言の葉の行方

つづき綴

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ノスタルジックフレーム

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 姉妹に再会したのは、それから8年後だった。たまたま駅構内のカフェで時間をつぶしていたとき、彼女たちが隣の席に座った。

 亜子の特徴的な高い声と、変わらない美貌の……いや、高校時代とはまた違う大人の美しさを手に入れた凪沙に、すぐに気づいた。

 思わず、「あっ」と声をあげたら、「楢崎くん?」と、俺の顔をまじまじと眺めた亜子が言った。このときも、凪沙は俺に無関心だった。姉の知人ならあいさつしないといけないだろうぐらいに、小さく頭をさげただけだった。

 亜子はあいかわらず社交的で、駅近くのギャラリー『アマリリス』で油絵展を開催してるから来て、とチケットを俺に押し付けてきた。あまり興味はなかったが、受付を凪沙が手伝うと聞いて、週末には訪ねていた。

 ギャラリーは駅前の大通りに面したビルの一階にあった。店の前には、アマリリスの花がシンプルにデザインされた、モダンでおしゃれな看板が置かれていた。

 これはあとで知ったことだが、ビルのオーナーは姉妹の父親である彫刻家の才山省吾しょうごで、五階建てビルの一階はギャラリー、二階はカフェになっていた。

 店内に入ると、凪沙が出迎えてくれた。朗らかにほほえむ彼女は、とびきりの営業スマイルを見せてくれていたのだろうが、俺はただただその美しさに見惚れた。

 あまりにじっと見つめていたからか、戸惑う彼女とは会話が弾まず、気まずかった。その日はよくわかりもしない油絵を眺めて帰宅した。

 翌日、亜子からお礼の電話があった。本当に来てくれるとは思ってなかった、と彼女は笑った。思い切って、実は凪沙に会いたかったのだと告白したら、そんなことだろうと思った、と彼女はますます笑った。

 それから、亜子と連絡を頻繁に取るようになった。彼女は俺の気持ちを知りながら、凪沙を紹介するとはひとことも言ってくれなかった。

 それはそうだろう。あれほど美しい凪沙なのだから、言い寄る男はあまたにいただろう。亜子にとって俺は特別ではなく、迷惑男のひとりでしかなかった。

 そうと気づいてから、あしげくギャラリーに通った。しかし、なかなか凪沙には会えなかった。彼女はデザイン関係の会社に就職していて、ギャラリーを手伝うのは展覧会を開催するときだけだった。

 それでもめげずに通い詰めた甲斐があったのか、ある日、亜子から食事の誘いがあった。誕生日祝いに凪沙と食事をするからあなたも来ないか? というものだった。

 てっきり、凪沙の誕生日だと思い込んでいた俺は、大輪のバラの花束を用意して、亜子に盛大に笑われてしまった。

 酔っ払った亜子を自宅まで送ったあと、凪沙とふたりきりになるチャンスがめぐってきた。

 送ってくれてありがとうございますとか、バラの花束を姉はすごく喜んでますとか、そんなお礼を言われた気がする。これからも姉をよろしくお願いします、なんて頭をさげられたから、ようやく誤解されてると気づいて、凪沙が好きなのだとストレートに伝えた。付き合ってほしいとも。

 凪沙はひどく驚いていたが、少し考えさせてほしい、と言った。数日後、電話がかかってきて、よろしくお願いします、と返事をもらった。

 それから4年は長い道のりだった。感情表現が苦手な凪沙を笑わせるのも、楽しませるのも難しかった。彼女は常に、それ以上は踏み込ませないという一線を引いて、俺と向き合っていた。

 本当に俺が好きなのか。不安になる歴代の彼氏たちは、自ら彼女の前から去ったのだろう。そういう想像は幾度もした。

 しかし、俺は凪沙が好きすぎた。彼女との温度差は感じていたが、それがお互いにとっていい距離だったのだと思う。

 言葉ではなかなか愛を伝えてくれない恥ずかしがり屋の凪沙が、俺に愛情を感じさせてくれる何気ないひとときは幸福で、彼女は間違いなく、かけがえのない最愛の人だった。

 だから、プロポーズした。その時も彼女は驚いたが、すぐにうなずいてくれた。考えさせてほしいなんて言わなかった。

 来年の春には結婚式を挙げようと約束した。凪沙は友人がいないから家族だけで挙式したいと言った。彼女の父親は今や世界的アーティストで、年中世界を飛び回っていて、なかなか日本に帰国できない。俺の両親も、それならと、アットホームな結婚式に賛成してくれた。

 すべてとは言えないが、凪沙との交際は順調だった。なかなか心の殻を破らない彼女が、いつか離れていくかもしれない。そういう不安はあったけれど、本当に離れていく日が来るなんて信じていたわけじゃなかった。

『楢崎くん、明日、うちにおいでよ』

 既読だけして返事をしない俺の困惑を見透かすように、亜子はふたたびメールしてきた。

 すぐに午前中に行くと返信をして、もう一度、凪沙に電話した。しかし、あいかわらず、「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか……」と、無機質な声が聞こえてくるだけだった。
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