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ノスタルジックフレーム
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「言の葉の行方を探してるの」
目前に迫るデートを突然キャンセルした彼女は、理由をそう話した。心ここに在らずで、少し焦るような口調だった。
何を探してるって? と聞き返そうとする俺が何も言い終わらないうちに、唐突に電話は切れた。
あれから2週間が経つ。電話は何度かかけ直したがつながらない。付き合って4年。2週間も連絡が取れないのは初めてだった。
デートのキャンセルは以前にもあったし、俺だって急な仕事で無理を言うときがあった。しかし今回は、いつものそれとは違う気がしていた。
会社から帰宅するとすぐ、彼女に電話をかけた。すでに日課のようになっている。当然のように電話はつながらず、ため息をつく。そのとき、メールが入った。彼女の姉、亜子からだった。
彼女に何かあったんじゃないかと、押し寄せる不安を抱えながら、すがりつくようにメールボックスを開く。
『凪沙、ずっと会社休んでるみたいだけど、なんかあったー? 全然連絡つかないし』
亜子もまた、凪沙と連絡が取れてないようだ。ひょうひょうと間伸びした文面だったが、言い知れない緊張感を覚えた。
凪沙が会社を休んでる? そうと知り、焦った。俺とは連絡がつかなくても、普段通りの生活を送ってるだろうと、心のどこかで思っていたのだ。
凪沙と亜子は親友のように仲のいい姉妹だった。その姉に黙って、彼女は消息を絶った。
なぜだろう。俺と亜子がこうして連絡を取り合う仲だからだろうか。そうまでして俺と関わりたくないのか。決別という単語が、脳内をよぎる。
いつか、才山凪沙は俺から離れてしまうかもしれない。そういう不安は常にあった。しかし、そう思わせる危うさをはらんだ彼女が、こんな形で姿を消すとは思っていなかった。
2歳年下の彼女は、喜怒哀楽が少なく、物静かという言葉がよく似合う女性だった。思慮深い彼女が、短絡的な行動を起こすとは考えにくかった。
待っていれば、戻ってくるだろうか。そう思いつつ、釈然としない。マリッジブルーとはどうしても思えない引っ掛かりがあった。
凪沙には、俺が一方的に恋をした。
初めて出会ったのは、高校時代。あの日は卒業式で、俺は人生最大のピンチを迎えていた。学年一美人のクラスメイトに交際を申し込み、フラれてしまったのだ。ずっと仲良くしていたし、相手も俺に好意があると思っていた。
今となってはフラれた理由も覚えていないが、ほかに好きな人がいるとか、俺は仲良しの友人としか思えないとか、そんな理由だったと思う。
フラれた挙句、間が悪いことに、それを同級生に見られてしまった。それが、亜子だった。
亜子はぽつんと中庭にたたずむ俺を、にやにやしながら眺めていた。
今はずいぶんと砕けた間柄だが、当時は見知ってる程度だった。不幸な俺をあざ笑ってるんだ、いやなやつだ、と不愉快になった記憶は鮮明にある。
しかし、あざ笑ったのは、俺が先だったのかもしれない。彼女は凍結した路面で転倒し、腕を骨折する大けがをしたのだ。大学受験の大変な時期に運の悪いやつだ、と笑う友人に同調した俺が亜子に笑われたとしても、文句を言う筋合いはなかっただろう。
「ごめんねー、見るつもりは全然なかったんだけど、見ちゃった。でも、楢崎くんが悪いんだよー、先客は私だったんだから」
どうやら、亜子は先に中庭に来ていたらしい。
それより、俺の名前を知ってるんだ、と意外に思った。同じクラスになった記憶はないし、俺が亜子を知ってるのは、平凡な学生の俺とは真逆の特殊な存在だったからだ。
「才山亜子さんだよね」
「うん、そう。あ、同情とかいらないから。切羽詰まってもないしさ」
ギプスで固定された腕に視線を向けた俺が同情するとでも思ったのか、彼女は早口でそうまくしたてた。
「いや、荷物ぐらい持とうかなとは思ったけど」
「親切だね、楢崎くんって」
「そうでもないけど、重そうだし」
学生カバンとは別に、亜子は大きな紙袋を下げていた。中には画材が入っているようだった。
亜子は有名彫刻家の娘だ。その血を余すことなく受け継いだ彼女は、高校2年のとき、油絵のコンクールで大賞を受賞した。その絵画は校舎入り口に今でも飾られている。芸術大学への進学を決めたとうわさを聞いたのは、つい先日のことだったか。
「楢崎くん、カッコよくて性格もいいって有名だよね。残念だったね」
「ん、まあ」
歯切れの悪い返事をしたからか、気まずそうに亜子は沈黙した。元気づけようとしてくれたのかもしれないが、俺も失恋したばかりで明るく振る舞う気力もわかず、途方にくれた。
荷物を持つよ、と言ったものの、彼女が紙袋を渡してくれる様子はなく、俺も積極的に手伝うわけでもなく、しばらく俺たちはただただ立ち尽くしていた。
帰ろうか。ギプスの亜子を置いて? やっぱり校門ぐらいまでは荷物を運ぼうか。でも、俺がそこまで気をつかう必要があるだろうか、などとさまざま考えていると、「お姉ちゃん、探したよ」と、亜子に駆け寄る女の子が視界に飛び込んできた。
それがひとめぼれだったのかは、いまだにわからない。ただあのときの俺は、こんなに綺麗な女の子がうちの高校にいたんだ、と衝撃を受けていた。失恋の痛手が一瞬に吹き飛ぶような出会いだったのは間違いない。
「同級生の楢崎俊哉くん」
亜子は彼女に紙袋を渡しながら、俺を紹介した。
凪沙は緊張した面持ちで俺に頭をぺこりと下げたが、無言だった。人見知りなのだろう。亜子とは対照的な印象だった。
不安そうな妹に気づいた亜子は、「じゃあね、楢崎くん。卒業おめでとう!」と快活に言うと、凪沙を連れて立ち去った。
亜子にぴたりとくっついて離れない凪沙は、一度も俺を振り返らなかった。俺は彼女に強烈な関心を抱いたが、彼女にとって俺は、姉の同級生以上の印象は残らなかったようだ。
目前に迫るデートを突然キャンセルした彼女は、理由をそう話した。心ここに在らずで、少し焦るような口調だった。
何を探してるって? と聞き返そうとする俺が何も言い終わらないうちに、唐突に電話は切れた。
あれから2週間が経つ。電話は何度かかけ直したがつながらない。付き合って4年。2週間も連絡が取れないのは初めてだった。
デートのキャンセルは以前にもあったし、俺だって急な仕事で無理を言うときがあった。しかし今回は、いつものそれとは違う気がしていた。
会社から帰宅するとすぐ、彼女に電話をかけた。すでに日課のようになっている。当然のように電話はつながらず、ため息をつく。そのとき、メールが入った。彼女の姉、亜子からだった。
彼女に何かあったんじゃないかと、押し寄せる不安を抱えながら、すがりつくようにメールボックスを開く。
『凪沙、ずっと会社休んでるみたいだけど、なんかあったー? 全然連絡つかないし』
亜子もまた、凪沙と連絡が取れてないようだ。ひょうひょうと間伸びした文面だったが、言い知れない緊張感を覚えた。
凪沙が会社を休んでる? そうと知り、焦った。俺とは連絡がつかなくても、普段通りの生活を送ってるだろうと、心のどこかで思っていたのだ。
凪沙と亜子は親友のように仲のいい姉妹だった。その姉に黙って、彼女は消息を絶った。
なぜだろう。俺と亜子がこうして連絡を取り合う仲だからだろうか。そうまでして俺と関わりたくないのか。決別という単語が、脳内をよぎる。
いつか、才山凪沙は俺から離れてしまうかもしれない。そういう不安は常にあった。しかし、そう思わせる危うさをはらんだ彼女が、こんな形で姿を消すとは思っていなかった。
2歳年下の彼女は、喜怒哀楽が少なく、物静かという言葉がよく似合う女性だった。思慮深い彼女が、短絡的な行動を起こすとは考えにくかった。
待っていれば、戻ってくるだろうか。そう思いつつ、釈然としない。マリッジブルーとはどうしても思えない引っ掛かりがあった。
凪沙には、俺が一方的に恋をした。
初めて出会ったのは、高校時代。あの日は卒業式で、俺は人生最大のピンチを迎えていた。学年一美人のクラスメイトに交際を申し込み、フラれてしまったのだ。ずっと仲良くしていたし、相手も俺に好意があると思っていた。
今となってはフラれた理由も覚えていないが、ほかに好きな人がいるとか、俺は仲良しの友人としか思えないとか、そんな理由だったと思う。
フラれた挙句、間が悪いことに、それを同級生に見られてしまった。それが、亜子だった。
亜子はぽつんと中庭にたたずむ俺を、にやにやしながら眺めていた。
今はずいぶんと砕けた間柄だが、当時は見知ってる程度だった。不幸な俺をあざ笑ってるんだ、いやなやつだ、と不愉快になった記憶は鮮明にある。
しかし、あざ笑ったのは、俺が先だったのかもしれない。彼女は凍結した路面で転倒し、腕を骨折する大けがをしたのだ。大学受験の大変な時期に運の悪いやつだ、と笑う友人に同調した俺が亜子に笑われたとしても、文句を言う筋合いはなかっただろう。
「ごめんねー、見るつもりは全然なかったんだけど、見ちゃった。でも、楢崎くんが悪いんだよー、先客は私だったんだから」
どうやら、亜子は先に中庭に来ていたらしい。
それより、俺の名前を知ってるんだ、と意外に思った。同じクラスになった記憶はないし、俺が亜子を知ってるのは、平凡な学生の俺とは真逆の特殊な存在だったからだ。
「才山亜子さんだよね」
「うん、そう。あ、同情とかいらないから。切羽詰まってもないしさ」
ギプスで固定された腕に視線を向けた俺が同情するとでも思ったのか、彼女は早口でそうまくしたてた。
「いや、荷物ぐらい持とうかなとは思ったけど」
「親切だね、楢崎くんって」
「そうでもないけど、重そうだし」
学生カバンとは別に、亜子は大きな紙袋を下げていた。中には画材が入っているようだった。
亜子は有名彫刻家の娘だ。その血を余すことなく受け継いだ彼女は、高校2年のとき、油絵のコンクールで大賞を受賞した。その絵画は校舎入り口に今でも飾られている。芸術大学への進学を決めたとうわさを聞いたのは、つい先日のことだったか。
「楢崎くん、カッコよくて性格もいいって有名だよね。残念だったね」
「ん、まあ」
歯切れの悪い返事をしたからか、気まずそうに亜子は沈黙した。元気づけようとしてくれたのかもしれないが、俺も失恋したばかりで明るく振る舞う気力もわかず、途方にくれた。
荷物を持つよ、と言ったものの、彼女が紙袋を渡してくれる様子はなく、俺も積極的に手伝うわけでもなく、しばらく俺たちはただただ立ち尽くしていた。
帰ろうか。ギプスの亜子を置いて? やっぱり校門ぐらいまでは荷物を運ぼうか。でも、俺がそこまで気をつかう必要があるだろうか、などとさまざま考えていると、「お姉ちゃん、探したよ」と、亜子に駆け寄る女の子が視界に飛び込んできた。
それがひとめぼれだったのかは、いまだにわからない。ただあのときの俺は、こんなに綺麗な女の子がうちの高校にいたんだ、と衝撃を受けていた。失恋の痛手が一瞬に吹き飛ぶような出会いだったのは間違いない。
「同級生の楢崎俊哉くん」
亜子は彼女に紙袋を渡しながら、俺を紹介した。
凪沙は緊張した面持ちで俺に頭をぺこりと下げたが、無言だった。人見知りなのだろう。亜子とは対照的な印象だった。
不安そうな妹に気づいた亜子は、「じゃあね、楢崎くん。卒業おめでとう!」と快活に言うと、凪沙を連れて立ち去った。
亜子にぴたりとくっついて離れない凪沙は、一度も俺を振り返らなかった。俺は彼女に強烈な関心を抱いたが、彼女にとって俺は、姉の同級生以上の印象は残らなかったようだ。
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