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しきたりと願い

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 いぶかしむように俺を見つめる黒い瞳は、俺を責めている。どうせまた一真にやらせたのだろうと思っているのだ。

「まあ、少しは手伝ったさ。二組は女子の学級委員がよく働くんだ」

 プリントを綴るだけの仕事だったが、美鈴は一人でやったのだろうか。一組男子の学級委員は生徒会長と決まっている。生徒会長は視聴覚室の見回りなど別の仕事を抱えている。
 視聴覚室の見回りも、本来は一組の仕事なのだ。それだけ一組には優秀な生徒が集められている。金曜日の見回りに関しては、生徒会長が動けないから、代わりにもう一人の学級委員が請け負っている。しかし、女生徒一人に見回りに行かせるのは問題があると話が持ち上がり、二組男子の学級委員と組んで見回りに行くことになった経緯がある。

「一人で大変だったな」

 自分なりに言葉を選んだつもりだった。
 普段は安哉が手伝うのだろう。安哉がいなくて残念だったなという言葉は飲み込んだ。それが幸いしたのか、美鈴は困り顔をする。

「大した仕事じゃないから大変でもないの。でも、ありがとう。安哉くんもいないし、彩斗美もどうしても残れないからって帰っちゃったから、本当は不安だったの。そう言ってもらえると、一人で頑張ったことが報われる気がするわ」
「問題は生徒会長が学級委員を兼務してることだな。一組は仕事量が多い」
「そう言うのは白夜くんだけよ。伝統的に続いてることだから、誰も疑問に思ってないわ」
「伝統的か。物事の良し悪しを考えもせずに、慣例的に続くものにろくなものはないな。どうにもならない時は俺を頼れ」
「え……、あ、ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」

 美鈴の頬は不意打ちのように上気する。なんだかこちらが居心地が悪い。だから、ぶっきらぼうに言ってしまう。

「俺には手足となって働く一真がいるからな。遠慮することはない」
「……そういうの、良くないと思うの」

 美鈴の機嫌を損ねてしまったようだ。彼女は口を閉ざすと、ためらいがちに俺に背を向け歩き出す。
 ちらりと一真を見れば俺をにらんでいるから、仕方なしに美鈴を追いかける。

「美鈴、少し時間あるか?」
「……え?」

 美鈴に追いついて問うと、彼女は必要以上に驚いて足を止める。

「試してみたいことがあるんだ」
「試す?」
「ああ。一真と話してるうちに気づいたことがあるんだ」
「気づいたことって何? あのことで何かわかったの?」

 美鈴は少々冷静になれない様子で尋ねてくる。やはり彼女に何かあったのだろうか。もしかしたら美鈴は、自分の身を操るあの女のことに気づいたのか。もしそうだとしたら不安だろう。自分でも気づかないうちに何者かが自分の体を乗っ取っているのだ。

「あれから特別変わったことはないんだが、それは一真がいるからなんじゃないかってことに気づいた。今日、一真は部屋へ入れない。代わりに美鈴にいて欲しいと思ってる」
「……急な話ね」
「頼めるのは美鈴しかいないからな。一真をいつまでも俺の部屋に泊めるわけにもいかない」
「毎日泊めてるの?」
「一応、一真の両親には受験勉強のためと言ってあるが、いつまでも続けるわけにはいかない」
「そうね……、それはそうね。でも、私に何ができるの?」
「もし俺の身に異変があれば、一真に連絡して欲しい。それだけだ」

 それだけなどと言いながら、俺は心苦しさを感じる。これは俺だけじゃなく、彼女にとってもリスクの高い話だ。一真がいない時に現れるのは、夢の女だけじゃない。

「一真は側にいてくれるの?」

 頼りない不安げな美鈴の眼差しにどきりとする。彼女は心から一真に気を許し、頼りにしている。俺の中に生まれるのは嫉妬だろうか。

「ああ、いる。いるから大丈夫だ」

 俺がいるから大丈夫だ、とは言えないことに不甲斐なさを感じている。俺が守ってやれないなら、この計画はやめにした方がいい。今でも気が進まないことなのだ。

「じゃあ……、行くわ」

 しかし、美鈴は俺の心中など察せず、一真の計画に乗ってしまう。

「美鈴が怖い思いをするなら、もう二度と頼まない」

 怖い思いをしてからでは遅い。そう思うが、そんなことしか言えない。それでも美鈴は持ち前の生真面目さで、俺の頼みに応えようとする。

「白夜くんも不便な生活してるんだもの。なんとかしてあげたいって気持ちはあるの」
「……悪い」

 俺はそれしか言えなくて、真実を伝えることが出来ないまま、美鈴を連れて自宅へと向かった。
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