小鍋に水を入れてお湯を沸かし始める。
一人暮らしになれているのだろう。彼の動きは私生活でも手際がいい。
「私はこっち飲みますから」
買ってきたスポーツドリンクを見せると、郁さんはホットコーヒーと空のグラスを持って戻ってくる。
「食べれるだけ食べるといい。少し話もすれば落ちつくだろう」
郁さんは紙袋から取り出した一人分のサンドイッチを私の前に置く。
「じゃあひとつだけ。ありがとうございます」
「君はいつもそうやって素直にしてたらいいんだ。仁と話してる時が一番魅力的だよ」
「仁さんは嫌味なんて言いませんから」
「まあ、そうやって感情をむき出しにしてる君もかわいいよ」
ふと目が合うと、郁さんが優しくほほえむから、なんだか落ち着かなくてうつむく。
「ちゃんと体調が悪いって言ったのか? 彼氏に」
少しの沈黙を破って郁さんが言う。
「ちょっと頭が痛かっただけで」
「少しだろうが、動くのが億劫なときは甘えたらいい。俺なら薬ぐらい買いに行ってやれる。仕事じゃないんだ。君が絶対やらなきゃいけないことはそれほどないだろう」
「……彼と郁さんは違いますから」
サンドイッチに手を伸ばす。
そのまま口に運んで、ぱくりと食べる。味がよくわからなかったが、急に泣きたい気分になる。
「会いたいって言えばいい」
「……会いたいのかわからなくて」
郁さんへ視線を移したら、心配そうに私を見つめる彼がにじんでいく。
「きのう……」
「昨日?」
私から食べかけのサンドイッチを取り上げた郁さんの両手が、震える私の手を優しく包み込む。
その瞬間、肩に入っていた力が抜けて、あふれ出した涙がぽたぽたと落ちていく。
「きのう彼に会いました。久しぶりに会ったのに、前みたいに嬉しいって思えなくて。彼に触れられるのがいやだなんて思ったことなかったのに……」
「気持ちが乗らないこともあるだろう」
「でもいやだった……。それなのに、今日は心細くて。彼に会いたいなんて思うのはおかしいって思って……」
郁さんの大きな手のひらが、私のほおを濡らす涙をぬぐっていく。
「さみしさを満たせるなら誰でもいいから会いたいなんて思ったんだろう。元気になったら、また気持ちも変わる」
「別れたいとか思ってるわけじゃないんです。彼の声が聞けるだけでも安心なのに、それなのに会うのが怖くて」
「それは彼氏が君の気持ちをわかろうとしてないからだろう。いやなら抱かれるな。それで怒るような男なら、しょせん身体目当てなんだと気づけばいい」
「夏也はそんな……」
変わったのは私だ。
夏也は何も変わってない。
夏也が好きなのに好きじゃなくて、会いたいのに抱かれたくないなんて複雑な思い、私の身勝手以外に何があるだろう。
「茉莉、無理をするな。君の身体を労われるのは君だけだ。俺は寄り添って、そのつらさを思いやるしかできない。他人にできることはわずかなことしかない。それでも君が癒されるなら、俺は喜んで会いにくるよ」
「……」
「彼氏ができないっていうなら、俺がするよ」
郁さんの両腕がいきなり私を抱きしめる。
「……郁さんっ?」
「もう少し泣いてろ」
私の頭を優しくなでる郁さんの手が、心細かった気持ちを癒していく。
誰かにそばにいてほしかった。
それだけだったのに。
郁さんも萌乃香もそばにいてくれると言ってくれたのに、一番そばにいてほしい夏也は来てくれなかった。
私が悪い。
夏也が会いに来ないのは、彼もまた同じ気持ちだったからだ。
会いたいけど会いたくない。
好きだけど好きじゃない。
別れたいけど別れられない。
そういうことだろう。
私も夏也も、きっとずっと同じものを見てる。
言わなくても分かり合えるぐらい一緒にいたから、私たちの気持ちがすれ違ってることも、もう修復できないところに来てしまったことも気づいてる。
「別れたくは、ないの……」
「それならそれでいい。君はその気持ちを大切にしてたらそれでいいだろう」
「う……うぅ……」
もう思いは言葉にならなかった。
いつまでも抱きしめていてくれる郁さんの胸元をつかんで、柔らかなニットに顔をうずめて泣いた。
そうすることの罪を、私はまだわかっていなかった。
「あ、あんまり見ないでくださいっ」
脱ぎ捨ててあるパジャマをあわてて拾い上げると、ベッドルームの中へ入れてドアを閉める。
「男っ気のない部屋だな」
郁さんはローテーブルの上にサンドイッチを置くと、その前に腰を下ろす。本当に帰らないようだ。
「彼は来ませんから」
「いつも彼氏に会いに行くのか」
「なんとなくそうなってるだけで、彼が来てくれないわけじゃないです」
「なんとなくが多いね。ああ、飲み物がないな。ちょっと買ってくるよ」
郁さんが立ち上がろうとするから、スティックコーヒーを棚から取り出す。
「サンドイッチの代わりにはなりませんけど、コーヒーならありますから」
「なんだ。そのまま帰れって言われるかと思ったよ。では、お言葉に甘えよう。君はソファーに座ってなさい」
しまった!と思ったが、あとの祭り。
郁さんはすぐにキッチンに立つと、小鍋に水を入れてお湯を沸かし始める。
一人暮らしになれているのだろう。彼の動きは私生活でも手際がいい。
「私はこっち飲みますから」
買ってきたスポーツドリンクを見せると、郁さんはホットコーヒーと空のグラスを持って戻ってくる。
「食べれるだけ食べるといい。少し話もすれば落ちつくだろう」
郁さんは紙袋から取り出した一人分のサンドイッチを私の前に置く。
「じゃあひとつだけ。ありがとうございます」
「君はいつもそうやって素直にしてたらいいんだ。仁と話してる時が一番魅力的だよ」
「仁さんは嫌味なんて言いませんから」
「まあ、そうやって感情をむき出しにしてる君もかわいいよ」
ふと目が合うと、郁さんが優しくほほえむから、なんだか落ち着かなくてうつむく。
「ちゃんと体調が悪いって言ったのか? 彼氏に」
少しの沈黙を破って郁さんが言う。
「ちょっと頭が痛かっただけで」
「少しだろうが、動くのが億劫なときは甘えたらいい。俺なら薬ぐらい買いに行ってやれる。仕事じゃないんだ。君が絶対やらなきゃいけないことはそれほどないだろう」
「……彼と郁さんは違いますから」
サンドイッチに手を伸ばす。
そのまま口に運んで、ぱくりと食べる。味がよくわからなかったが、急に泣きたい気分になる。
「会いたいって言えばいい」
「……会いたいのかわからなくて」
郁さんへ視線を移したら、心配そうに私を見つめる彼がにじんでいく。
「きのう……」
「昨日?」
私から食べかけのサンドイッチを取り上げた郁さんの両手が、震える私の手を優しく包み込む。
その瞬間、肩に入っていた力が抜けて、あふれ出した涙がぽたぽたと落ちていく。
「きのう彼に会いました。久しぶりに会ったのに、前みたいに嬉しいって思えなくて。彼に触れられるのがいやだなんて思ったことなかったのに……」
「気持ちが乗らないこともあるだろう」
「でもいやだった……。それなのに、今日は心細くて。彼に会いたいなんて思うのはおかしいって思って……」
郁さんの大きな手のひらが、私のほおを濡らす涙をぬぐっていく。
「さみしさを満たせるなら誰でもいいから会いたいなんて思ったんだろう。元気になったら、また気持ちも変わる」
「別れたいとか思ってるわけじゃないんです。彼の声が聞けるだけでも安心なのに、それなのに会うのが怖くて」
「それは彼氏が君の気持ちをわかろうとしてないからだろう。いやなら抱かれるな。それで怒るような男なら、しょせん身体目当てなんだと気づけばいい」
「夏也はそんな……」
変わったのは私だ。
夏也は何も変わってない。
夏也が好きなのに好きじゃなくて、会いたいのに抱かれたくないなんて複雑な思い、私の身勝手以外に何があるだろう。
「茉莉、無理をするな。君の身体を労われるのは君だけだ。俺は寄り添って、そのつらさを思いやるしかできない。他人にできることはわずかなことしかない。それでも君が癒されるなら、俺は喜んで会いにくるよ」
「……」
「彼氏ができないっていうなら、俺がするよ」
郁さんの両腕がいきなり私を抱きしめる。
「……郁さんっ?」
「もう少し泣いてろ」
私の頭を優しくなでる郁さんの手が、心細かった気持ちを癒していく。
誰かにそばにいてほしかった。
それだけだったのに。
郁さんも萌乃香もそばにいてくれると言ってくれたのに、一番そばにいてほしい夏也は来てくれなかった。
私が悪い。
夏也が会いに来ないのは、彼もまた同じ気持ちだったからだ。
会いたいけど会いたくない。
好きだけど好きじゃない。
別れたいけど別れられない。
そういうことだろう。
私も夏也も、きっとずっと同じものを見てる。
言わなくても分かり合えるぐらい一緒にいたから、私たちの気持ちがすれ違ってることも、もう修復できないところに来てしまったことも気づいてる。
「別れたくは、ないの……」
「それならそれでいい。君はその気持ちを大切にしてたらそれでいいだろう」
「う……うぅ……」
もう思いは言葉にならなかった。
いつまでも抱きしめていてくれる郁さんの胸元をつかんで、柔らかなニットに顔をうずめて泣いた。
そうすることの罪を、私はまだわかっていなかった。
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