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第五話 死後に届けられる忘却の宝物

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 ミカンを抱っこして部屋に踏み込んだ私は、誠さんと菜月さんの手が重なり合うのに気づいてハッと息を飲んだ。気づかれる前にと、スッと後ろへ下がったが、彼が気配に鈍感なはずはなくて、目が合ってしまった。

 すぐに彼は菜月さんの手を引きはがし、腰をあげた。誤解だ、とでも言おうとしたのか、薄く口を開いたが、結局困ったように眉を下げただけで何も言わなかった。手をつないでいた事実の言い訳は意味がないと気づいたのだろう。

「ミカンが茶色の猫ちゃんにちょっかいかけられてたみたいで、すねてしまって」

 何も見なかったことにしよう。そう思って言うと、誠さんは申し訳なさそうにした。

 腕の中で所在なげに目を閉じるミカンの頭をそっとなでる。せっかくの楽しい時間も台無しになってしまったみたい。マヨイくんはまだ庭にいて、周囲を偵察するみたいにゆっくりと歩き回っている。

「すねなくてもいいんですよ」

 まるで、私がすねてると思ってるみたいな言い方をする。

 菜月さんが堤達也を好きだったのは知ってる。簡単に心変わりなんてしないだろう。じゃあ、誠さんから彼女に触れたのかと思うと、その真意を追求したくなったけど、やっぱりそれはしてはいけない気がして言えなかった。

 私は誠さんと結婚できただけでじゅうぶん幸せで、彼が心変わりしたなら受け入れるしかない。いま目にした事実は、考えても仕方のないことなのだ。

「またすぐに楽しく遊べますよね」
「そうですね」

 私たちもすぐにいつも通りになれる。そう信じさせてくれるように、彼は優しくほほえんだ。

「お待たせしてごめんなさいね。御影さん、ちょっといい?」

 座布団の上に座ったとき、八枝さんが戻ってきた。何かあったのだろうか。少しばかり険しい表情をして、彼に手招きする。

「どうぞここで話してください。隠すことなどありませんので」

 誠さんがそう言うと、「そうねー……」とつぶやいた八枝さんも座布団にひざをつき、菜月さんに視線を移す。

 すると、菜月さんはビクッと身体を揺らしたあと、ハッと目を大きく見開いた。何か様子がおかしい。違和感を覚えたけれど、同じように感じたはずの八枝さんが、けげんそうにしつつも、それどころじゃないとばかりに話し始めるから、私も彼女から目を離した。

「さっきの電話、警察からだったの。えぇっと、本郷ほんごう署って言ってたわ」

 八枝さんは手の中のメモ用紙に目を落とす。

「本郷署の原沢はらさわさんという方。お若い刑事さんのようだったけれど。それでね、御影さん、驚かないで聞いて。政憲さんが亡くなったというの。身寄りがないから、私に連絡してきたそうよ」
「そうですか。もしかしたら、うちに電話が入ったかもしれませんね。すみません。手数かけました」

 誠さんは淡々と言って、頭を下げる。動揺する八枝さんとは対照的だ。まるで、政憲という人が亡くなってるって知ってたみたい。

「ええ、それはいいのだけど、本当にあの人かしら。政憲さんが亡くなっただなんて。もうずっと連絡はないけれど、元気にしてるとばかり……」
「間違いないでしょう。八枝さんはどうされますか? 一緒に病院へ行きますか」
「そうねぇ。行かなきゃいけないわよね。御影さんも一緒に行ってくださる?」
「もちろんです。ではすぐにでも」

 誠さんは機敏に立ち上がる。

「そ、そうね。千鶴ちゃん、菜月さん、ごめんなさいね。今すぐ出かけないといけなくなってしまって。菜月さんはお留守を頼みます。千鶴ちゃんも、ゆっくりしていってね」

 同様に、八枝さんも腰をあげ、そわそわしながら部屋を出ていった。

「誠さん、政憲さんというのはどなたですか?」

 尋ねていいのか迷いながらも聞いてみた。言いたくない人なら、誠さんは言わないだろう。そう思ったけれど、意外にもすんなりと答えてくれた。

「ええ、しばらく関係なく生活していたので話していませんでしたが、俺の父親です」
「えっ、お父さん? じゃあ、お父さんが?」
「亡くなったようです」

 誠さんは神妙にうなずく。

 毅然とした彼も、それを口にしたときには落胆の色を見せていた。いくら離れて暮らしていても、大切な人だっただろう。生きていてくれさえすれば……って思っていたかもしれない。

「でもどうして、八枝さんに電話があったんですか?」

 腑に落ちなくて尋ねると、彼は微妙に口もとを歪ませた。聞いてはいけないことだったみたい。

「あ、いいんです。すみません。深入りするつもりはなくて……」
「こちらこそすみません。何も聞いてないと怒らないでください。八枝さんは政憲の元妻なんです」
「え……いま、なんて?」

 誠さんはさらりと言うが、思いがけない話を聞いた気がして、もう一度尋ねてしまった。すると彼は、丁寧に言い直してくれた。

「はい。杉野八枝さんは俺と春樹の、実の母親です」
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