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奇妙なアルバイト
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神社の裏手に、彩斗美の自宅はあった。今時のモダンな家屋だ。神社に似つかわしくないちぐはぐな印象を受けたが、それは外観だけのよう。一歩敷居をまたげば、古い荘厳な日本家屋を連想させる、和建築の玄関が私を出迎えた。
彩斗美は迷いなく右手の廊下を進む。和風庭園が見えるガラス張りの通路に沿って歩く。途中いくつかの部屋の前を通り過ぎた。そして、行き着いた先の部屋の前で、彩斗美は障子戸越しに声をかける。
「おばあちゃん、友だち連れてきたの。会ってくれる?」
「……」
返事がない。気配すらない気がする。
彩斗美と顔を合わせたその時、スーッと障子戸が内から開いた。
「入れ」
ゆっくりと穏やかだが、その中にある揺るぎのない凛とした声が、私たちを招く。
「おばあちゃん、友だちの美鈴だよ。覚えてる? 前に会ってみたいって言ってたでしょ?」
彩斗美が私を紹介する。白髪の老女がゆっくりとした動作で私を見上げる。本当に、彩斗美の祖母だろうか。そう思ってしまうぐらい愛想がない。昔ながらの厳しい人なのだろうと緊張してしまう。
「はじめまして、河北美鈴です」
ぺこりと頭を下げると、老女の瞳にわずかな揺らぎが見えた。
なんだろう。微笑んだのだろうか。いや、少し違う。どんな感情が浮かんだのかよくわからない。しかし、嫌悪されているようではないと感じる。
「美鈴。おばあちゃんね、卯乃って言うの。近所の子供たちからは卯乃ばあって呼ばれてるんだよ。竜生くんも知ってるんじゃないかな? うちに時々来てるから」
「竜生が来てる? 迷惑かけてない? 神社で遊んだらいけないって言ってるんだけど……」
初耳で、驚く。私の知らないところで霧子も竜生も器用に生きている。私はずっと両親の言うことは絶対だと信じて生きてきた。反することなど考えたこともなかった。
軽い衝撃を受ける。私の人生は、分かれることのない一本道に決められている。そこに従って歩んでいくことに疑問を覚えていいのだろうかと、心が揺らぐ。
「違う違う。たまーにね、おばあちゃんが昔話するから、聞きに来てくれるんだよ」
彩斗美はくすくす笑う。美鈴は長女だねと、心配ばっかりしてると笑うのだ。
自分でも不器用だとは思うが、落ち込むよりも先に好奇心が先に立つ。
「昔話?」
「呼結神社にまつわる逸話みたいなものかなー」
「へえー。私、知らない」
「子供だましの話。本当か嘘かもわからないようなね。でも、うちの神社、縁結びの神だから、その話は納得できるかも」
つまり、呼結神社が縁結びの神社となった由来を、卯乃さんは子供たちに聞かせている、ということだろう。
彩斗美の前を横切り、卯乃さんは座布団に腰を下ろす。その前には、二枚座布団が置いてある。まるで私たちがここを訪れることを知っていたかのようだ。本当に、卯乃さんには不思議な力があるのかもしれない。そんな思いにかられた時、彩斗美が非現実的な考えを打ち消す。
「座布団用意してたから、返事がなかったんだね。いないのかと思って心配したよー」
卯乃さんは彩斗美の言葉には返事せず、「座れ」と私たちに座るように促す。私たちが並んで座り、居住まいを正すと、卯乃さんが問う。
「何を聞きたいかね?」
「最近ね、美鈴が変な事に巻き込まれてるみたいなの。だからおばあちゃんにお祓いしてもらおうって話になって」
彩斗美は私の身に起きる不可解な現象を卯乃さんに話して聞かせた。化粧品を購入しては自分を着飾り、夜な夜な出歩いているらしいこと。そして、その記憶が全くないことなどだ。
卯乃さんの表情は全く変わらない。相手にしていないのかもしれない。
それはそうだろう。ただ寝ぼけているだけだろうと思われても仕方のないことなのだ。それともお小遣いをなくされた私の詭弁だとでも思ったかもしれない。
「おばあちゃん、何か感じる?」
私の顔をじっと見つめる卯乃さんに、彩斗美が心配そうに尋ねる。すると卯乃さんの視線が私の背後に移る。
なんだかゾッとする、背後には誰もいないのに、まるで誰かを見つめているようだから。
「おるよ、一人」
卯乃さんはなんでもないことのように言う。
「いる? いるって何が?」
神社でお祓いしようと勇んで私をここへ連れてきたのは彩斗美なのに、思いがけない展開だったのか、彼女は驚きで目を丸くする。
それは私も同じだ。驚きすぎると声も出ないのだと知る。
「誰かはわからぬが、懐かしいというのはこういうことなんだろうよ」
卯乃さんのほとんど開かれていない目に、うっすら涙が浮かんでいるように見える。彼女の答えが全てなのだろう。何者かはわからない誰かが私に憑いていて、その何者かは卯乃さんにとって懐かしい存在なのだ。だから、私を見て泣くのだ。
「除霊してよ、おばあちゃん。このままだと美鈴、安心して毎日寝れないんだから」
「安心できないのは夜だけじゃないだろう。今も表へ現れたくて仕方ないようだ。何か言おうとしておるが、様子を伺ってもおる。お嬢さんが気づかないだけで、日中も現れておるかもしれん」
「どういうこと? 美鈴に憑いてる何かが、その気になればいつでも出てくるってこと? それって怖いよー。はやくお祓いしなきゃ」
「祓う必要はない。正確に言えば、祓うことはできん、というところかの」
「おばあちゃんでもどうしようもないってこと?」
「そうだな。巫女としての能力は足元にも及ばん」
巫女?
その言葉に引っかかりを覚えた時、彩斗美がすっとんきょうな声を上げる。
「おばあちゃんよりすごい巫女が美鈴に取り憑いてるっていうのっ?」
「共に生きるしかないようだの。これまでもそうして来たのだろう」
卯乃さんは動じずに答える。
「なんとかしてあげれないの? その霊にもう出てこないようにって話せないの?」
「この老婆の言うことを聞くような娘ではない。目的がはっきりすれば、悪さも治るだろう」
「目的って何?」
彩斗美が私を見る。私はすぐに首を横に振る。力ある巫女の霊が私に憑いているというだけでも驚きなのだ。目的などわかるはずもない。
「男、かの?」
ぽつりと卯乃さんがつぶやく。
「は……?」
ぽかんとする私を見て、卯乃さんは初めて、うっすらと笑みを浮かべた。
彩斗美は迷いなく右手の廊下を進む。和風庭園が見えるガラス張りの通路に沿って歩く。途中いくつかの部屋の前を通り過ぎた。そして、行き着いた先の部屋の前で、彩斗美は障子戸越しに声をかける。
「おばあちゃん、友だち連れてきたの。会ってくれる?」
「……」
返事がない。気配すらない気がする。
彩斗美と顔を合わせたその時、スーッと障子戸が内から開いた。
「入れ」
ゆっくりと穏やかだが、その中にある揺るぎのない凛とした声が、私たちを招く。
「おばあちゃん、友だちの美鈴だよ。覚えてる? 前に会ってみたいって言ってたでしょ?」
彩斗美が私を紹介する。白髪の老女がゆっくりとした動作で私を見上げる。本当に、彩斗美の祖母だろうか。そう思ってしまうぐらい愛想がない。昔ながらの厳しい人なのだろうと緊張してしまう。
「はじめまして、河北美鈴です」
ぺこりと頭を下げると、老女の瞳にわずかな揺らぎが見えた。
なんだろう。微笑んだのだろうか。いや、少し違う。どんな感情が浮かんだのかよくわからない。しかし、嫌悪されているようではないと感じる。
「美鈴。おばあちゃんね、卯乃って言うの。近所の子供たちからは卯乃ばあって呼ばれてるんだよ。竜生くんも知ってるんじゃないかな? うちに時々来てるから」
「竜生が来てる? 迷惑かけてない? 神社で遊んだらいけないって言ってるんだけど……」
初耳で、驚く。私の知らないところで霧子も竜生も器用に生きている。私はずっと両親の言うことは絶対だと信じて生きてきた。反することなど考えたこともなかった。
軽い衝撃を受ける。私の人生は、分かれることのない一本道に決められている。そこに従って歩んでいくことに疑問を覚えていいのだろうかと、心が揺らぐ。
「違う違う。たまーにね、おばあちゃんが昔話するから、聞きに来てくれるんだよ」
彩斗美はくすくす笑う。美鈴は長女だねと、心配ばっかりしてると笑うのだ。
自分でも不器用だとは思うが、落ち込むよりも先に好奇心が先に立つ。
「昔話?」
「呼結神社にまつわる逸話みたいなものかなー」
「へえー。私、知らない」
「子供だましの話。本当か嘘かもわからないようなね。でも、うちの神社、縁結びの神だから、その話は納得できるかも」
つまり、呼結神社が縁結びの神社となった由来を、卯乃さんは子供たちに聞かせている、ということだろう。
彩斗美の前を横切り、卯乃さんは座布団に腰を下ろす。その前には、二枚座布団が置いてある。まるで私たちがここを訪れることを知っていたかのようだ。本当に、卯乃さんには不思議な力があるのかもしれない。そんな思いにかられた時、彩斗美が非現実的な考えを打ち消す。
「座布団用意してたから、返事がなかったんだね。いないのかと思って心配したよー」
卯乃さんは彩斗美の言葉には返事せず、「座れ」と私たちに座るように促す。私たちが並んで座り、居住まいを正すと、卯乃さんが問う。
「何を聞きたいかね?」
「最近ね、美鈴が変な事に巻き込まれてるみたいなの。だからおばあちゃんにお祓いしてもらおうって話になって」
彩斗美は私の身に起きる不可解な現象を卯乃さんに話して聞かせた。化粧品を購入しては自分を着飾り、夜な夜な出歩いているらしいこと。そして、その記憶が全くないことなどだ。
卯乃さんの表情は全く変わらない。相手にしていないのかもしれない。
それはそうだろう。ただ寝ぼけているだけだろうと思われても仕方のないことなのだ。それともお小遣いをなくされた私の詭弁だとでも思ったかもしれない。
「おばあちゃん、何か感じる?」
私の顔をじっと見つめる卯乃さんに、彩斗美が心配そうに尋ねる。すると卯乃さんの視線が私の背後に移る。
なんだかゾッとする、背後には誰もいないのに、まるで誰かを見つめているようだから。
「おるよ、一人」
卯乃さんはなんでもないことのように言う。
「いる? いるって何が?」
神社でお祓いしようと勇んで私をここへ連れてきたのは彩斗美なのに、思いがけない展開だったのか、彼女は驚きで目を丸くする。
それは私も同じだ。驚きすぎると声も出ないのだと知る。
「誰かはわからぬが、懐かしいというのはこういうことなんだろうよ」
卯乃さんのほとんど開かれていない目に、うっすら涙が浮かんでいるように見える。彼女の答えが全てなのだろう。何者かはわからない誰かが私に憑いていて、その何者かは卯乃さんにとって懐かしい存在なのだ。だから、私を見て泣くのだ。
「除霊してよ、おばあちゃん。このままだと美鈴、安心して毎日寝れないんだから」
「安心できないのは夜だけじゃないだろう。今も表へ現れたくて仕方ないようだ。何か言おうとしておるが、様子を伺ってもおる。お嬢さんが気づかないだけで、日中も現れておるかもしれん」
「どういうこと? 美鈴に憑いてる何かが、その気になればいつでも出てくるってこと? それって怖いよー。はやくお祓いしなきゃ」
「祓う必要はない。正確に言えば、祓うことはできん、というところかの」
「おばあちゃんでもどうしようもないってこと?」
「そうだな。巫女としての能力は足元にも及ばん」
巫女?
その言葉に引っかかりを覚えた時、彩斗美がすっとんきょうな声を上げる。
「おばあちゃんよりすごい巫女が美鈴に取り憑いてるっていうのっ?」
「共に生きるしかないようだの。これまでもそうして来たのだろう」
卯乃さんは動じずに答える。
「なんとかしてあげれないの? その霊にもう出てこないようにって話せないの?」
「この老婆の言うことを聞くような娘ではない。目的がはっきりすれば、悪さも治るだろう」
「目的って何?」
彩斗美が私を見る。私はすぐに首を横に振る。力ある巫女の霊が私に憑いているというだけでも驚きなのだ。目的などわかるはずもない。
「男、かの?」
ぽつりと卯乃さんがつぶやく。
「は……?」
ぽかんとする私を見て、卯乃さんは初めて、うっすらと笑みを浮かべた。
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